「柴崎志保」
夕方のグラウンド。
ノックが終わり、全体練習がひと段落した頃だった。
「もう一回言うけどな」
上田の声が、グラウンドに響いた。
「投手ってのは、一人で投げ切るもんなんだよ」
寛人は、正面からその視線を受け止めた。
「それはお前のやり方だろ」
「やり方じゃねえ。常識だ」
「じゃあ、聞くけど」
寛人が一歩踏み出す。
「お前、左に打たれてるのも常識か?」
空気が止まった。
上田の表情が、険しくなる。
「……何が言いたい」
「勝つためにやるんだよ」
寛人の声は静かだった。
「一人で投げ切るためじゃない。チームで勝つためだ」
「だったら俺を信じろよ」
上田が食い気味に返す。
「任せろって言ってんだ」
「任せた結果が、これだろ」
ピリ、と空気が張り詰めた。
周りの部員たちが息を呑む。
(まずいな……)
板橋が小さく顔をしかめた、そのとき――。
「はいはい、ストップ!」
明るい声が割って入った。
二人の間に、ひょいっと入り込んできたのは、野球部マネージャーの柴崎志保だった。
「はい、一回深呼吸!」
両手を広げ、二人の顔を交互に見る。
「ほら、吸ってー、吐いてー」
「……何やってんだ、お前」
上田が呆れたように言った。
「空気、重すぎ」
志保はあっさり返す。
「見てるこっちが苦しいんだけど」
一瞬、間が空いた。
志保は気にする様子もなく、二人を見比べた。
「で?」
「結局、何でケンカしてんの?」
「ケンカじゃねえ」
上田が言い返す。
「意見の違いだ」
「同じだよ」
即答だった。
「どうせ、『どっちが正しいか』って話でしょ?」
二人は、わずかに口をつぐんだ。
志保は、ふっと笑った。
「どっちも正しいじゃん」
「は?」
上田が眉をひそめる。
「上田はさ、バッターを抑えたいんでしょ?」
「……当たり前だ」
「寛人は?」
「勝ちたいだけだ」
「ほら」
志保は肩をすくめた。
「同じじゃん」
二人とも、すぐには言い返せなかった。
志保は、少しだけ真面目な顔になった。
「やり方が違うだけで、目的は同じでしょ?」
その言葉が、静かに落ちた。
上田が視線を逸らす。
寛人も、何も言わなかった。
「だったらさ」
志保は、また少し笑った。
「協力すればいいじゃん」
上田を見て、寛人を見る。
「バッターを抑えたい人と、勝つためなら何でも取り入れる人」
そして、にっこり笑った。
「この二人が組んだら、めちゃくちゃ強そうじゃない?」
沈黙。
そのあと――。
板橋が、ぷっと吹き出した。
「……確かに」
周りからも、小さな笑いが漏れた。
張り詰めていた空気が、少しずつ緩んでいく。
上田は、深いため息をついた。
「……簡単に言うな」
「簡単だよ」
志保はあっさり答えた。
「だってさ」
寛人に目を向ける。
「寛人は、いつもちゃんと考えてるし」
今度は上田を見る。
「あなたは、ちゃんと投げられるし」
志保は、二人を交互に指さした。
「足りないところを、二人で埋めればいいじゃん」
夕方の風が、三人の間を吹き抜けた。
上田は、ゆっくりと寛人に向き直った。
「……一つだけ聞く」
「なんだ」
「お前、こんなやり方で、本気で勝てると思ってんのか?」
寛人は、少しも迷わなかった。
「ああ」
そして、まっすぐ上田を見た。
「お前とならな」
その言葉に、上田は一瞬、目を見開いた。
やがて、ほんの少しだけ口元を緩める。
「……変なやつだな」
「今さらかよ」
志保が満足そうに頷いた。
「はい、解決!」
「してねえよ」
上田が即座に突っ込む。
そのやり取りに、今度ははっきりと笑いが起きた。
グラウンドを覆っていた険悪な空気は、もう消えていた。
(……やっぱ、かなわねぇな)
板橋が、小さく呟いた。
寛人の言葉は、上田の心を揺さぶった。
けれど、二人の間にできた溝を埋めたのは、志保の何気ないひと言だった。
人をつなぐのは、正論だけじゃない。
相手の気持ちを受け止め、ほんの少しだけ空気を変えること。
そのために必要な、絶妙な「間」。
そして――。
その中心にいるのが、柴崎志保だった。




