対峙
丑三つ時を少し過ぎた頃。
安心して眠りについた三雲を元いた部屋に戻した咲哉は、本殿前に立っていた。
寝るときは上下黒いジャージだったが、今はいつものスーツ姿だ。夏の夜でも、山の中だからかそれほど暑くはない。しかし、神社内を埋め尽くす気配に咲哉は冷や汗をかいていた。
昼間には感じなかった妖の気配が、本殿に近づいてみれば嫌というほど感じることができる。摺木を追い出した妖は、ずっと本殿に潜んでいたようだ。夜になって活動を再開したのだろう。
しかも気配は一つではない。本殿の中で大量の何かがうごめいている。ネズミの群れが天井裏をはい回っているようだ。
ただそれはネズミではない。
「さあ出てこい、犬神!」
咲哉が叫ぶと、それに呼応するかのように本殿の戸がひとりでに開き、あふれ出るように小さな物体が外へと押し出てきた。数百……いや、千を超える数になるか。イワシの大群ように列を成し、真っ直ぐにとびかかってくる物体を、咲哉は左に飛んで回避した。物体はそのまま地面に激突するが、すぐさま軌道を変え、一か所に固まってこちらの様子をうかがっていた。
「犬神の姿がネズミくらいの大きさだっていうのを思い出すのに苦労した」
個々の物体は咲哉の言うとおりネズミほどの大きさで、白黒の斑点模様がある。これこそ西日本に広く分布する犬神の容姿だった。
「まあ、姿なんかどうでもいい。一気にかたづけてやる。俺のところの姫様が怖がってるからな!」
姿がどうであれ、『犬』である以上三雲の近くにいられるわけにはいかない。
咲哉は札を一枚取り出す。
「骨の一片まで残さず燃やせ!」
犬神の方へ札を投げると、札は一瞬にして火の玉と化し、ゴウッという音とともに犬神の一部を灰へと変えた。
「キィィィィィィィ!」
しかし集団の一部を燃やしただけにすぎず、ほとんどは悲鳴のような泣き声をあげながら散り散りに逃げる。それらはまた一か所に集まりだし、それどころか腕をコウモリの羽に変化させ、宙を舞い始めた。というより姿かたちはコウモリそのものである。
「ちっ……火力が足りない。だがこれ以上威力をあげるわけにはいかないか」
フルパワーで術を打ち込めばこの犬神を一匹残らず殲滅することはできるが、周りの被害は尋常ではないだろう。咲哉の周りには本殿、拝殿と木造建築物が建っている。これらを燃やすわけには当然いかない。財布に余裕がない咲哉が、修繕費を払えるわけがないからだ。
そう思っている隙に、犬神が真っ直ぐ襲い掛かってきた。
「くそっ、それなら……我、ここに契り結びし友を呼ぶ。でてこいシェル太!」
咲哉が札を一枚掲げると、札から白い霧が辺りを漂い、その中から黒い影が現れる。
のっそりと咲哉の背後に出てきたのは高さ三メートル、横幅は五メートルを超す赤黒い巨躯の蟹だ。ただ蟹と大きく異なるのは、二本の腕の先にあるのが鋏ではなく、アコヤガイのような形状をした楯になっている点だ。他にも背中は分厚い岩に覆われており、まるで鎧だ。
シェル太、という名の蟹は咲哉の前方を囲むように左右の楯をがっちりと並べ、襲い掛かってくる犬神を防いだ。楯にぶつかる犬神はボールのように弾き返される。シェル太は、そのまま並んだ楯を持ち上げ、振り下ろす。ドスッという音とともに衝撃が波となって犬神を吹き飛ばした。
これだけ一気にダメージを与え続ければ、そのうちに犬神の数も減るだろう。
「よし、シェル太、もう一度……」
咲哉が指示を出そうとした時だった。
犬神たちが一斉に舞い上がり、竜巻のように渦を巻き始めた。
「今度は第三形態ってか?」
冗談のように苦笑して言ったが、どうやらその通りらしい。
渦から手足が生え、頭を成し、尾が伸びる。
シェル太の倍はあろうかという巨大な灰色の犬の姿だった。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
鼓膜が破れそうな大きな鳴き声。戦闘音で三雲達を起こさないように結界を張っていたが、その結界さえも壊されてしまいそうな爆音だ。
「おいおい、巨大化するなんて聞いてねえよ……」
いくらなんでもデカすぎる。
犬神はその巨躯でシェル太にとびかかる。シェル太は楯を構えて防ぐが、犬神の爪がどんどん食い込んでいく。シェル太は耐久力が秀でているが、その耐久を破るほど犬神の力は強いらしい。どんどん押されていく。
伊達に神と名がついてるわけじゃないようだ。
「くっ、あまり召喚術は得意分野じゃないんだが!」
咲哉は悪態をついて札を数枚投げる。
召喚できるものは何もシェル他のような生物だけではない。
先ほど札が火の玉になったように、札が燃え盛る。それが蒼い炎となって、空中で火柱となった。咲哉はその炎の中に何のためらいもなく手を突っ込む。
すると、炎が形状を変え――出来上がったのは大剣だった。
群青の刀身は二メートルを越し、幅もある。叩き斬る、という表現が似合いそうだ。
「うお重っ」
咲哉は思わず大剣を落としそうになる。見た目通り結構な重さがある。術でそれなりにカバーして何とか持っているが、それでも持っているのがやっとだ。素早い連続攻撃はおろか、ここから移動することも望めない。
だが、それで十分だ。
「せいやあああああああああああああああああっ!!!」
大剣を振り上げると、蒼い炎が包み、その刀身を伸ばしていく。
振り下ろした時には三倍ほどに膨れ上がり、切っ先が犬神の横腹を切り裂く。
「グワウンッ!」
衝撃で犬神は吹き飛び、木を数本なぎ倒して止まる。
切られた部分と吹っ飛ばされた部分でシェル太よりやや小さいくらいまで縮んだ。それでも二メートルはあるので決して小さくはないが。
「流石に一発じゃ駄目だったか。だが、第二形態になれるのはお前だけじゃないぞ、犬神」
大剣は再び蒼い炎となって緩やかな曲線を描く。炎が消えると、そこにあったのは群青に光る弓だった。
「大剣と違って、威力は劣るが……外しはしない」
札を使って矢を一枚召喚する。何の変哲もない弓道部でも使われるような矢だが、構えると矢から蒼い炎が噴き出し、弓を引くたびに炎は大きくなっていく。
「グオオオオオオオオオオウ!」
起き上がった犬神が咲哉目掛けて飛び掛かる。
しかしその体は反対側へと吹っ飛ばされた。シェル太が半分ほど割れて軽くなってしまった楯で右ストレートを決めたのだ。
「グッジョブ、シェル太!」
内野フライのように軽く打ちあがった犬神に狙いを定め――射る。
一直線に犬神へと矢は飛び、心臓の辺りを打ち抜くと炎が犬神を包んだ。
「グオオオオオオオウ!キュキイイイイイイイイイ」
犬神の姿がばらばらとネズミの姿に戻り、地面に落ちる。ほとんどは焼けてしまって灰に消えたが、運よく炎から逃れたらしい二、三匹が木々の方へと逃げていく。
「……逃がしたか」
流石にあの数でこちらに害を及ぼすことはなさそうだし、気配もどんどん遠ざかっている。放っておいても大丈夫だろう。あれだけ小さいと探すのに骨だ。
「まあ、依頼完了だな」
咲哉は札を取り出し、シェル太の壊れた楯の部分に張り付ける。
「しばらくしたら治るから、しばらく養生しといてくれ。お疲れさんシェル太」
頷くようにわずかに体を傾けると、現れたときと同じように白い霧がシェル太を包み、その中へと消えて行った。
急に空が明るくなり、眩しさに目を細めると東から太陽が昇っていた。
どうやら長い夜が明けたらしい。




