「一塁からのサイン」
上田の先頭打者ホームラン。
その衝撃で、球場全体がざわついていた。
だが。
城北高校のエース・三田は、それくらいで崩れる投手ではなかった。
マウンド上。
帽子のつばを指で持ち上げる。
その目から、先ほどまでの余裕が消えていた。
西郷が、静かに声をかける。
「出会い頭だ」
「気にするな」
だが、三田は低い声で吐き捨てた。
「……弱小野球部のくせに」
「生意気なんだよ!」
空気が変わった。
次の瞬間。
ズバァン!!
久保のバットが、空を切る。
「ストライク! バッターアウト!」
電光掲示板に表示された球速は――154キロ。
先ほどより、さらに球威が増していた。
続く平石。
外角低めへ沈むフォーク。
バットが空を切った。
「ストライク! バッターアウト!」
平石は、呆然と打席に立ち尽くした。
「……見えねぇ」
さらに、高島。
豪快なフルスイングで食らいつく。
だが。
最後は、内角高めの剛速球。
バットはかすりもしなかった。
三者連続三振。
球場がどよめく。
三田は、何事もなかったかのようにベンチへ戻っていった。
ふてぶてしいまでのマウンドさばき。
その背中には、絶対的エースの威圧感が戻っていた。
*
西北ベンチ。
久保が、上田に近づいた。
「……爪、大丈夫か?」
上田はグラブをはめ直しながら、他人事のように答えた。
「コーティングした」
「まあ、なんとかなるだろ」
言葉ほど状態が万全ではないことは、久保にも分かっていた。
それでも。
上田の目から、闘志は消えていなかった。
「一点ありゃ十分だろ」
「お前、キャッチャーなんだから、なんとか抑えろ」
久保は苦笑した。
「投げるのお前だろ」
一回裏。
城北高校の攻撃。
打席には、一番・神薙。
俊足巧打のリードオフマンだ。
久保がミットを構える。
初球。
――コツッ。
神薙が、いきなり三塁線へ転がした。
意表を突くセーフティーバント。
「うわっ!?」
三塁の板橋が、慌てて前へ突っ込む。
素早く捕球。
すぐさま一塁へ送球した。
だが。
「セーフ!」
神薙の足が、わずかに早かった。
球場がざわつく。
「速ぇ……」
「今のでセーフかよ」
神薙はニヤリと笑い、一塁ベースからリードを取った。
上田が、マウンド上で嫌そうに顔をしかめる。
「セコいバント決めやがって……」
そのとき。
一塁ベース付近で、ファーストの寛人が静かに神薙を見つめていた。
その視線は、ただの高校生のものではなかった。
リードの幅。
重心の置き方。
一歩目を踏み出す前の、わずかな動き。
寛人は、神薙の一挙手一投足を観察していた。
――なるほどな。
映像で見たとおりだ。
俊足だけじゃない。
相手の隙を見つけ、こちらの意識が別の場所へ向いた瞬間を狙ってくる。
厄介な打者だった。
そして。
寛人は、何気ない動作に紛れ込ませるように、久保へサインを送った。
ほんの一瞬。
誰にも気づかれないほど、小さな合図。
だが。
マスクの奥で、久保の目がわずかに見開かれた。
――マジかよ。
久保は小さく息を吐く。
それから、何事もなかったかのようにミットを構え直した。
西北ベンチの誰も、まだ知らない。
この回。
寛人の読みが、試合を大きく動かそうとしていることを。




