第4話
隼人と舞花が付き合い始めたというニュースは、瞬く間に校内に広まった。
「ついに年貢の納め時かー! お前ら、どうせ付き合うと思ってたよ!」
「舞花ちゃん、隼人のことずっと好きだったもんね。本当におめでとう!」
休み時間、隼人の席の周囲にはクラスメイトが集まり、冷やかし混じりの祝福の声が飛び交っていた。
隼人の隣で、舞花は「もう、やめてよー」と顔を真っ赤にしながらも、どこか誇らしげに隼人の腕にそっと手を添えていた。
放課後になれば、舞花は率先して隼人のカバンを代わりに持ち、歩幅の狭い隼人の足元を気遣うようにゆっくりと隣を歩く。
怪我をして以来、惨めで押し潰されそうだった隼人の心は、舞花の健気で温かい献身によって少しずつ満たされていくようだった。
(これで……これでいいんだ)
バスケを失った代わりに、自分には舞花がいる。
傍にいてくれる舞花を大切にしよう。
そう自分に言い聞かせていた。
◇
数日後の放課後。
図書室へ向かう前、隼人は途中で舞花とはぐれてしまった。
「先生に提出物を出してくるから、先に行ってて」と言っていた舞花がなかなか戻ってこない。
脇に杖を抱え、足を引きずりながら校舎の渡り廊下を歩く。
飲み物がほしくなり、自動販売機へ向かう。食堂は閉まっているので、設置してある中庭のほうへ足を運んでいた。
夕空の赤が廊下を伸ばす中、ふと、中庭に面している校舎の陰から話し声が聞こえてきた。
「——君嶋……さん、だっけ? 一年生の」
舞花の声だ。
隼人は足を止め、壁の影に身を潜めた。
舞花の声に、聞いたことのない刺々しさを感じて、隼人は内心でダメだとわかりつつもついつい聞き耳を立ててしまう。
中庭の大きな木の陰。そこに立っていたのは、舞花と、制服のネクタイを少し緩めた君嶋美羽だった。
「はい。青葉先輩の恋人になられた佐々木先輩ですよね」
美羽の声にも、いつものからかうような軽さは一切なかった。氷のように冷たく、どこか挑発するような――刃物を思わせる響き。
「何か用……? 私、隼人と約束があるんだけど」
「用があるから呼び止めたんです。……先輩、浮かれているところ水を差して申し訳ないですけど、ひとつだけ教えてください。先輩は、青葉先輩の何を支えるつもりなんですか?」
「何って……、隼人は今、怪我で辛い思いをしてる。だから私が一番近くで支えて、元通りになるまで寄り添うつもりよ……!」
必死に胸を張る舞花。だが、美羽はフッと鼻で嘲笑った。
「元通り? あははっ! …………はぁ……ほんっと、おめでたい頭ですね。……膝の靭帯と軟骨部の損壊。こんなケガをした人がそう簡単に元通りになるわけないでしょう」
「な……っ! あんた、隼人の何を知ってるのよ!?」
「知ってますよ? もちろん。先輩以上に。……だって私、中学三年生のときに事故で右足を壊しましたから」
ピキリ、と隼人の身体が強張った。
まだ出会ってそんなに経っていない程度の仲ではあるが、そんな素振りなかったよな? と記憶を遡って思い返す。
壁の影で息を殺す隼人の耳に、美羽の淡々とした言葉が刺さる。
「車と接触して、骨は砕けて靭帯はズタズタ。手術して、激痛に耐えながら何ヶ月もリハビリして……日常生活は送れるようになりました。でも、二度と全力でコートを走ることはできません。……私のバスケは、あの日終わったんです」
美羽はスカートをめくり、自分の右足を舞花に見せる。花の高校生とは思えない、凄惨な事故と手術の痕跡が彼女の足に証として刻まれている。悲痛に顔をゆがめる舞花を鼻で笑い、しばらく目を閉じた後、冷たい視線を再び舞花へと向けた。
「青葉先輩がこれから味わうのは、今まで積み上げてきたものが全て崩れ去る絶望です。体を動かすたびに走る激痛、昔の自分と比べ続ける惨めさ、リハビリの不毛さ……毎日、冷たい床に這いつくばって、泥を舐めるような思いをするんです」
「そんなの……っ、私が一緒に耐えるわ! 隼人を一人になんてさせない!」
「無理ですね。だってあんたが見ていたのは、コートの上でコートを支配して輝いていた【エースの青葉隼人】だけなんですから。これからリハビリに真面目に取り組んだとして、本当ならもっと長いですけど……そうですね……はやくて一年で終わるとしましょう。卒業までデートもできず、一緒にやりたいこともできず、高校生という青春の代名詞を手放すどころか恋人らしいこともできないんですよ。――先輩にできるんですか?」
「でき――」
「はやくて、と言いましたよね? そこのところわかってますか?」
「――っ」
美羽の言葉に舞花の言葉が詰まる。
実情を知る美羽の経験が、ナイフのように舞花の胸を抉った。舞花が息を呑むのが、影越しにもわかった。
「幼馴染のくせに、栄光の部分しか見てこなかった甘ちゃんに……、これから落ちていく男の地獄を支えられるわけがない。……惨めに落ちぶれていく青葉先輩を見て、失望して、いつかあんたは先輩を捨てる」
「違……っ! 私はそんなこと……っ!」
「捨てないと言い切れるなら、どうして今まで一度も、先輩の本当の絶望に向き合わなかったんですか? ……ただ確証もなく『大丈夫』って優しい言葉をかけて、可哀想な彼氏に酔ってるだけじゃないですか」
「——ッ!!」
舞花は言葉を失い、ボロボロと涙を溢れさせた。
反論しようと開いた唇が、震えて言葉を紡ぐことができない。
「忠告です。惨めな姿を見たくないなら、今のうちに逃げた方がいいですよ」
美羽はそれだけ言い捨てると、一度も振り返ることなくその場を立ち去った。
中庭に残された舞花は、その場に崩れ落ちるようにして泣きじゃくっていた。
壁の影で、隼人は握りしめた杖に手跡がつくほど強く力を込めていた。
今すぐ駆けつけてぎゅっと抱きしめよう。
――身体が動かない。
今すぐ駆けつけて、愛を囁こう。
――声が出ない。
頭では、どうするのが正解かわかってはいるものの、身動きが取れずにその場にとどまり続ける隼人。
美羽が背負ってきた過去の残酷さと、突きつけられた現実の重さ。
泣き崩れる彼女のもとへ彼氏として駆け寄ることすらできないまま、隼人はただ静かに息を殺して、嗚咽を漏らしている舞花を見つめることしかできなかった。




