第9話
夢を見ている。
幼い日の、懐かしい夢だ。
そこには、一人の小さな少女がいた。
お転婆で、思い立ったら後先考えずに走り出してしまうような少女。突拍子もないことばかりを言い出しては周りを振り回す癖は、高校生になった今でも何一つ変わっていない。
その少女の手を、しっかりと握りしめている少年がいた。
いつも泣いてばかりいる、怖がりで弱虫な少年。女の子のハチャメチャな行動に怯えながらも、それでも大好きな彼女と一緒にいたいがために、どんな無茶にも付き合わされる哀れな相棒だ。
少年の役目はいつだって、暴走する少女のブレーキ役だった。
けれど——その日に限って、少年は少女を止めなかった。
それどころか、普段の気弱さが嘘のように、少年のほうが率先して少女の手を引いていたのだ。
向かったのは、海だった。
水平線に沈む綺麗な夕陽が一面を朱色に染め上げる海岸。
その島には、古くから語り継がれる奇妙な噂があった。
夕陽に包まれながら愛し合うふたりがキスをすると、どんな願いも叶う。
少年はあの日、親に酷く叱られるような門限を破ってまで、少女に想いを伝えようとしていた。
「そんな伝説、嘘に決まってるじゃない」
少女は興味なさそうに鼻で笑っていたけれど、少年はどうしても試してみたくて、半ば強引に彼女を海へと誘い出したのだった。
約束の場所で少女がやってくるのを待つ間、少年は海風に吹かれながら考えていた。もし本当に奇跡が起きるなら、自分は何を願おうか、と。
(僕は弱虫で泣き虫だから……大好きなあの子を、ずっと守れる強い男になりたい)
心の中でそう強く願っていた時、遠くから走ってくる少女の姿が見えた。
道路を挟んだ向かい側の歩道。少年は嬉しくなって、ちぎれるほど大きく手を振った。
それに気づいた少女が、パッと顔を輝かせて走り出す。
目の前の信号が、まだ赤色であることにも気づかずに。
海を一望できるその沿道は、島内でも有名なドライブコースだった。通り過ぎる車は、いつだって猛スピードで駆け抜けていく。そしてその時も、巨大な車影が容赦ない速度で迫っていた。
「あ——」
迫る危機にいち早く気づいたのは、少年の方だった。
体が勝手に動いていた。少年は死に物狂いで道路へと飛び出し、少女の身体を力任せに突き飛ばした。
鈍い衝撃音。
少女はアスファルトの上に転がり、助かった。
だが、代わりに車に跳ね飛ばされたのは、男の子のほうだった。
それ以来、少年は病院のベッドで白いシーツに包まれたまま、二度と目を覚ますことはなくなった。
少女は深く深く、性格が変わるほどふさぎ込んだ。
自分の愚かさのせいで、大好きな人の未来を奪ってしまった。あまりの罪悪感と絶望に苛まれ、自分を責め続け、部屋に閉じこもって学校へも通えなくなった。
けれど、事故からしばらくが過ぎたある日のこと。
少女は突然ケロッとした顔をして、何事もなかったかのように部屋から出てきたのだ。
両親はてっきり、娘がようやく悲しみを乗り越えて元気を取り戻してくれたのだと胸を撫で下ろした。
だが、違っていたのだ。
少女のすぐ隣には——誰の目にも映らない、あの少年の姿があった。
そして高校生へと成長した少女は無意識のうちに、かつて自分があざ笑った『島の伝説』にすがりついていた。
大切な少年を失った現実を受け入れられない心が、記憶を塗り替え、彼がずっと隣にいる世界を作り上げていたのだった。




