第2.5話 「投球フォーム」
野球部のみんなが帰った後。
誰もいなくなったグラウンドで、寛人は一人、バックネットに向かってボールを投げていた。
「……ピッチャー、やるって言っちまったからな」
上田に向かって、思わずたんかを切ってしまった。
言ったからには、やるしかない。
寛人はボールを握り直した。
今の自分の体は、借り物だ。
肩や肘に負担のかかる変化球をいきなり多投するのは避けたほうがいい。
当面はスローボールを混ぜながら、無理のない投球を覚えていく。
そう考えながら、もう一度ボールを投げようとした。
「寛人、まだ帰らないの?」
突然、後ろから声がした。
振り返る。
そこには二年生の野球部マネージャー、柴崎志保が立っていた。
うろ覚えの名前を呼ぶ寛人ー虹原。
「志保……」
「みんな、もう帰ったよ」
「あぁ」
寛人は少しだけ気まずそうに頭をかいた。
「ピッチャーやるって言っちまったからな。練習しないとな」
志保は少し考えると、にっこり笑った。
「じゃあ、私がキャッチャーやってあげるよ」
「え?」
「キャッチャー」
志保は当然のように言った。
寛人は慌てて首を横に振る。
「やめとけ。硬球だぞ」
「大丈夫、大丈夫」
「大丈夫じゃないだろ」
「伊達に実家でバッティングセンターやってないわよ」
志保は平然としている。
「いいから、投球。投球」
「……お前なあ」
寛人はため息をついた。
それから志保の格好を見て、少し目をそらす。
「ちょっと待て」
「何?」
「キャッチャーやるなら、体操服に着替えてこい」
「どうして?」
「……目のやり場に困るんだよ」
制服姿の志保は一瞬きょとんとしたあと、笑った。
「細かいことは気にしない、気にしない」
「いいから着替えてこい!」
「はい、はい」
そう言って、志保は部室へ向かった。
しばらくして、体操服に着替えた志保が戻ってくる。
「お待たせ」
「よし」
志保はキャッチャーミットを構えた。
「いつでもどうぞ」
寛人は少し距離を取る。
そして――。
アンダースローのテイクバックから、サイドスローへの変則フォーム。
ゆったり腕を振る。
ボールはゆっくりと伸びていき――。
「パシッ」
糸を引くような綺麗な軌道で、志保のミットに収まった。
「……おお」
志保が目を丸くする。
「その投球フォーム」
「ん?」
「うまく言えないけど……きれいだね」
寛人は少し驚いた。
「そうか?」
「うん。寛人、いつの間にピッチャーの練習してたの?」
「……つい最近」
寛人は少し困ったように答えた。
「ふーん」
志保は深く追及しなかった。
「もう一球投げて」
「いいぞ」
寛人はボールを握り直した。
今度は少し力を入れる。
外角ぎりぎりを狙う。
「……!」
腕を振り抜いた。
「パシッ!」
さっきより速い。
志保がミットを少し動かした。
「ナイスボール!」
寛人は自分の投げたボールを見つめる。
球速は、おそらく110キロ前後。
元の体で虹原が投げていた、140キロ近いボールとは比べものにならない。
「……遅いな」
思わず呟く。
「こんなんじゃ……」
寛人は少しだけ肩を落とした。
しかし――。
志保は、そんな寛人とは対照的に、目を輝かせていた。
「やっぱり、カッコいい投げ方だね!」
「え?」
「すごくいいと思う」
志保はミットを構え直した。
「今度、家に来てストライクアウトやってきなよ」
「ストライクアウト?」
「うん。全部サービスしてあげる」
志保は笑顔で言った。
寛人は少しきょとんとしていた。
「……サンキュ」
「どういたしまして」
二人の間を、夜のグラウンドを吹き抜ける風が通り過ぎていく。
静かな校庭に、遠くから風の音だけが聞こえていた。
寛人はもう一度、ボールを握った。
まだ、投げ始めたばかりだ。
それでも――。
ここから始めればいい。
夜のグラウンドには、心地よい風が吹いていた。
寛人が投手になるための練習と志保のエピソードを加筆しました!




