第5話
中庭での出来事以来、舞花の様子は明らかに異様だった。
「隼人、鞄持つね。階段、手すり持って! あ、そこの滑りやすいから気をつけて!」
「……舞花、大丈夫だって。一人で歩けるから」
登下校はもちろん、移動教室のたびに舞花は隼人の隣にピッタリと張り付き、まるでガラスの細工でも扱うかのように隼人を過剰に気遣った。
クラスメイトたちも最初は「お二人さんお熱いねえ!」と煽って笑っていたが、あまりの必死さと舞花の悲壮感漂う表情に、次第に触れてはいけない空気を感じて引き始めていた。
(美羽に言われたこと……気にしてるんだな)
あの日、物陰で聞いた美羽の残酷な言葉。
『卒業までデートもできず、恋人らしいこともできない』
舞花は必死にそれに反抗しようと、完璧な彼女として隼人を支えようと自分を追い詰めているのだ。
放課後。靴箱の前で、隼人は思い切って舞花に声をかけた。
「なあ舞花。久々に商店街、寄っていかないか? コロッケでも買って食おうぜ」
「え……? 隼人、でも……足が……」
「平気だって。ゆっくり歩けばいいし、ちょっと寄り道したいんだ。ほら、入院したらリハビリで外出られないし……気分転換だよ気分転換」
昔は部活終わりによく二人でやっていた買い食い。
あの頃の、何も考えずに笑い合っていた天真爛漫な舞花に戻ってほしい。そんな隼人の祈りにも近い、ささやかな願いだった。
夕空の下、賑わう商店街。
夕飯の買い物客でいつもの賑わいを見せていた。
商店街でも特に人気のある惣菜屋の揚げたてのコロッケを二つ買い、邪魔にならない通りの隅で仲良く袋を分け合う。袋を皿代わりに一口かじれば、サクッとした歯ごたえと共に甘いジャガイモの味が広がった。
久々の極上の味に、子供のようにがっつく。お惣菜用のコロッケの、この濃い味付けが隼人は大好物だった。
「相変わらずうまいな。昔と全然変わってねえ。俺このコロッケ、マジで好きなんだよなー。腹減って帰ったら母さんがお肉屋のいいやつよーなんつって、スーパーの冷凍コロッケ揚げてくれんだけど、やっぱ店のとじゃあレべチだよレベチ。これが一個八十円だなんてお肉屋さんに感謝だな」
「うん……そうだね……」
場の空気を変えようと口数多く隼人が笑いかけても、舞花の笑顔はどこかぎこちない。
彼女の視線は、隼人の顔ではなく、常にその足元——右足と杖の動きだけに注がれていた。
「あ、隼人! そこに側溝の段差が……っ!」
「わ、わかってるって——」
過剰に反応して隼人の腕を掴もうとした舞花の手が空を切る。
隼人は何事もなく段差を越えたが、より一層気まずい沈黙が二人の間に流れた。
このコロッケの温もりも、この夕空の綺麗さも、今の二人には届かない。
隼人のために必死になればなるほど、舞花は【今の隼人】と【昔の隼人】のギャップを突きつけられ、自分の中に芽生える恐怖に怯えているのが痛いほど伝わってきた。
好意を寄せてくれていることは重々理解している。だからこそ隼人はこれ以上、彼女にこの痛々しい表情をさせたくなかった。
「……舞花」
「な、なに? 足、痛む……?」
「そうじゃない。……あのさ」
隼人は立ち止まり、手に持った紙袋を見つめながら、静かに声を絞り出した。
「無理しなくていいんだぞ。……俺のために、お前の青春まで潰す必要はないんだから」
「え……?」
舞花が息を呑み、目を見開く。
何を感じたのか。舞花は呆然として固まったまま隼人の顔をじっと見つめていた。
隼人はそれ以上何も言えず、逃げるように「じゃあまた明日学校で」と背を向けて杖をついて歩き出した。
◇
数日後。
放課後の校舎は、部活に励む生徒たちの熱気と声に包まれていた。
その輪に入れない隼人は、中庭の自販機で買ったつめたい缶コーラを手に、ポツンと置かれた長椅子に一人で座っていた。
夕陽が中庭を赤く染めていく。
プシューと缶を開け、一口飲む。炭酸の痛みが喉を刺激したが、胸のモヤモヤは消えてくれなかった。
(俺、何やってんだろ……)
舞花を傷つけたくなくて言った言葉だったが、あれではまるで舞花を突き放したのと同じだ。
答えの出ないぐるぐるとした思考に沈んでいた、その時だった。
「おーい青葉少年。一人で黄昏れてんのか? お兄さんも混ぜてくれよ」
トントン、と肩を叩かれ、見上げるとそこには担任の笹原が立っていた。
この学校のOBで、今年着任したばかりの二十二歳の新人教師。運動靴にジャージ姿で、顔も年齢以上に老けて見えて、特にフレッシュさもなく、少し歳の離れた兄のような親しみやすさがある男だ。生徒たちからは親しみを込めて【さっさん】と呼ばれている。
「さっさん……」
「隣、いいか?」
断る間もなく、笹原は缶コーヒーを片手に隼人の隣へドサッと腰掛けた。
ベンチが軽く揺れる。
「あー、その。なんだ…………。最近、佐々木と上手くいってないらしいな。クラスの奴らも心配してたぞ」
「……見てましたか」
「そりゃな。お前ら分かりやすすぎるんだよ」
笹原は苦笑しながら缶コーヒーを一口あおり、茜色の空を見上げた。
「怪我のこともある。普通科への編入もある。お前が色々と抱え込んでんのは分かる。……まあ、教師としてじゃなく、ちょっと人生の先輩として聞いてやるよ。どうしたんだ?」
普段なら「別に何も」と突っぱねていたかもしれない。
けれど、大人とも友達とも違う、少しだけ自分より前を走るこの若い担任の軽いノリと温かさに、隼人の頑なだった心がふっと緩んだ。
「……さっさん。俺……どうすればいいか、分かんなくなっちゃって」
隼人は膝の上の缶コーラを強く握りしめ、ぽつり、ぽつりと胸の内を明かし始めた。




