第15話「お前は黙ってろ」
三回戦当日。
西北ベンチには、重い空気が流れていた。
ブルペン。
上田が、右手を見つめている。
中指には、分厚いテーピング。
一球。
投げる。
――ぱしっ。
ミットには届く。
だが。
着地した瞬間。
上田の顔が歪んだ。
「……チッ」
握ったボールに、血が滲む。
割れた爪が、また開いていた。
久保が、静かに眉をひそめる。
上田は、もう一球投げようとして――
「やめとけ」
久保が止めた。
「これ以上やったら、本当に終わる」
上田が、悔しそうに舌打ちする。
「……クソが」
その少し後ろ。
白石寛人――虹原も、静かに肩を回していた。
左肘が重い。
昨日より悪い。
それでも。
投げるしかないと思っていた。
上林監督が、白石を見る。
「白石」
「行けるか」
短い問い。
寛人は、一瞬だけ黙って。
「……投げます」
そう答えた。
その瞬間。
「ダメです」
低い声が飛ぶ。
全員が振り向く。
久保だった。
上林監督が、目を細める。
久保は、真っ直ぐ監督を見たまま言う。
「今の白石、調子最悪です」
寛人の眉が、わずかに動く。
久保は、続けた。
「使えても、一人か二人です」
「ワンポイントが限界です」
ベンチが静まり返る。
寛人が、口を開こうとする。
「いや、俺は――」
だが。
「お前は黙ってろ」
久保が、一喝した。
鋭い声。
寛人が、言葉を止める。
久保は、監督から目を逸らさない。
「昨日からずっと庇って投げてます」
「このまま先発なんかさせたら、本当に壊れます」
静かな口調。
でも。
その目は、本気だった。
寛人は、少し俯く。
(……こいつ)
気づく。
久保は、分かっている。
自分が無理をしていることも。
投げたがっていることも。
全部分かった上で。
あえて、自分が悪者になっている。
監督に逆らう形になってでも。
寛人を止めようとしていた。
沈黙。
やがて。
上林監督が、小さく息を吐く。
「……分かった」
短く答える。
寛人は、わずかに拳を握った。
悔しい。
でも。
どこか、少しだけ救われてもいた。
久保が、寛人の横を通り過ぎる。
すれ違いざま。
小さく言った。
「後で出番は来る」
「その時、頼んだぞ」
寛人は、顔を上げる。
久保は、振り向かない。
ただ、いつものようにマスクを被った。
その背中を見ながら。
寛人は、小さく息を吐く。
「……勝手なこと言いやがって」
でも。
その声は、少しだけ柔らかかった。
そして。
上林監督が、ゆっくり視線を動かす。
「板橋」
突然名前を呼ばれ。
サード付近で準備していた板橋が、振り返った。
「お前、リトルで投手やってたな」
板橋の表情が固まる。
「……いや」
嫌な予感が、全身を走る。
上林監督は、静かに言った。
「今日、先発行け」
夏の空に。
重い沈黙が落ちた。




