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第22話 Beneath the Mask


刃を研ぐのは、一日の最後と決めている。


厨房の他の音が全部落ちてから、砥石に水を張る。

店主が上がって、洗い場も止まって、換気扇だけが回っている時間。


刃を寝かせる角度は、指の腹で覚えている。

前へ押して、引く。同じ角度、同じ圧、同じ速さ。

一度でも狂えば、そこだけ刃が落ちる。


三十本近くを研ぎ終える頃には、日付が変わっていることも多い。


誰にも言ったことはないが、私はこの時間が一番好きだ。


「お先です」


そう声をかけて店を出る。

それが今日の、私が発した最後の言葉になる日も珍しくない。


家に戻って、シャワーを浴びて、ヘッドギアを被る。


『シンクロ・リンク、スタート』


視界が切り替わった先で、私は刀を提げている。

包丁と刀の違いは、私にとってそれほど大きくない。

どちらも、同じ角度で同じ速さで振らなければ意味がないものだ。


「あ、ナギさん! こっちです!」


ルミナスエデンの噴水広場で、ミナが手を振っていた。


「今日で最後ですもんね、あのダンジョン」

「……そうだな」

「私、ちょっと寂しいです」


そういうことを臆面もなく言う。

この子はいつもそうだった。


「寂しがってる場合じゃないでしょ! 今日中にあと何周できるか勝負よ!」


リーシャが指を鳴らした。


「素材があと三つ足りないの。ミナの杖が更新できないわ」

「私のですか!?」

「あなた、この二週間ずっと自分の装備後回しにしてたでしょ」


図星だったらしく、ミナが黙った。


「よう。揃ったか」


遅れてジンが転送陣から現れる。


「悪い、仕事が長引いた」

「最終日に残業してくるんじゃないわよ」

「言ってやるな」


四人が揃うと、リーシャがすぐに歩き出す。

誰も打ち合わせをしない。もう必要がない。


『沈鐘の海楼』の第一層に降りて、私たちは無言で配置についた。


ゲート・センチネル。

初めて相対した時、私たちはこいつに手も足も出なかった。


「行くぞ」


ドォンッ!


ジンの爆音が、静まり返った回廊に叩きつけられる。

センチネルの関節が一気に光り、閂の腕が唸りを上げた。


私はもう、その速度に驚かない。


「【霞】」


背面。ジンが引きつけている間に、一の太刀。


「側面!」

「【流】」


半歩分だけ、敵の向きが回る。

ジンが爆風で位置を変えた結果だ。声より先に、私の身体はもう動いている。


「そのまま!」

「【陰】」


三の太刀。


「――【月輪】」


装甲が割れる。


ジンが残る三発をゼロ距離で叩き込み、機械の門番はその場に膝をついた。


四十秒。

初回は五分近くかかった相手だ。


「早っ。ねえ今の四十秒切ってない?」

「切ってないですね。四十二秒です」

「なんで測ってるのよ」


慣れる、というのはこういうことらしい。

最初にこの回廊で立ち往生した四人と、今の四人は同じ顔ぶれのはずだが、動き方がまるで違う。


第二層のグレイヴ・イールも、同じだった。


「装置、アタシとミナで回すわよ」

「はい! セフィラ置いていきます」

「二人抜けても保つか」

「保たせろ」


私が言うと、ジンは笑った。


「言うようになったな」

「事実だ」


回復のない三十秒を、ジンは一度も被弾せずに凌ぐ。

私はその間、ただ拍を聞いて刻む。


考えることが、ほとんどなくなっていた。


そして第三層。


四方の壁の向こうに、黒い海がある。

台座の上で、アビサル・ソヴリンが右腕を装置に差し込んでいる。


何度見ても、この光景だけは慣れなかった。


「近接は台座側!」

「【霞】」


水が噴き出す。足首、脛、膝。

その速度も、もう身体が覚えている。


ジンが正面を引き受け、私が背後を刻む。

リーシャの氷が接合部を焼き、ミナが全快を撃つ。


「――【残月】」


一閃。


駆動軸が根元から落ち、灰緑の巨体が膝をついた。


そして、いつものように。


崩れかけたソヴリンの手が、台座の方へ伸びる。


攻撃するためではない。差し込むために。

届かず、その手は氷の上を滑って止まる。


「クリア! お疲れさま!」


リーシャの声が響く。


「ナギ、素材出た?」

「……出た」

「よし、これでミナの杖いけるわ!」


「ああ」


返事をしながら、私はまだ台座を見ていた。


十七周。この二週間で、こいつを十七回倒した。

そして十七回とも、同じところで同じ動きをする。


「ナギさん?」


ミナが覗き込んできた。


「どうかしました?」

「……いや。よく動くな、と思ってな」

「ああ、モーションですか。ARって細かいですよね」

「そこは本当に凝ってるわよねぇ」


リーシャが装備をあさりながら言った。


「雑魚敵もちゃんと個別に動いてるもの。第二層の貝とか、近づくまで殻すら開けないでしょ」

「町のNPCもですよ。時間で行動変わりますし」

「あー、パン屋のおばさんね。夜に行くと店じまいしてるのよ」

「あそこの掛け合い、朝と夜で全部違うんです」

「よくそんなの見てるわね」


私は刀を納めた。


イベントの終了は、その日の二十四時だった。


私たちは噴水広場に戻り、更新された装備を確認していた。


「見て見て、ミナの杖! 白いのに先っぽだけ青いのよ!」

「わ、ほんとだ……綺麗」

「アタシのコートも新調したわ。どう?」

「裏地の紫、前より濃いですね」

「気づいた? そこが一番の売りなの!」


女性陣二人が装備の話で盛り上がっている。

ジンはその横で、噴水の縁に腰を下ろしていた。


「ナギ」

「……なんだ」

「二週間、悪くなかったな」

「そうだな」


それだけの会話だった。

だが、それで足りていた。


固定を組んで、二週間。

私は一度も、型が崩れる不安を覚えなかった。


一年前、リーシャに誘われて断った時。

その前も、その前も。

誰と組んでも、私の型は最後まで繋がらなかった。


繋がらないのは相手のせいではない。

私が要求するものが、多すぎるだけだ。

そう思っていた。


「ねえ、そういえばさ」


リーシャが顔を上げた。


「みんな、来週のアップデート情報見た?」

「見てない」

「私も見てないです」

「ナギは?」

「……見ていない」


リーシャは呆れたように息を吐いてから、メニューを開いた。


「レイド、来るわよ」


ジンが顔を上げた。


「半年ぶりね。しかもリヴァイアが舞台ですって」


「リヴァイアってことは、海か」

「たぶんね。あの神獣、蛇みたいなやつでしょ」

「リヴァイアサン、ですよね。扉に彫ってありました」


ミナが手を打った。


「じゃあ、あの遺跡と関係あるんでしょうか」

「あるんじゃない? 繋げてくるのが好きよね、運営」


なるほど、と思った。

あの遺跡で見たものが、そのまま次のコンテンツに繋がる。

よくある話だ。


だが、悪くない。


「八人だぞ、レイドは」


ジンが言った。


「あと四人、どうする」

「そこよね」


リーシャが唸った。


「まあ、なんとかするわ。……アタシに任せなさい」


その言い方に、私は少しだけ嫌な予感がした。

この女がこう言う時は、たいてい既に何か動いている。


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