第15話 Don't be afraid -2
「なのに、間に合わないんです」
ミナはそう言って、聖杖を抱え直した。
回廊の隅は静かだった。
苔むした石壁に、四人分の影が伸びている。
「原因、心当たりある?」
リーシャが屈み込んで、ミナと目線を合わせた。
「……たぶん、見る場所が増えたからだと思います」
ミナは少しだけ考えてから、そう答えた。
「ジンさんと二人の時は、ジンさんだけ見てればよかったんです。次にどこへ跳ぶか、いつ避けるか、それだけ」
「今は?」
「ジンさんと、ナギさんと、リーシャと、敵の数と……」
並べているうちに、声が小さくなっていく。
「全部見ようとして、全部が半拍ずつ遅れてます」
なるほどな、と思った。
数字はどこも減っていない。減っているのは、こいつの中の余白だ。
「アタシの詠唱まで見てたの?」
「見てました。中断させたくなかったので」
「……そりゃ遅れるわ」
リーシャが額を押さえた。
「あのねミナ。アタシの詠唱はアタシが管理するの。あなたが見なくていいのよ」
「でも」
「でもじゃないわよ!」
珍しく、リーシャの声が強かった。
「あなた一人で四人分見てたら、そりゃ潰れるわ。……全部背負う癖、直しなさい」
ミナが口を閉じた。
言い返せない、という顔だった。
「ジンさん」
リーシャがこちらを向く。
「あなたはどう思う?」
「同意見だ。だが」
俺は少し考えて、続けた。
「ミナが全部見ようとしたのは、そうしないと回らなかったからだろ。二人の時は、それで正解だった」
「……そうね」
「悪い癖ってのは、たいてい昔うまくいったやり方だ」
ミナが顔を上げた。
「だから、やり方のほうを変える」
俺は指を一本立てた。
「一つ。俺の位置はミナが読む。これは今まで通りでいい」
「はい」
「二つ。ナギの型は、俺が声で合わせる。ミナは見なくていい」
「……でも、ナギさんが崩れた時に」
「崩れたら俺が言う。お前が気づくより早い」
ナギが石壁から背を離した。
「その通りだ」
短い。だが、はっきりした肯定だった。
「私はジンの拍を聞いている。あなたが見る必要はない」
俺は三本目を立てた。
「三つ。リーシャの詠唱はリーシャが宣言する」
「はいはい、了解よ」
リーシャが軽く手を挙げた。
「残り何秒か、こっちから言うわ。それなら聞くだけで済むでしょ」
「四つ」
四本目を立てた。
「敵の数はリーシャが数える。ミナは数えなくていい」
「アタシ、仕事増えてない?」
「後衛の特権だ」
「言うわね」
リーシャが笑った。
ミナは、立てられた四本の指をじっと見ていた。
「……私、ジンさんだけ見てればいいってことですか」
「そうだ」
「それで、いいんですか」
その聞き方に、少しだけ引っかかった。
足りないと言われるより、足りなくていいと言われるほうが不安なんだろう。
こいつは前のパーティーで、余計なことをするなと言われて切られている。
今度は、見なくていいと言われている。
言葉の形だけなら、似ていなくもない。
「ミナ」
「はい」
「余計なことをするな、って意味じゃないぞ」
ミナの肩が、わずかに動いた。
「お前が四人分見られるのは知ってる。実際やってた。だが四人分を半拍遅れで見るより、一人分を先に見るほうが強い」
「……」
「俺が避けられるかどうかは、お前次第だ。それ以上の仕事があるか?」
しばらく、返事がなかった。
やがてミナは、聖杖を握り直して立ち上がった。
「……ないです」
「そうだろ」
「はい」
顔が上がっていた。
さっきまでの、どこか追い詰められたような表情は消えている。
「じゃ、試しましょうか」
リーシャが長杖を担いだ。
「上層まで行けば、ゴーレムがいるでしょ」
『アーマード・ゴーレム』。
以前と同じ大部屋に、以前と同じ姿で待っていた。
分厚い装甲。両腕のハンマー。
「残り二十秒から刻むわ」
リーシャの声。
言われた通り、詠唱の秒数を先に宣言してくる。
「敵は一体。増援なし。ジンさん、任せた」
「ああ」
俺は前に出た。装填、六発。
ドォンッ!
爆音。ゴーレムの巨体が、こちらへ向き直る。
「ナギ、左へ!」
「【霞】」
背面に一の太刀。
ハンマーが振り下ろされる。
爆風で身体を横へ流し――
「アイギス!」
光が、先に置かれていた。
早い。
昨日までと同じ、いや、それより早い。
「側面!」
「【流】」
二の太刀。俺は爆風で半歩分だけ敵の向きを回す。
「そのまま!」
「【陰】」
三の太刀。
「【月輪】」
四つ目が、真上から落ちた。
装甲に亀裂が走る。
「残り十秒!」
リーシャの宣言。
秒数がわかっていれば、あとどれだけ耐えればいいかが逆算できる。
ゴーレムが両腕を振り上げた。
以前、この一撃でHPを半分持っていかれたやつだ。
「――3……2……1」
カウントを刻む。
視界の端で、赤が動いた。俺が言う前に、もう回り込んでいる。
拍を聞いている。
爆風で身体を捻り、ハンマーの間を抜けた。
石床が砕け、破片が頬を掠める。
「セフィラ!」
削れた分が、即座に戻る。
「残り三秒!」
「ナギ、正面は空けろ!」
「――ああ」
赤い影が、俺の反対側へ完全に抜けた。
「――【グレイシャル・ノヴァ】!」
蒼白い奔流が大部屋を貫き、ゴーレムの装甲を凍てつかせる。
亀裂の走った箇所が、白く濁って脆くなった。
「今だ!」
俺は残る三発を装甲の亀裂へ叩き込んだ。
ドォンッ! ドォンッ! ドォォンッ!
砕けた装甲の下から、駆動核が露出する。
「ナギ!」
「――【残月】」
音は、ほとんどしなかった。
縦に断ち割られた核が明滅し、ゴーレムの巨体がゆっくりと膝をつく。
そのまま、光の粒子となって崩れていった。
大部屋に、静けさが戻る。
「……はやっ」
リーシャが呆然と呟いた。
「前は何分かかったんですか、これ」
「十五分は粘ったな」
「今、五分経ってないわよ!」
言われて、俺も自分で驚いた。
四人になった、というだけの話じゃない。
やることが減った分だけ、全員が自分の仕事だけをやっている。
それだけで、こうも変わるものらしい。
「ミナ」
「はい!」
返事が、遅れなかった。
「どうだった」
「……楽でした」
ミナは自分の言葉に少し驚いたような顔をして、それから笑った。
「すごく、楽でした。ジンさんだけ見てればいいって、こんなに楽なんですね」
「だろうな」
「私、ずっと難しいことしてたんだって、今わかりました」
リーシャが横から手を伸ばして、ミナの頭を軽く小突いた。
「気づくのが遅いのよ!」
「痛いです」
「痛くないでしょ!」
ナギは刀を納めながら、ミナの方を見ていた。
「ミナ」
「はい?」
「……よかった」
それだけ言って、また黙る。
ミナが「え、あの」と戸惑っている間に、もう歩き出していた。
「あいつ、褒めるの下手すぎるでしょ!」
「褒めてたのか、今の」
「褒めてたのよ」
リーシャは笑って、それから空を見上げた。
崩れた天井の隙間から、ゲーム内の星空が覗いている。
「さて。明日はいよいよね」
「明日か」
四日と言われた日が、いつの間にか明日になっていた。
「『沈鐘の海楼』。リヴァイア沖の遺跡よ」
リーシャが指を鳴らした。
「解放は二十一時! 全員、時間までにログインしなさいよ!」




