第11話
退院してからの律の日常は、ガラリと姿を変えた。
かつて放課後になると良人とふたりで向かっていた駅前の喫茶店。その憩いの場所は、そのまま病院のあの静かな個室へと移っていた。
放課後のチャイムが鳴ると、律は真っ直ぐ寄り道することなく病院へ向かう。
ドアを開け、ベッドの脇に丸椅子を引き寄せると、今日学校であった出来事を一つ残らず語りかけるのだ。
「今日はね、クラス替えがあったの。最悪だよー、担任がまた笹原先生になっちゃった」
「あ、駅前に新しく出来たケーキ屋さん、知ってる? 今度テイクアウトして持ってきてあげるね」
「次の赤音祭、うちのクラスは劇をやることになったの。私は裏方だけどね! 良人とロミオとジュリエットしたかったなあ」
テストの結果に落ち込んだ日も、友達とくだらないことで笑い転げた日も、律は良人に語りかけ続けた。
話すことがなくなってしまった日は、本を読むのが大嫌いだった律が自ら図書館で文庫本を借り、ゆっくりと朗読して聞かせた。
天気の良い日には病院から許可をもらい、車椅子に良人を乗せて病院の中庭を散歩した。
返事のない彼に語りかけ、やっぱり返事のない彼の車椅子を押す。
季節が何度も巡り、春の桜が散り、夏の強い陽射しが過ぎ、秋の落ち葉が舞い、そして再び冷たい風が吹く日が来ても、律のその日課が変わることはなかった。
♢
「良人……今日ね、成人式なんだって。ふたりきりの成人式だね……」
吐く息が真っ白に染まる冬の中庭。車椅子をゆっくりと押しながら、律がぽつりと呟いた。
晴れ着姿の新成人たちが街に溢れる今日という日も、律は振袖ではなく、動きやすいコートに身を包んで良人の隣にいた。相変わらず、車椅子の上の彼からの反応はない。穏やかな寝顔のまま、静かに息を吐き出しているだけだ。
カラカラカラ、と中庭のレンガを踏む車輪の音だけが、静まり返った中庭に虚しく響く。
「私、本当はね……あの事故の日、夕陽にお願いしたいことがあったの」
車椅子の歩みを止め、律は良人の横顔を覗き込んだ。
「大人になっても、ずっと一緒にいようねって。大人になったら、お嫁さんにしてねって」
空から、ちらほらと白い雪が舞い降りてきた。
律は優しく手を伸ばし、良人が寒くないよう、首元に巻いたマフラーの隙間を丁寧に整えて雪を遮る。
そして、コートのポケットに忍ばせていた小さな箱を取り出した。
パカりと開けると、冬の薄光を受けて控えめに輝く、シンプルなシルバーの指輪が収まっていた。
律はその指輪を持ち上げると、良人の少し冷たい左手を取り、その薬指へとそっと滑り込ませた。
「良人から言えないから……私からプロポーズするね」
涙が溢れ出しそうになるのを必死で堪え、赤くなった鼻をすする。律はくしゃりと眉を下げながら、精一杯の笑顔を作った。
「良人、結婚しよ」
それは、いくら待っても返事の返ってこないプロポーズ。
けれど、律に迷いはなかった。
もしもこの先、彼が一生目を覚まさなかったとしても。自分はこの手で彼の車椅子を押し続け、一生をかけて良人に愛を捧げ続ける。
指輪にはめられた冷たい銀の感触だけが、ふたりの誓いとして、静かにそこで輝いていた。




