第9話 紅の夜明け -1
翌日、ログインした直後にメッセージが届いた。
[リーシャ]:「ジンさん、場所変更ね。シルヴァニアの南門前に集合でお願い」
[ジン]:「ルミナスエデンじゃなかったのか」
[リーシャ]:「呼んだら『行かない』って返ってきたわ」
[ジン]:「……」
[リーシャ]:「だからこっちから行くって言っておいた。文句は言われなかったから、実質OKよ」
実質OKとは何なのか。
とりあえず転送ゲートへ向かい、シルヴァニアを選択する。
視界が切り替わった瞬間、空気が変わった。
熔岩洞窟の熱気とも、バステトの乾いた風とも違う。
湿り気を帯びた、緑の匂いのする空気だった。
『シルヴァニア』。
翠明の聖樹国。
街そのものが一本の巨大樹の根元に抱かれるように築かれていて、見上げれば天蓋のように広がる枝葉の隙間から、細い光の筋が幾条も差し込んでいる。
回復魔法と錬金術の聖地。
ヒーラー職の多くがここを拠点にしている街だ。
「うわぁ……!」
隣で、感嘆の声が上がった。
先に着いていたミナが、首が痛くなりそうな角度で聖樹を見上げていた。
「一度来てみたかったんです、ここ」
「初めてなのか」
「はい。クレリックなら一度は来るべき、って言われてて」
そのミナの後ろで、リーシャが呆れたように腕を組んでいた。
「さっきから、ずーっとこの調子よ。三十分待たされてるアタシの身にもなってほしいわね」
「リーシャだって、着いた時に葉っぱの写真撮ってたじゃない」
「撮ってないわよ」
「撮ってました」
いつものやりとりのようだ。
俺は苦笑しながら周囲を見回した。
「で、そいつはどこにいるんだ」
「そこよ」
リーシャが顎で示した先。
南門から少し外れた、聖樹の根が地面から大きく隆起している場所。
その根の陰に、一人の剣士が座っていた。
黒い髪を高い位置で括り、目を閉じている。
纏っているのは紅い着物だった。
緑一色のこの街の中で、その赤だけが異物のように鮮明に浮かび上がっている。
腰には、拵えの落ち着いた一振りの刀。
小柄だ。細身で、線が細い。
それでいて、座っている姿勢に一切の崩れがない。
顔立ちは中性的で、男か女か判断がつかなかった。
まあ、この世界では珍しくもない。
「ナギ」
リーシャが声をかけると、目がゆっくりと開いた。
「……来たのか」
「来たわよ。言ったでしょ」
「……そうだったな」
低くも高くもない、平坦な声だった。
ナギは立ち上がり、俺とミナに視線を移す。
「紹介するわ。タンクのジンさんと、ヒーラーのミナ」
「ジンだ。よろしく頼む」
「は、はじめまして! ミナです!」
「……ナギだ」
それだけだった。
続く言葉を待ったが、来なかった。
「で、ナギ。昨日の話だけど」
「断る」
リーシャが言い終わる前に、返事が返ってきた。
「あら、早いわね」
「固定は組まない。前にも言った」
「理由は?」
「……合わない」
ナギは短く言って、視線を落とした。
「あのねぇ……。合うか合わないかは、やってみないとわからないでしょ」
「わかる」
即答だった。
「合わないことは、わかっている。だから組まない」
妙な言い方だった。
組んでみないとわからない、じゃない。組まなくてもわかる、と言っている。
「ちょっと待て」
俺は口を挟んだ。
「合わないってのは、誰と誰の話だ」
「……」
ナギの視線が、初めて真っ直ぐ俺を捉えた。
黒い目が、俺の背に負ったシリンダーカリバーを一度なぞる。
「その剣。爆発を使うのか」
「ああ。反動で動く。避けるためのな」
「……そうか」
ナギは小さく息を吐いた。
それから、聖樹の根の向こう側を指した。
太い根の間に、ぽっかりと口を開けた石造りの入口がある。
「『聖樹の根墓』。この下だ」
「フリーダンジョンね。アンデッドの巣窟よ」
リーシャが補足する。
「一度、潜る」
ナギは刀の位置を直しながら言った。
「説明はしない。組めばわかる」
そう言って、返事も待たずに歩き出した。
「……あれで通じると思ってるのよ、あいつ」
リーシャが額を押さえた。
「まぁ、いいじゃないか。潜るってんなら潜ろう」
「ジンさん、随分あっさりしてますね」
「言葉より手を動かすタイプは嫌いじゃない」
俺は肩をすくめて、その背中を追った。
『聖樹の根墓』は、名前の通り聖樹の根に喰い込むように掘られた地下墓所だった。
石壁のあちこちから太い根が突き破って垂れ下がり、青白い燐光を放つ苔がわずかな光源になっている。
地上の清浄な空気とは打って変わって、ここには澱んだ気配が満ちていた。
「聖地の真下が墓場ってのも、皮肉な話ね」
「弔われた人が、根に還るって考え方らしいですよ」
ミナが言った。
「聖樹はここに眠る人たちを養分にして育つんだって。……養分にされたくない人が、たまに起き上がるみたいですけど」
言い終わるより早く、通路の奥で骨の擦れる音がした。
朽ちた法衣を纏った骸骨が三体、青白い眼窩の光をこちらへ向けている。
『ボーン・アコライト』。
「アンデッドですね。任せてください、光魔法が通ります」
「頼む」
俺は前に出た。トリガーに指をかける。
ドォンッ!
爆鳴が狭い地下通路に反響し、骸骨たちの動きが止まる。
三対の眼窩が、一斉に俺を向いた。
「行きます! グレアム!」
光弾が飛び、一体の胸郭を撃ち抜く。
アンデッド相手の光属性は、思っていた以上に効いた。
それだけで一体が崩れ落ちる。
俺は残る二体の間に爆風で滑り込み、片方を斬りつけた。
その時――赤が、視界の端を走った。
ナギだった。
音がなかった。
足音も、抜刀の音すらも。
気づいた時には既に骸骨の背面に回り込んでいて、刀が閃いている。
シャッ。
斬撃は一度では終わらない。
半身を回して二の太刀、踏み替えて三の太刀。
それぞれの太刀筋が、明らかに違う角度から入っていた。
「へぇ」
思わず声が漏れる。
綺麗だ、と素直に思った。
ブレードマスターの型は、斬る方向まで決まっている。
背面、側面、そしてまた背面。順番を一つ外せばコンボは切れて、最初からやり直しだ。
面倒くさいにも程がある。
それを外さずに繋ぎ切っている。
――だが。
「ジンさん、後ろ!」
ミナの声。
背後の通路から、さらに二体。
考えるより先にトリガーを引いていた。
ドォンッ!
爆風で身体を反転させ、新手の前へ割り込む。
爆音が響き、五体すべてのヘイトが俺に集まった。
集まってしまった。
視界の隅で、赤い影が動きを止めていた。
ナギが斬りつけていた骸骨が、俺の方へ身体を向けたのだ。
背面を取っていたはずのナギは、その瞬間、正面に立たされていた。
刀が、途中で止まる。
「……」
ナギは何も言わなかった。
半歩下がり、間合いを取り直し、また最初の型から刻み始める。
そういうことか。
俺が動けば、敵の向きが変わる。
向きが変われば、こいつの型は繋がらない。
「ジンさん! 数が増えます!」
思考を中断させられた。
通路の奥、そして横穴からも、骸骨がぞろぞろと這い出してくる。
数が多い。フリーダンジョンの湧きにしても多すぎる。
「はいはい、面倒ね。【スパーク】!」
リーシャの紫電が広がり、群れの動きが一瞬鈍った。
その隙に俺は爆風で大きく跳び、通路の広がった場所――大部屋へ群れごと引き込んだ。




