11_負けられない戦い! 熱々焼肉パーティー
「日向子!」
出勤時刻。オフィスの最寄り駅の改札をくぐった時、背後から大きな声で名前を呼ばれた。そのハツラツとした声にときめいていた頃もあったっけ。
「すまなかった!」
駆け寄ると同時に深々と頭を下げる朝比奈。突然のことに驚いて、日向子は両手を振った。
「いいの。私もノワ君も無事だったし、朝比奈くんこそ大変だったね」
ノワールを危険に晒したことは事実だし、複雑な感情はある。しかし朝比奈だって悪い怪人によって、悪役にさせられてしまった被害者なのだから、責めるのはお門違いだ。
「本当に、お前を傷つけるつもりはなかったんだ。怖い思いをさせて、本当にすまない」
朝比奈のしおらしい姿は見たことがない。どれほど独占欲の強い男でも、さすがに昨日の出来事はショックだったんだろう。元とはいえ交際相手と小さな子供に危害を加えようとしたのだから、気が動転しても仕方がない。
「大丈夫。ノワ君も落ち着いてるし、今日は早めに帰るつもり」
「そ、そうか」
朝比奈の返事の歯切れが悪くて、日向子は首を傾げる。
「どうかした?」
「いや……詫びをさせて貰えないかな。お前と、あの子にも」
朝比奈の以外な申し出に返答が詰まった。朝比奈のことが嫌いなわけではない。少し執着されている気がするだけで、元は真面目で誠実な人だから。
だけど、ノワールは普通の子供ではない。昨日の出来事で、彼は怪人ノワール・ラグナロクと推測できた。憶測の域を出ないけれど、思い当たる節はある。ノワールを拾ったあの日は、魔法少女がノワール・ラグナロクを討ち取った日だったから。
「ううん、気にしなくていいから」
「お前の家の近くに焼肉屋があったろ。そこはどうかな。男の子なら、よく食うだろ」
肉、と聞いて肩が跳ねる。ノワールにはまだ食べさせてあげられていないもの、それは高級品だ。特に近所の焼肉屋は少し敷居が高くて、並ぶ料理はどれも美味である。それらを頬張っているノワールの姿を思い浮かべて……。
「わかった。じゃあ、仕事終わりに」
素直にこくんと頷いてしまった。全ては肉のため、ノワールのためだと言い聞かせながら。
ジージューと音を立てて、目の前の網の上で最高級の霜降り和牛が躍っている。
仕事終わり、近所で評判の少し敷居の高い焼肉屋。ノワールは、お皿に盛られた見事なサシの入った肉の塊を、じっと緋色の瞳で見つめていた。
「ノワ君、ほら、お肉焼けたよ。熱いから気をつけてね」
日向子がふーふーと息を吹きかけ、タレをつけたお肉をノワールの小皿にそっと乗せる。ノワールは小さな手で器用に箸を操り、その肉をパックリと一口で頬張った。と、すぐに驚いたようにカッと見開かれる。
(な、なんだこの柔らかさは……!? 噛んだ瞬間、肉の旨味と脂の甘みが口の中でとろけたぞ! )
「どう、ノワ君? おいしい?」
日向子が期待に満ちた目で覗き込んでくる。ノワールは頬をふくふくと膨らませたまま、ふんすと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「うむ! 肉の質も、火加減も良いぞ! ほめてつかわす!」
「ほんと? よかったぁ。ノワ君、お肉大好きだもんね」
嬉しそうに微笑む日向子の横で、網の向こう側に座る朝比奈。彼はどこか引きつった笑みを浮かべて、ノワールを見ていた。
「……そ、そうか。気に入ってくれたなら良かったよ。昨日は本当に、怖い思いをさせて悪かったな、ボク」
朝比奈がトングで新しい肉を網に乗せながら、殊勝な面持ちで頭を下げる。だが、ノワールは朝比奈が差し出したその肉を、ジロリと冷徹な目で睨みつけた。
(フン。吾輩から日向子を掠め取ろうとした罪、この程度の肉で帳消しになると思うなよ。……まあ、肉に罪はないから食うが!)
パクパクと容赦なく肉を平らげていくノワール。その食べっぷりは、とても小さな子供のものとは思えない。朝比奈はそんなノワールの、子供らしからぬ態度にわずかに苛立ちつつも、笑顔を浮かべていた。有名広告代理店の営業部エースの名は伊達ではない。
「日向子。本当に、もう体調とかは大丈夫なのか? その……仕事も、無理してないか?」
朝比奈が、おずおずと日向子の顔を覗き込む。そこにあるのは、かつて日向子が知っていた、真面目で彼女を気遣ってくれていた頃の朝比奈の表情だった。
「うん、大丈夫。朝比奈君のおかげでプロジェクトは順調だし、ノワ君もお留守番頑張ってくれてるから」
「そ、そうか」
朝比奈は寂しそうに視線を落とし、ぽつりぽつりと本音を漏らす。日向子は黙って、静かに彼の話を聞いていた。
「俺、日向子と別れてから……本当に焦って、どうかしてたんだ。だからってまさか、あんなことになるとは思ってなかったんだが」
「あんなこと?」
「帰り道に、怪人の女に話しかけられたんだ。日向子を取り戻せる方法を、知りたくないかって。それで、俺は……」
ノワールは肉を咀嚼しながら、朝比奈の話から状況を分析する。
(アルタミアの奴め。こんな軟弱そうな男すら懐柔できずになにがエクリプス団か。まったく嘆かわしい)
アルタミアの真意は分からないが、この男を使って日向子を狙ったことは間違いないだろう。だが、人間というものは、ただ悪役に落としただけでは使い物にはならない。心の奥底まで暴いて、弱みに漬け込み、堕落させる必要があるのだ。
(今は日向子を堕落させる過程なのだ。邪魔をするでないわ)
内心でボヤきながら、日向子がせっせと焼いてくれた肉を頬張る。朝比奈はそんなノワールの態度に気付かず、話し続けた。
「そんなことしたって、なんの意味もないのにな。……本当に、すまなかった」
日向子は、胸が少しチクリとした。彼は本当に反省している。歪んだ独占欲で悪役になってしまったけれど、根っこまで悪人になったわけではないのだ。
「朝比奈君、もういいの。私の方こそ、ちゃんと話し合わずに逃げ出しちゃって、ごめんね」
二人の間に、過去を清算するような、少ししんみりとした空気が流れる。
(フム……やはり、この男がヒナコに馴れ馴れしくするのは、非常に不愉快であるな。吾輩の生活基盤を揺るがす存在は、徹底的に排除せねばならん)
「ヒナコ」
声の方を見れば、ノワールが空になった皿を示し、指でトントンと叩いていた。その緋色の瞳は、日向子と朝比奈の距離感に対して、明らかな不快感を露わにしている。不機嫌オーラ満載のノワールに、日向子は驚いたように目を丸める。こんなに不機嫌なノワールは初めて見た。
「ワガハイ、次の肉が食いたいのである」
「あ、ごめんね、ノワ君。今焼くね!」
「……日向子、いつもこんなわがままに付き合ってるのか?」
朝比奈が苦笑しながら、ノワールの皿に肉を乗せようとトングを伸ばす。しかし、ノワールはぷいとそっぽを向いてしまった。
「ヒナコが焼いたものしか認めぬ」
ノワールはフリルシャツの胸を張り、べーっと舌を出す。それは子供のわがままのようであり、男としての独占欲にも見えた。朝比奈の額に青筋が立つが、日向子の手前、我慢する。
「ノ、ノワ君! めっ、でしょ!」
日向子が慌ててノワールを抱き寄せ、その頭をなだめるように撫でた。ノワールは日向子の胸元に収まりながらも、朝比奈に向けて『ヒナコは吾輩のものだ』と言わんばかりに、ニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべてみせる。
「ヒナコが焼いたほうがうまい」
「えぇ? そうかなぁ」
ノワールの率直な賞賛の言葉に、日向子はぽっと頬を染めた。なんとなく、昨日見たノワールの本来の姿を思い出してしまって。
(ちょっと、なに照れてるの私っ!)
自分に言い聞かせて、熱を冷ますように手をパタパタと振った。目の前のノワールは、小さくて可愛い男の子なのに、大の大人が振り回されてどうするのか。
「日向子、その子にばかり食べさせて自分が食べていないだろう。ほら」
「ありがとう、朝比奈君」
朝比奈はまるでノワールに対抗するように、日向子に対して優しく微笑んで肉を皿に乗せた。そしてノワールにだけ気付くようにわざとらしく、フッと笑って見せる。
(なんだこいつ! 生意気なっ!)
カッと頭に血がのぼったノワールは、ムキーッと歯をむき出して威嚇する。そんな二人の不毛な争いを見て、日向子はキョトンとした後、楽しげに笑った。
「もう、二人ともいつの間に仲良くなったの?」
日向子の思いがけない反応に、ノワールと朝比奈は同時に反論した。
「仲良くない!」
「仲良くなどないのである!」




