20 西の英雄 1
難産でした(汗)
手元にある報告書を一読して、そして街を包囲して攻めて来るはずの討伐軍が居なくなるという現実。
西の英雄で有り、神の使徒であるクラリス・ノーランドは、夜更けの自室で今の状況を確認した。
彼女の予想では、こうやってのんびりする時間などなく、今頃は忙しなく討伐軍の対応に追われている未来が待っていると思っていたのに、こうやってのんびりと書類を眺め、平穏を享受できている。
「風向きが変わりましたね」
それはこの部屋だけの平穏ではなく、この街全体が平穏に包まれている。
窓の外を見れば、敵の居ない夜にふさわしい静かな闇が広がっている。
警戒要員として城壁の上には今もなお働いている兵士がいるが、戦時と比べればその配置している人員も少なく、緊張度合いも比べ物にならないほど穏やかである。
元老院に対して反抗すると決意したあの日。
精霊に対して行ってはいけない禁忌を犯している元老院の不正を知り、それを告発しようとしたら罪を着せられて反逆者のレッテルを貼られた。
事実無根の罪をでっちあげられ、この大陸の民の大半は私を逆賊として非難した。
私を信じる仲間とともに、自分が治めていた街に戻って来て、耐え忍ぶ日々。
周囲に味方はおらず、離反者も少なくなかった。
街を囲む敵は多く、それらを率いる元老院の権力は絶大。
何せこの大陸の支配者なのだ。
自分の行っていることが神に誓って正しくとも、白を黒と断じその通りにしてしまう力が向こうにはあった。
神の使徒という名誉ある称号だけではその力に抗うことは叶わず、その絶大な権力の前に、いくばくかの抵抗が限界だった。
「その風向きの変え方は、少々どころでは済まないくらいに強引なやり方が、いかにもあの方らしいですが」
しかし、そのわずかな抵抗でも時間を稼げたことが逆転の足掛かりとなった。
神の啓示に従いリベルタという少年と出会えたのは、今思えば望外の幸運だったのかもしれない。
私があのまま成長していても決して手に入れることができないであろう実力を手に入れることができた。
そしてその力は配下にも及び、そのおかげもあって権力にすりつぶされることなく、街に籠城し耐えることができた。
「世界樹、いえ、ワールドツリーの真実。元老院の行おうとしていたこと。この大陸で起きている事象。あの方はどこまで見えているのでしょうか」
一縷の望みを信じて、師匠に救援を請うたのは、ほぼ賭けだった。
他の大陸の、それこそ、ひとつの街を治めているだけの少年に助けを求める。
それは神に遣わされた英雄としておかしなことなのかもしれないが、この状況を打開する方法がそれ以外に思いつかなかった。
神託の英雄という名の下に、元老院に反抗すると決意し呼びかけたことにより人は集まった。
しかし、その名声にも良し悪しがあった。
クラリスを支えるために集った兵士たち、街を善政で治めていた実績もあり民からも慕われている。
そこまでは良かったとクラリスも安堵したのだが、善良な人たちの好意が時に首を絞める結果となることもある。
元老院の広げる話を信じられず、クラリスの元に集う民が想像以上に多かったのだ。
「普通に考えれば、元老院の包囲網が敷かれている状況で救援が間に合うとも思いませんでした。救援を求められれば、あの方なら私の想像の付かない方法で何とかしてくれるとは思っていましたが、まさかここまで詰みかけた盤面をひっくり返してみせるとは」
街には食料を生産するための畑もあれば、牧場もある。
しかし、各街に収容できる人口には限界がある。
そうなるように設計されたのがこの大陸の街で、クラリスの名声の元に集う人の数が街の限界を超えてしまったのだ。
この街にあるインフラでその人数を支えるのは難しい。実質的に言えば蓄財を減らし続ければ維持できるが改善はできないという悪循環の操業となってしまう。
これは、元老院が反乱を防止するために施した措置であり、鎮圧を行いやすいようにするための元老院の過去の政策を知った時は、血の気が引いた。
「さすがリベルタ師匠ですね。私たちが想像できないようなことをやってのけます」
しかしその血の気は今はもう回復している。
今や元老院は上も下も大騒ぎで、反逆者であるはずの私に対して討伐軍を出せないほど混乱している。
ワールドツリーが消滅したことにより、各街の生活基盤が不安定になり、元老院の力が及ばず神殿経由で他国の支援を受けざるを得ない状況になった。
さらに、元老院の失態が重なり民意が元老院に対して不信感を抱いている。
これは民だけではなく一般兵にもその影響が出て、私のいる街への出兵に懐疑的な意見が増えたことに繋がる。
「敵の補給物資の載った砂船を運んできたときは、驚きましたが。その物資のおかげで今の街の平穏が保たれているのですよね」
戦えない状況を作り出した手段が、私には想像できない方法だった。
そもそも、そんな方法を考えもしなかった。
報告書がすべてを物語っている。
この平穏を作り出した存在のことを語り、そして、この後のことも示している。
「そして、この大陸も変わるのですね」
リベルタが示す、西の大陸の未来。
「砂漠は無くなり、この大陸の大地に緑が戻る。人々の生活できる土地は広がり、街の中だけで生活する必要は無くなるのですね」
自然豊かな大陸。
それがリベルタが示した未来だった。
遥か過去、古の時代はこの西の大陸も緑が豊かな大地であったと語られているのは私も知っている。
狭い土地でしか生きられない今の砂漠の大陸からは想像できない。
「そのためには、倒すべき敵がいるのですね」
その砂漠を作り出している諸悪の根源『夢幻のオヴェイロン』、そしてその存在と協力している元老院。
倒すべき敵が見えてはいたが、抗う術がなかった。
壁に掛けられているショーテル。
それは装飾が少なく、古びているが、手入れは怠っていない業物。
すでに戦場からは退いて長い品は、クラリスの先祖が使っていたと言われる逸品だ。
そのショーテルに手を伸ばして、留め具を外し、手に取れば相応の重さを感じ取ることができる。
部屋の中で振るには少し大きいゆえに、それ以上のことはせずそっと元の位置に戻す。
「おじい様、私は」
そのショーテルの持ち主はすでにこの世にはいない。
この砂漠の過酷な環境で、人が住める場所を守った英雄としてこの街の石碑にその名を刻んでいる。
そして父と母も同じ石碑に名を刻んでいる。
「戦います。おじい様やお父様、お母様たちが守ったこの国のために」
その犠牲があったからこそ、今の安寧がある。
「でも、おじい様たちが思っているような戦いにはならないかもしれませんが」
無駄とは言わない。
しかし、それでも必要であったかと時々思うこともある。
つい先日までは、元老院に反抗し正義を貫くことに対して、それは正しいのかと迷いを憶えたこともあった。
その答えは未だ明確には出ていない。
迷いを持つこと自体、間違っているのかもしれない。
けれども。
「なにせ、とんでもないことをしでかす師匠がいますので。私は、もっと凄惨な戦になると思っていました。この街は壊滅し、私自身が断頭台に立つ日も覚悟していました」
迷っている暇などないくらいに、嵐を呼び込む存在がこの大陸に上陸してしまった。
この大陸の常識など知ったことかと言わんばかりに、混沌と混乱を巻き起こしながらも、そのあとに秩序をもたらそうとしているのだから質が悪い。
「しかし、何故でしょうか。今はそんな暗い未来が想像できません。待っているのが忙しい日々と、書類の山なのが想像できてしまいます」
現状の元老院の政治基盤と言えばいいだろうか、権力基盤と言い換えてもいい。
その土台を根底から、力技やからめ手を駆使して、次々に壊して回っている存在。
ワールドツリーを消滅させることに始まり、権力者の失態を暴露し、情報を抜き、妨害なんて生易しい言葉では済まない社会的抹殺を敢行している。
「もしかしたら、もうすぐこのショーテルを持つよりも羽ペンを持っている時間の方が長くなるかもしれませんね」
真正面から是正を促そうとしている私のやり方など生ぬるいと言わんばかりの苛烈な方法は、容赦なく元老院の力を削ぎ落している。
「ですが、それでもいいのかもしれません。邪神を打ち倒すという神からの啓示を放棄するつもりはありませんが、その約定を果たした先は、そういった未来に身を置くのも良いのかもしれませんね」
真っ当な方法ではない。
なにせ報告に、闇夜に忍ぶ変質者の話すら出てくる。
さすがにこれは眉唾物なのだろうが、そこまでの情報が出回るほど今の元老院側の情報は錯綜している。
混乱に乗じて行動を起こすべきだという配下の言葉もあるが、それよりも先に体制を立て直せという師匠の指示の方が今は正しいと思う。
「・・・・・さて、そろそろ寝ますか。明日は師匠が来る日ですので」
現状は打開しているが、回復しきっているわけではない。
食糧問題をはじめとする諸々の問題も解決しているわけではない。
戦うのにも準備がいる。師匠からの伝言で沿岸部に生産拠点と港を作ったという情報が師匠の手の者から入っている。
西の大陸に上陸して一カ月も経っていないというのに、そんな重要なインフラが出来上がるわけがないと常識では思うが、アジダハーカという怪物の討伐を共にし、そしてフライハイトという常識外れの街を作り上げた自身の師匠のことを考えると、あり得ないという方が有り得ないと思ってしまう。
正直に言えば、師匠には私の力は必要なのだろうかと思う。
師匠一人で、いや、師匠とその仲間たちだけでこの大陸の問題は解決できるのではと思ってしまう。
事実、それだけの実力とどうすればいいのかとわかるだけの知識を彼は持っている。
しかし、それをしない理由は何か。
「その時にどんな無理難題を渡されるかわかったものではないですね」
それが教えられることはなかったが、わずかな間とはいえ一緒に行動した師匠の言葉を想像することくらいはできる。
『え、そんな面倒なこと嫌だぞ』
なんとなくだけど、西の大陸の問題を解決したのは放っておいた方が面倒だから介入したという言葉とともに、全部やらない理由のセリフが脳裏に浮かび、ふっと口元に笑みが浮かぶ。
ここ最近は疲れて、浮かべることのなかった笑み。
不安と気苦労で、ゆっくりと寝ようと思わなかった気持ち。
その追い込まれていた気持ちが、たった一人の少年によって改善されている。
冗談のような言葉を想像するだけで、肩に圧し掛かった重みがなくなる。
安心すると言えばそれまでなのだが、それ以外に何かありそうなモヤモヤとした気持ちがある。
なんと形容すればいいのかと、灯りを消し、ベッドにもぐりこんで考えるが。
「・・・・・わかりませんね。この気持ちも師匠に聞けばわかるのでしょうか」
答えは出ず、代わりに日ごろの疲れが休息を欲し、ゆっくりと閉じる瞼と眠りに入る思考の最中、質問するという手段だけが脳裏に残った。
そんな質問をされた日には、困り顔をするリベルタの表情を想像しながら。




