第6話
坂上弘へ送信したメールの返信は、翌日になっても、一週間が過ぎても来なかった。
送信ボタンを押した直後は「明日には返ってくるかしら!」と息巻いていた律だったが、日にちが経つにつれてスマホを気にする回数も減っていった。良人も「お仕事が忙しいんだろうね」と言うだけで、特に深くは追及しない。
そうこうしているうちに、季節は容赦なく巡っていった。
梅雨の湿気が体にまとわりつくジメジメとした夏が過ぎ、校庭の木々がどんどん黄色く色づき始める。季節はすでに秋を迎えていた。
その間も、オカルト研究会の活動が休むことはなかった。返信が来ないくらいで止まる律ではない。ふたりは放課後になるたび、次なる標的として学校の七不思議を解明しようと島中を駆け回っていた。
「今夜こそ、あの音楽室の怪談を暴くわよ!」
ある日の夜。律と良人は懐中電灯をひとつ握りしめ、静まり返った夜の校舎へと忍び込んだ。
目標は『誰もいない夜中に目が怪しく光る』と噂されている音楽室のベートーヴェンだ。
暗闇の中で懐中電灯の光を当てると、確かにベートーヴェンの両目がぼんやりと緑色に光っていた。一見するとかなり不気味な光景だったが、律は怯むことなく近づき、その顔を至近距離でのぞき込んだ。
「……ちょっと良人、これ触ってみて」
「えっ、僕が触るの? うーん……なんだかネバネバしてる?」
「――やっぱりね! 誰かのいたずらじゃない!」
「あー、なるほど。夜光塗料ってやつだね」
「そうね! 夜光塗料を目に塗りたくっただけね!」
仕掛けが分かってしまえば拍子抜けするほどあっけないものだった。
そして堂々と調査報告を学校新聞の部活動の欄に掲載すると、その日の放課後のうちに律は生活指導の先生に、夜中に忍び込んだことを怒られた。
そんなことではめげない律。
また別の日の夜には、理科室で『夜な夜な動く人体模型』の調査に取りかかった。
深夜の理科室に潜入し、棚の陰に隠れてじっと待っていると、がたがたと音を立てて人体模型が体を前後し始める。さらには顔も回り始めた。
これにはさすがの律も驚きに声をあげる。
「ひゃああっ! 本当に動いたわ!」
「待って律、落ち着いて! あそこ、足元を見て!」
良人が指さした先をよく見ると、人体模型の台座には市販の人感センサーと小型のモーター、それから不格好な配線がテープで雑に巻きつけられていた。
「なにこれ……誰がこんな面倒なことしたのよ?」
「たぶん、備品の盗難防止用に理科の先生が作ったんじゃないかな……。夜中に不審者が入ってきたら驚いて逃げるようにって」
「紛らわしい防犯グッズ作らないでほしいわね!」
律はそれからも七不思議の正体をひとつずつ科学的に暴いては、ノートにびっしりとまとめ上げた。
そして生徒会の許可を強引に取り付け、学校新聞の片隅どころか、紙面の半分を丸々占拠する勢いで『オカルト研究会・特別調査報告』とデカデカ記事を掲載させた。
最初は怒っていた生活指導の先生も、半ば諦めた様子で、次はどんな謎を解明するのか楽しみにしている様子だった。先生たちの反応ですら好感触だったのだから、生徒たちからは盛大な人気を博した。胸を張ってポーズを決める律の写真付きレポートは、校内で「またオカ研が無駄に本気を出してる」と名物となっていた。
そんな賑やかで楽しい学校生活の波に呑み込まれていくうちに、あのゲームクリエイターへメールを送ったことすら、律の頭からは綺麗さっぱり抜け落ちていたのだった。
♢
十月に入り、赤音学園の全校生徒が心待ちにしていた最大のイベント、赤音祭の時期がやってきた。
校内はどこもかしこも準備の熱気に包まれていた。廊下を歩けばペンキの匂いやダンボールを切る音が響き、あちこちで生徒たちの楽しげな議論が聞こえてくる。
律のクラスの出し物は、協議の末にちょっとおしゃれな『ナイフとフォークで食べる本格クレープ屋さん』に決まった。
屋台で売っているような手持ちのクレープではなく、お皿に綺麗に盛り付けてカフェのように楽しんでもらうスタイル。食べ歩きも学園祭の醍醐味だが、休憩所を兼任するためにこのスタイルになった。
「メニューはどうするの? やっぱり甘いのが王道よね!」
「でもさ、甘いの苦手な人もいるんじゃない? ツナマヨとかハムチーズみたいな、食事系のクレープも一種類ほしいな」
「いいねそれ! じゃあ『お食事クレープ』と『贅沢チョコバナナ』の二本柱にしましょ!」
「バナナは安いから価格抑えられるね」
放課後の教室で、クラスメイトたちと机を囲んで喧々諤々の話し合いが続く。
材料費はどれくらいかかるか、一皿の値段はいくらに設定すれば赤字にならないか、生地を薄く均一に焼くにはどうすればいいか。慣れない計算や試作に頭を悩ませる毎日だった。
もちろん、その輪のすぐ後ろには、当たり前のように良人が寄り添っていた。
「律、生地をひっくり返すときは、もっとフライ返しを奥まで差し込まないと破れちゃうよ」
「わ、わかってるわよ! あーもう、なんで破れるのよ~!」
「あはは、焦りすぎだって。ほら、もう一回練習してみよう」
クラスメイトたちがワイワイと準備を進める中、良人は隣で優しく教えたり、律の失敗を見て楽しそうに笑ったりしていた。そんな日常が律にとってはあまりにも心地よく、準備の疲れなんて吹き飛んでしまうほどだった。
♢
そして迎えた文化祭当日。
秋晴れの素晴らしい天気に恵まれ、赤音学園には早朝からたくさんの来場客が押し寄せていた。校舎全体が甘い生地の焼き上がる香りと、大勢の賑やかな声で満たされている。
律たちのクラスのクレープ屋は、開店早々大繁盛だった。教室の中は満席で、廊下には順番を待つ人たちの列ができている。
律は手作りのカラフルな看板を手に持ち、制服の上にエプロンをつけた姿で校内を練り歩いて呼び込みに励んでいた。
「いらっしゃいませー! 焼き立てモチモチの本格クレープ、いかがですかー! お席すぐにご案内できまーす!」
元気に声を張り上げ、通行人に笑顔を振りまいていると、人混みの向こうから見覚えのある二人の人影が歩いてくるのが目に入った。最初、律は見間違いだろうと気にしていなかったが、次第にその人影が明瞭になっていき、
「――律!」
「えっ……お父さん!? それにお母さんも!?」
声をかけられた。
事前には何も聞いていなかった律は、驚きのあまり目を丸くする。だが次の瞬間には嬉しさが爆発し、看板を片手に持ったまま駆け寄ると、母親の体に勢いよく抱きついた。
「ちょっと律、急に抱きついたら危ないでしょ。ふふふ、エプロン似合ってるじゃない」
「ふふ、仕事の都合がついてね。こっそり驚かせようと思って来たんだよ。すごいじゃないか、大盛況だね」
父親も久しぶりの我が子を嬉しそうに見つめてから、大きな手で律の頭を撫でた。
学校で元気に頑張っている自分の晴れ舞台を見てもらえたことが、律は何より嬉しかった。
「ふふん、凄いでしょ! クラスのみんなで頑張って準備したんだから! あ、そうだ!」
喜びでテンションが最高潮に達した律は、この大好きな学校生活のすべてを両親に自慢したくなった。満面の笑顔で辺りを見回し、ごく自然な調子で声を弾ませる。
「どこかに良人もいるはずよ! 呼んでこようか!?」
屈託のない、いつもの日常の延長として放たれたその言葉。
良人と一緒に過ごしているこの当たり前で幸せな毎日を、ただ自慢したかっただけの笑顔だった。
だが——。
それを聞いた瞬間に、父親と母親の顔色が、さっと悪くなった。
「……え?」
両親はバッと互いに顔を見合わせると、まるで触れてはならない恐ろしいものに触れてしまったかのような、固い表情を浮かべた。そこには驚きだけでなく、どこか痛ましさに満ちた、強い困惑が混ざり合っていた。
何やら異様なふたりの反応に、律は戸惑いを隠すことなく顔に出す。
「――良人君が、かい……?」
悲しみの入り混じった父親の低い声が、静かに廊下に響いた。




