第42話「最後の激走」
九回表ツーアウト。
走者、一塁二塁。
スコアは、2対4。
西北高校、最後の粘り。
打席には、八番・板橋。
肩で息をしていた。
八回裏。
緊急リリーフ。
慣れないマウンド。
全力投球。
もう体力は、ほとんど残っていなかった。
それでも。
板橋は、バットを握り直した。
応援席にふと、目をやる。
由希が、胸の前で手を握っている。
声は出さない。
ただ、
祈るように、板橋を見つめていた。
マウンドの三田は、帽子のつばを上げる。
額の汗を手で拭い、ニヤリと笑った。
「最後の最後に、しつこいバッターのお出ましかよ」
板橋が、睨み返す。
「さぁ、こい!」
初球。
外角高めストレート。
板橋が、思い切り振る。
ガキィン!!
ファール。
二球目。
またストレート。
空振り。
ツーストライク。
普通なら次は変化球。
だが三球目。
またストレート。
四球目も。
五球目も。
全部ストレート。
慌てる城北ベンチ。
監督が、怒鳴る。
「三田!!何をやってる!!」
「遊ぶな!!」
西郷も、マスクの奥で眉をひそめる。
――三田。
――いい加減にしろ。
だが、三田は笑っていた。
「ストレートに強ぇ奴を、ストレートで叩き潰す」
「それがオレの野球だ」
そして、八球目。
三田が、全身を使って腕を振る。
球場表示。
156km/h。
この日最速のストレート。
板橋は、完全に振り遅れた。
だが、その振り遅れが、幸いした。
カツッ!!
打球は、うまく三遊間を抜ける。
レフト前ヒット。
二塁ランナー高島が、必死に三塁を蹴る。
「回せぇぇぇ!!」
由希が、思わず立ち上がる。
高島、ホームイン。
3対4。
一点差。
そして。
一塁ランナー、白石寛人。
寛人は、歯を食いしばっていた。
左腕は、もう感覚が薄い。
呼吸も苦しい。
けど!
――オレが帰れば。
――同点。
その一心だけだった。
三塁コーチが、思い切り腕を回す。
「行けぇぇぇ!!」
寛人が、全力で三塁を蹴る。
足がもつれる。
視界が揺れる。
それでも、止まらない。
ホーム。
西郷が、送球を待つ。
レフトからの返球。
ワンバウンド。
西郷が、捕る。
寛人が、頭から飛び込む。
ドガッ!!
激しい衝突音。
土煙。
球場が、静まり返る。
一瞬、誰も動かなかった。
そして、おもむろに審判の右手が上がる。
「アウト!!」
試合終了――。
……のはずだった。
寛人が、動かない。
板橋は、悔しくて、立ち上がれないんだと思った。
苦笑いしながら、近づく。
「よくやったよ、よく走った!」
「オレたち、まだ来年があるじゃん」
「また頑張ろうぜ」
そして、少し笑って、声をかける。
「なあ寛人――」
返事がない。
板橋の顔色が、変わる。
「……お、おい」
「寛人?」
西郷も、異変に気づく。
マスクを外し、しゃがみ込む。
「おい、大丈夫か?」
反応がない。
その瞬間。
球場全体が、異常を察知した。
ざわめきが広がる。
ベンチから、久保が飛び出す。
志保も、顔を真っ青にして駆け寄った。
「寛人!!」
震える声。
寛人は、ピクリとも動かない。
志保が、肩を揺する。
「ねぇ……」
「返事してよ……」
志保の消えゆくような問いかけにも、反応のない寛人。
夏の歓声が消えた球場に、ただ不気味な静寂だけが、広がっていた。




