第4話
百瀬先生と五十嵐先生への聞き込みを終えて、律たちは駅の前にあるいつもの喫茶店へ戻ってきた。
夕方の店内には他にあまり客がおらず、静かな時間が流れている。窓際の席につくと、律はノートやメモ用紙をテーブルの上に広げた。そこには書いた本人の律ですら読めるか疑うほどに汚い文字で書きなぐってある。が、どうやら律にはちゃんと読めているようで、書かれている文字を目で追って良人に話す。
「——ええと、整理するわね。百瀬先生は『対価』が必要だって言ってて、五十嵐先生のスケッチブックには『大切な時間を差し出す』って書いてあったのよね」
良人はアイスティーのストローをくわえたまま、うーんと腕を組んだ。
良人も覗き込むように律の書いたメモを見ていたが、彼にはまったく読めずに諦めたようだ。
「ふたりとも言いたいことは同じ感じだね。要するに、願いを叶えるにはそれ相応の代償がいるってことか」
「そうなのよ! 噂は本当だったのよ!」
「でも代償かあ……。ケガが治った青葉選手の場合は何だったんだろう。何か大事なものを失ったのかな」
「そこが一番気になるのよね。だって彼、今でも普通にサッカーで活躍してるじゃない?」
律は皿に残っていたパンケーキの端っこをフォークで刺し、一口で食べた。大きく口をもぐもぐと動かして、しっかり噛んで飲み込む。そして何かを思い出したかのように目を輝かせて乗り出す。
「そうよ! 確か噂だと、あの海岸で夕陽が沈む瞬間に『境界』が開くらしいのよ! だから明日の放課後、実際にその場所まで行って試してみましょ!」
「現場検証ねえ……。まあ、行くだけならいいけどさ。危ないことだけは嫌だからね?」
良人は呆れつつも、嬉しそうな律の顔を見て笑った。窓の外を見ると、島の空がだんだんとオレンジ色に染まってきている。律はノートをカバンに仕舞いながら、鼻歌をルンルン気分で歌っている。明日が待ちきれない様子だった。
♢
翌日の放課後。
ふたりは自転車で島の端にある海岸へやってきた。
こっぱずかしいことに、律が漕いでその後ろに良人が乗る。という形で。
「うみー! とうちゃーく!」
「恥ずかしいからあんまりはしゃがないでよ」
到着して適当な場所に自転車を止める。
目の前にはどこまでも海が広がっている。空はすっかり綺麗な夕焼け色で、波の音だけが周囲に響いていた。
律はかばんを砂浜の上に放り投げると、波打ち際まで走っていってさらに大声を張り上げた。
「境界よ現れろー! 奇跡起これー!」
けれど、静かな海から返ってくるのは寄せては返す波の音だけだった。
律はそのままじーっと海を見つめていたが、海が割れるわけでもなく、変な光が差すわけでもない。
ひとしきり叫んだあと、何も変化がないことに律は少し落胆する。
「んー……やっぱり叫ぶだけじゃダメかあ」
「そりゃそうでしょ。そんな簡単に起きるなら苦労しないよ」
「甘いわね良人。まさか何も準備してないわけないでしょ。先生たちも言ってたじゃない、ちゃんとした『代償』がないとダメなのよ!」
律はそう言うと、パンパンに膨らんだ自分のリュックサックを開けた。そして中から、持ってきていた怪しげなものを次々と取り出し始める。
「じゃじゃーん! 神様とか境界の人にお願いするなら、こういうお供え物が必要でしょ!」
砂浜の上に並べられたのは、ちょっと古めの人形と、スーパーの半額シールが貼られた牛肉のパック、それからワンコインで買える小さめのお酒の瓶だった。
「人形にお肉にお酒って……それ普通に生贄の儀式じゃないの?」
「細かいことは気にしないの! これをお供えしますから、奇跡よ起きてちょうだい!」
「それにしては格安の奇跡だね……」
良人の小言もさらりと受け流し、律は再び海に向かって手を広げて叫んだ。
……が、やっぱり何も起きない。風が湿気を含んだ潮の匂いを運んでくるだけだった。
「やっぱりただの噂だったんじゃない?」
良人が苦笑いしながら言うと、律は「おかしいわね……」と首をかしげた。仕方なく並べたお肉や人形をリュックに戻そうとした、そのときだった。
「おうガキども何してんだ?」
ザク、ザクと砂を踏む足音が近づいてきた。
振り返ると、火のついていないタバコを咥えた男が歩いてくる。赤音島学園の笹原先生だった。
笹原先生は律たちの奇妙なお供え物を見ても特に驚く様子もなく、そのまま波打ち際の手前で足を止めると、ぼんやりと沈んでいく夕日を眺め始めた。
「あ、笹原先生! 先生も奇跡を見に来たんですか?」
そういえば笹原先生もこの赤音島で長いはず。何か知っているかもしれない。そう思った律は、すぐさま駆け寄って声をかけた。
笹原先生は面倒くさそうに律を見ると、咥えていたタバコを指でつまんだ。
「何言ってんだ? どう見ても夕陽を見に来たオシャンティーなおじさまだろ。ってか奇跡って、お前もそんなロマンチックな話を信じてるのか? っかー! 青いねえ! 青春してるねえ!」
「ロマンチックじゃないです、調査です! 先生何か知ってるんですか? やっぱり奇跡には大きな代償がいるんですよね?」
勢いよく問い詰める律に、笹原先生は呆れたように鼻で笑った。
「代償? そんな物騒な話しなわけねえだろ。ただの愛の力ってやつだよ」
「……え?」
思いがけない言葉に、律は思わずぽかんとした。
――愛の力。
この老け顔の笹原先生が似合わない言葉を言うもんだから、律のぽかんとした顔が崩壊寸前のダムのように吹き出しそうになって、慌てて両手で口を押さえる。
「んだよ笑うなよ。言葉通りの意味だよ。愛し合った二人が夕陽を背景に告白で結ばれるっていう、どこにでもあるしょうもねえ話だよ。代償だなんだってのは、神格化してえやつらとか観光客増やしてえやつらがそれっぽく言ってるだけ。まあ、そんな噂に振り回されてるうちはまだまだガキだな。神頼みしてるヒマがあったら、青春に身を任せてもがき苦しんだ方がどうにかなるぞ。ほら、分かったらさっさと帰って宿題しろ」
説教なのか何なのか分からないことを吐き捨てると、笹原先生はタバコを咥えたまま手をポケットに突っ込んでそのまま歩き去ってしまった。
「…………え、結局夕陽の奇跡ってなんなわけ?」
残された律と良人は、夕陽を浴びながら呆然と立ち尽くしていた。
百瀬先生の対価や五十嵐先生の大切な時間という話、そして島に伝わる全貌がつかめない噂。それらが一気に崩れ去るような、あまりにも拍子抜けする答えだった。
「ねえ良人……結局伝説って嘘だったってことかしら……?」
「僕に聞かれても困るよ……」
ふたりは顔を見合わせる。
謎は深まるばかりだった。




