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「リリーフ〜春風」  作者: わたぬきたぬき


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24/53

「願いはただ一つ」

八回裏。


上田の走者一掃の二塁打で、西北はついに6対5と逆転した。


ベンチは歓声に揺れていた。


だが、その中心にいる板橋だけは、すでに限界に近づいていた。


肩で息をし、帽子のつばから汗が滴り落ちる。


何度も膝に手をつきながら、それでも「まだ行けます」と言い張る。


その姿は、執念そのものだった。


寛人は、そんな板橋の背中をじっと見つめていた。


(……こいつ、本当に全部出し切る気だな)


九回表。


西北は、なおも板橋をマウンドへ送り出した。


スタンドから大きな拍手が沸き起こる。


板橋は帽子のつばに手をかけ、ゆっくりと顔を上げた。


だが、先頭打者にフォアボールを与える。


続く打者にはセンター前ヒット。


さらに進塁打で、ワンアウト二塁、三塁。


そして、打席には相手の三番、蓮根。


大会屈指の左の強打者だった。


この日も、ここまで三打数三安打。


一打逆転の場面で、最も迎えたくない打者だった。


西北ベンチの空気が変わる。


上林監督が、ゆっくりと立ち上がった。


代打で途中出場した寛人は、この回から一塁の守備についていた。


左肘の状態は、相変わらずよくない。


投げられるとしても、せいぜい二人。


三番と四番。


相手の中軸を抑えるためだけの、最後の登板だった。


マウンド付近では、板橋が悔しそうに唇を結んでいた。


けれど、その表情には、どこか安堵の色も浮かんでいた。


「……悪い。頼む」


かすれた声だった。


寛人は小さく首を振る。


「十分だって。ここまでよく一人で投げたな」


板橋は、力なく笑った。


「はは……最後くらい、かっこつけたかったんだけどな」


「いや、普通にかっこよかったし」


板橋が、少しだけ目を見開いた。


それから照れ隠しのように帽子のつばを下げ、寛人にボールを手渡した。


「……じゃあ、あと頼んだ」


「任せろ」


寛人は短く答え、マウンドで地ならしを始めた。


アナウンスが球場に響き渡る。


「西北高校、守備の変更をお知らせします」


「ピッチャー、板橋君に代わりまして、ファーストの白石君がピッチャーに入ります。板橋君はサード、サードの保坂君がファーストに入ります」


スタンドから歓声が上がった。


けれど、寛人の耳には、どこか遠く聞こえていた。


左腕を軽く回す。


肩は重い。


肘の状態も、決してよくない。


それでも、やるしかなかった。


(……二人だけだ)


三番と四番。


この二人を抑えれば、勝てる。


応援席では、志保が胸の前で両手を強く握り締めていた。


周囲から、声援が飛ぶ。


「抑えろー!」


「いけるぞ、白石ー!」


「三振取れー!」


けれど、志保の耳には、ほとんど入っていなかった。


視線の先にあるのは、マウンドで投球練習する寛人の背中だけ。


挿絵(By みてみん)


その投げ方が、いつもよりほんの少し重いことに、気づいてしまったから。


志保は唇を噛んだ。


(お願い……)


勝ってほしい。


抑えてほしい。


そう願うはずだった。


けれど、本当の気持ちは違っていた。


(……無事でいて)


その想いだけが、胸いっぱいに広がっていく。


(もう、無理しないで……)


寛人は、いつも大丈夫そうに笑う。


苦しくても、平気な顔をする。


だからこそ、怖かった。


このままマウンドで倒れてしまうのではないか。


誰にも苦しさを打ち明けないまま、自分を追い込んでしまうのではないか。


志保は祈るように、両手を握り締めた。


歓声に包まれたスタンドで、小さく呟く。


「……寛人」


その声は、喧騒の中に消えていった。


けれど、そのとき。


風が、一瞬だけ揺れた気がした。


マウンドに立つ寛人が、ほんのわずかに応援席へ視線を向ける。


そして、静かに息を吐いた。


打席には、三番打者の蓮根。


左の強打者は、不敵な笑みを浮かべた。


「また野手上がりか。舐められたもんだな」


寛人は答えなかった。


ただ、静かにボールを握り直す。


そして、ゆっくりとセットポジションに入った。


左肘の奥に、鈍い痛みが走る。


それでも、寛人の意識は不思議なほど澄み渡っていた。


その瞬間――。


プロ野球選手、虹原。


その記憶が、寛人の左腕の奥で、静かに目を覚まそうとしていた。

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