第21話「最後の一球」
九回裏。
スコアは、6対5。
西北高校、一点リード。
だが。
状況は最悪だった。
一死二、三塁。
一打逆転。
マウンドには、白石寛人――虹原。
左肘は、もう悲鳴を上げていた。
汗が止まらない。
指先の感覚も薄い。
久保がマウンドへ駆け寄る。
「……変化球、いけるか?」
寛人は、小さく首を振った。
もう無理だった。
スライダーも。
シンカーも。
まともには投げられない。
「ストレートだけで行く」
そう言ったものの。
そのストレートですら、
110キロ少ししか出ていなかった。
久保が苦い顔をする。
だが。
寛人は、ふっと笑った。
「まぁ、なんとかなるだろ」
強がりだった。
それでも久保は、何も言わずマスクを被り直す。
打席には、三番・蓮根。
相手校の主軸。
スタンドがざわつく。
誰もが、西北の限界を感じていた。
寛人は、ゆっくり振りかぶる。
投げた。
ふわり。
山なりの超スローボール。
「……っ!?」
蓮根のバットが空を切る。
球場がどよめいた。
続く二球目も。
また超スローボール。
タイミングが合わない。
速い球を待っていた身体が、
逆に狂わされる。
三球目。
また遅い。
蓮根が思わず舌打ちする。
「なめてんのか……!」
だが。
寛人は違った。
もう。
これしかなかった。
左肘をごまかしながら、
打者の感覚だけを狂わせる。
それが最後の手段だった。
カウント、ワンボール、ツーストライク。
久保のミットが、
内角低めに構えられる。
寛人は、小さく息を吐いた。
(これで最後だ)
左肘が焼けるように痛む。
それでも。
腕を振った。
インコース。
110キロのストレート。
だが。
散々スローボールを見せられた後では、
異様に速く見えた。
蓮根のバットが遅れる。
「しまっ――」
ズバンッ!!
久保のミットに収まる。
主審の右手が上がった。
「ストライク!!」
三振。
球場が揺れる。
西北ベンチが沸き上がる。
だが。
寛人は、マウンドの上で小さく肩で息をしていた。
もう限界だった。
そして。
打席に入る四番・志村。
相手の主砲。
志村は、静かに白石を見る。
(……なるほどな)
すぐに分かった。
白石は、本調子じゃない。
変化球が投げられない。
だから。
あの異常なスローボールで誤魔化している。
志村は、ゆっくりバットを構えた。
(狙うなら、あれだ)
初球。
また、ふわりと浮く超スローボール。
志村の目が鋭く光る。
振り抜いた。
快音。
痛烈な打球が、
三塁線へ一直線に飛ぶ。
抜けた。
誰もがそう思った。
だが。
「うおおおおっ!!」
横っ飛び。
この回から三塁守備についていた板橋が、
身体を投げ出す。
土煙。
伸ばしたグラブ。
バシィッ!!
打球が収まる。
板橋が、そのまま倒れ込む。
一瞬。
球場の時間が止まった。
そして。
審判の声が響く。
「アウト!!」
試合終了。
西北ベンチが爆発した。
「うおおおお!!」
久保が拳を突き上げる。
上田が飛び出す。
由希も涙目で拍手している。
板橋は、みんなにもみくちゃにされていた。
歓声。
夏空。
勝利。
その中心で。
寛人は、静かに笑っていた。
だが。
その顔色が、
明らかに悪いことに気づいていたのは。
ただ一人。
志保だけだった。
皆が喜ぶ中。
志保は、応援席の端で、
白石寛人を見つめていた。
左腕を、
ほんの少しかばう仕草。
無理に笑っている横顔。
その姿に。
胸が、ざわつく。
(……寛人)
夏の歓声の中で。
志保だけが、
静かに不安を抱えていた。




