第40話「重い一球」
八回裏。
城北高校の攻撃。
球場の空気が、
変わっていた。
城北ベンチから漂う、
獲物を追い詰めるような圧。
打席には、
一番・神薙。
久保が、
低く呟く。
「……来るぞ」
上田が頷く。
だが。
初球。
神薙は、
バントの構えを見せた。
三塁線へ、
じわりとバットを出す。
板橋が、
一歩前へ出る。
その瞬間。
神薙が、
バットを引いた。
――バスター。
カキィッ!!
鋭い打球が、
一二塁間を抜ける。
ライト前ヒット。
球場がざわつく。
神薙は、
一塁上でニヤリと笑った。
「ようやく温まってきたな」
続く二番・北里。
またしても、
送りバントの構え。
今度は上田も、
板橋も前へ出る。
だが。
北里も、
直前でバットを引く。
同時に。
神薙がスタート。
――バスターエンドラン。
打球は、
一二塁間。
上田が飛びつく。
だが届かない。
ライト前ヒット。
神薙は、
一気に三塁へ到達。
ノーアウト一塁三塁。
球場の空気が、
一気に城北へ傾く。
打席には、
三番・恵比寿。
上田が、
悔しそうに歯を食いしばる。
久保が、
タイムをかけた。
マウンドへ、
内野陣が集まる。
久保が、
静かに言う。
「恵比寿は歩かせる」
板橋が、
目を見開く。
「マジかよ」
「次、西郷だぞ」
久保は、
ゆっくり頷く。
「わかってる」
「でも、
満塁の方が守りやすい」
上田が、
険しい顔で言う。
「じゃあ4番もオレが投げる」
その時。
後ろから、
静かな声。
「……いや」
全員が振り返る。
寛人だった。
左腕を押さえながら、
ゆっくり歩いてくる。
「西郷は――オレがいく」
志保の顔が、
強張る。
「寛人……!」
だが。
寛人は、
笑った。
いつもの、
少し困ったような笑顔。
「最後の大仕事だ」
上田が、
寛人を見る。
そして。
何も言わず、
ボールを渡した。
満塁。
四番・西郷。
球場全体が、
息を呑む。
西郷は、
静かに打席へ入った。
その目は、
ずっと寛人を見ている。
「やっぱり、
あんただったんだな」
寛人は、
軽く笑う。
「なんのことだよ」
西郷は、
それ以上何も言わなかった。
久保が、
ミットを構える。
初球。
超スローボール。
だが。
明らかに、
以前よりキレがない。
西郷は、
微動だにしない。
二球目。
スライダー。
わずかに高い。
西郷が、
フルスイング。
ファール。
板橋が、
顔を青くする。
「やべぇ……」
完全に、
合っている。
久保も、
察していた。
――もう限界だ。
寛人の左肘は、
完全に悲鳴を上げていた。
それでも。
寛人は、
首を振らない。
最後。
久保が、
外角低めへミットを構える。
シンカー。
寛人が、
全身を使って投げ込む。
だが。
ボールは。
無情にも、わずかに、
高く浮いた。
その瞬間。
西郷の目が、
鋭く光る。
――来た。
フルスイング。
カキィィィンッ!!!
嫌な音だった。
打った瞬間。
誰もが、
入ったと分かった。
打球は、
一直線。
バックスクリーンへ、
吸い込まれていく。
満塁ホームラン。
球場が、
揺れた。
城北ベンチが、
一気に爆発する。
西郷は、
ゆっくりダイヤモンドを回る。
寛人は、
マウンドの上で動かなかった。
ただ。
静かに、
打球を見上げていた。
志保が、
唇を噛む。
「……寛人」
スコアは、
4対2。
ついに、
逆転。
だが。
城北の勢いは止まらない。
次打者はフォアボール。
投げられる投手は、
もういなかった。
久保が、
苦しそうに言う。
「……板橋」
板橋は、
少し驚いた顔をしたあと。
すぐに笑った。
「しゃーねぇな!」
マウンドへ向かう。
その背中に。
由希が、
応援席から声を張る。
「頑張れー!!」
板橋が、
少しだけ手を上げた。
そして。
板橋は、
気迫だけで投げた。
フォームも、
球速も、
めちゃくちゃ。
それでも。
必死に腕を振る。
サードゴロ。
ショートフライ。
最後は、
気迫のストレートで空振り三振。
追加点は許さない。
球場から、
大きな拍手が起こる。
だが。
四点。
その失点は、
あまりにも重かった。
ベンチへ戻った寛人は、
静かに俯いていた。
左腕は、
もう感覚が薄い。
自分が、
流れを変えてしまった。
その時。
後ろから、
軽くミットが当たる。
バシッ。
上田だった。
寛人が、
ゆっくり振り返る。
上田は、
いつもの不機嫌そうな顔で言った。
「まだ試合は終わってねぇぞ」
「下向くな」
寛人は、
少しだけ目を見開く。
上田は、
それ以上何も言わず、
ベンチの前へ歩いていった。
寛人は、
小さく笑う。
「……ほんと、
不器用だな」




