第9話
あの日から数日後、弘に下されたのは『無期限の停学処分』だった。
復学できるかどうかは今後の職員会議次第——。
表向きはそう告げられたが、学校側が処理した事件の概要は、加害者である不良たちと三人組の身勝手な嘘によって見る影もなく捻じ曲げられていた。
教師たちの間で共有されている事実は、こうだ。
『坂上弘が女子生徒をナイフで脅して倉庫に連れ込み、異変に気づいて止めに入った数名の男子生徒に暴行を加え、性加害に及ぼそうとした』——。
正義の救出劇は、凄惨な性犯罪未遂事件へと仕立て上げられていた。
そして何より問題だったのは、事件の真相を知る唯一の被害者である神代雪の扱いだった。
学校側は「被害生徒への精神的配慮」という名目を盾に、彼女への詳しい事情聴取を一切行わず、即座に『当面の自宅療養』を命じたのだった。
学校からすれば、島一番の権力者である神代家の娘が巻き込まれたという事実を少しでも軽く済ませ、校内の治安悪化を隠蔽するために「凶悪な外部生一人の暴走」として処理するのが最も都合がよかったのだ。
当事者である弘と雪が同時に姿を消した学校では、悪意に満ちた噂が尾ひれをつけて瞬く間に広がっていった。
「坂上って、本土にいた頃もヤバい事件起こして追放されたらしいぞ」
「神代さんが学校来なくなったのって、やっぱりショックで立ち直れないからだろ……」
事実を正そうにも、真実を語れる雪自身が療養という名目で隔離されているため、噂の信憑性は日を追うごとに増していく。
ただ、弘が停学処分となり、校内に尾ひれのついたひどい噂が広がる中、誰もがそれを真に受けているわけではなかった。
「……あり得ねえだろ、どう考えたって」
休み時間の教室。黒く塗りつぶされたあの机の周りに集まった男子たちの中で、青葉隼人が低く切り出した。
「坂上がそんなことするわけねえよ。だろ?」
隼人の言葉に、周りの男子数名も深く頷く。
まだ1年そこそこの付き合いではあったが、隼人は弘という人間をよく見ていた。
弘は毎日欠席することもなく、遅刻をすることもなく、いつも一番後ろの席で呑気に過ごしながらも、ごく真面目に学校生活を送っていた。誰かに害をなすどころか、あの机の落書きの時だって、誰よりも早く動いて笑いに変えた男だ。
「うん……絶対におかしいよ。坂上君がそんな恐ろしいことするなんて、信じられない」
隼人の隣で、君嶋美羽も悲しそうに眉をひそめて首を振る。
「第一さ、被害に遭ったとか言ってるあの男子4人と、泉たちのグループの方がよっぽど素行悪いじゃんか」
「そうそう! あいつら日常的に不良とツルんでたし、神代さんのこと目の敵にしてたろ」
「あいつらが被害者顔してんの、マジで腹立つんだけど……」
男子たちの口からは、次々と不満と疑問が溢れ出す。
普段は気楽で省エネなクラスメイトとして接していた弘だが、彼が魅せてきた「真面目さ」や「気遣い」は、ちゃんとクラスの仲間たちに届いていたのだ。
「学校側もおかしいんだよ。神代さんに直接話も聞いてないらしいのに、全部坂上のせいに決めつけて処理しようとしてる……」
隼人は腕を組み、窓の外を見つめた。
大人たちが保身のために作り上げたシナリオ。そこに隠された歪みと不条理さを、隼人たちははっきりと感じ取っていた。
♢
重苦しい沈黙が支配する神代家の邸宅。
自宅療養という名目で部屋に閉じ込められていた雪は、書斎に呼び出され、父親の冷徹な眼光の前に立ち尽くしていた。
「……どうしてお前は、そうやって我が家に泥を塗るような真似ばかりするんだ」
開口一番、父親の口から放たれたのは、娘の身を案じる言葉などではなかった。机を叩く鈍い音が部屋に響く。
「神代の名に傷がついたんだぞ。我が家から、そのような破廉恥な事件の被害者が出たなどと……外聞が悪すぎる!」
父親に理不尽な叱責をされた雪は怯んで何も言えず、ただ唇を強く噛み締めてうつむいていた。
父親にとって重要だったのは、雪がどれほど恐ろしい目に遭い、心に傷を負ったかではない。『未遂』であったかどうかも関係なかった。
島内で力を持つ自分たちの家柄において、娘が暴行の標的にされ、ましてや傷物になった可能性があるという事実そのものが、ただただ許しがたい汚点だったのだ。彼にとって権力者とは、常に他者を圧倒する王者でなければならないのだ。
「学校側には穏便に処理させるよう手を回してある。すべてを片付け、お前は一切表に出ずおとなしくしていろ。それが我が家のためだ」
冷淡に言い放つ父親の声を聞きながら、雪の体は恐怖と絶望で冷たく固まっていた。
雪の父にとって、娘は権力拡大の政略結婚の駒に過ぎない。
そして雪は後悔していた。
自分を助けてくれたのは誰だったのか。
あの暗い倉庫で、窮地に現れ、自分を救い、上着をかけて「もう大丈夫だ」と優しい声をかけてくれたのは、ほかの誰でもない。坂上弘だった。
それなのに、助けてくれた彼が凶悪な性加害者として仕立て上げられ、自分を守るための沈黙が、彼を追い詰める刃へと変えられている。
あのとき手を取っていたら、違っていたのか。
今となってはわからない。
大人たちの身勝手な保身と、実の父親からの冷血な叱責。
歪みきった現実の重圧に押し潰されそうになりながら、雪は震える拳をスカートの生地の中に固く握りしめるのだった。




