第39話「静かな限界」
八回表終了。
スコアボードには、
まだ信じられない数字が刻まれていた。
西北 10100000
城北 0000000
球場全体が、
ざわついている。
甲子園常連校・城北高校。
去年、一昨年と甲子園出場。
その絶対王者が。
県立の弱小校に、
八回表まで完封されていた。
城北ベンチ。
重苦しい空気。
そして。
監督の怒声が響いた。
「お前ら!!」
ベンチ全体が、
ビクリと固まる。
「去年一回戦負けの公立相手に、
いつまでちんたらやってる!!」
誰も返事をしない。
監督は、
怒りを押し殺すように続ける。
「このチームの目標はなんだ」
静寂。
監督が、
鋭く西郷を見る。
「西郷。言ってみろ」
西郷は、
真っ直ぐ前を見たまま答えた。
「――甲子園優勝です」
監督が、
低い声で言う。
「じゃあこの状況を、
オレに分かるように説明しろ」
空気が張り詰める。
だが。
西郷は、
静かだった。
感情的にならない。
ただ。
静かに燃えていた。
「……申し訳ありません」
「ですが」
西郷は、
ゆっくり立ち上がる。
「この回で、
監督のお怒りを鎮めてご覧にいれます」
三田が、
ニヤリと笑った。
「やっとその気か」
城北ベンチの空気が、
変わる。
張り詰めた、
獣のような空気。
一方。
西北ベンチ。
こちらもまた、
限界へ近づいていた。
上田は、
ベンチへ腰を下ろしたまま、
肩で息をしている。
ユニフォームは、
汗でぐっしょりだった。
板橋が、
少し心配そうに声をかける。
「おい、大丈夫か」
上田は、
乱暴にタオルで顔を拭く。
「うるせぇ」
「これくらいでヘバるかよ」
だが。
誰の目にも、
疲労は明らかだった。
そして。
ベンチの端。
白石寛人が、
静かに左腕を押さえていた。
誰にも見えないように。
そっと。
指を開く。
だが。
うまく動かない。
ここ数イニング。
左打者が出るたび、
ワンポイントで登板。
その積み重ねが、
確実に左肘を削っていた。
痛み止めも、
もう切れ始めている。
久保が、
その様子に気づく。
「……寛人」
寛人は、
軽く笑った。
「そんな顔するなよ」
「まだ投げられる」
だが。
その声には、
いつもの余裕がなかった。
志保は、
少し離れた場所から、
ただ寛人を見ていた。
何度も。
左腕へ視線が向く。
――痛いんだ。
――もう限界なんだ。
分かっている。
でも。
「無理しないで」
その一言が、
どうしても言えなかった。
もし言ってしまえば。
寛人が、
本当に終わってしまう気がした。
寛人が、
ゆっくり立ち上がる。
そして。
グラウンドへ目を向けた。
城北高校。
そのベンチから漂う空気が、
明らかに変わっていた。
寛人が、
小さく呟く。
「……来るな」
久保も、
静かに頷いた。
「たぶん、
ここが山場だ」
球場アナウンスが響く。
『八回裏、城北高校の攻撃は――』
西北ベンチの誰もが、
無言だった。
だが。
その目だけは、
まだ死んでいなかった。




