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夕空の向こうで  作者: あさくらまひろ
坂上弘

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第6話

 翌朝、登校して教室の扉を開けると、なんだかいつもと違う異質な雰囲気に包まれていた。

 弘の席がある窓際のあたりに、早めに登校してきたクラスメイトたちが集まってざわついている。


(なんだ……? 俺の席になんかあんのか?)


 寝ぼけ眼をこすりながら人集りを押し分けて近づいてみると、みんなが囲んでいたのは弘の席ではなく、その隣——神代雪の机だった。


 弘は思わず息を呑んだ。


 整然としているはずの綺麗な机の天板に、黒い油性ペンでびっしりと酷い言葉が書き殴られていたのだ。


『アバズレ』『ビッチ』『死ね』『消えろ』——。


 目を背けたくなるような醜い罵詈雑言の数々。


「最悪……誰だよこんなことしたの」

「除光液とか持ってきてない? 全然消えないんだけど!」


 クラスの数名がティッシュやハンカチを濡らして必死に擦っていたが、油性ペンのインクは無情にも机にしみ込み、一向に消える気配がなかった。このままでは、登校してきた雪がこれを見てしまう。


 弘は一瞬だけ口を真一文字に結ぶと、すぐにいつも通りのひょうひょうとした表情に戻った。


「はいはい、ちょっとごめんよー」


 人集りをかき分けると、弘は自分の机の引き出しに入っていた教科書やノート、プリントの束をまとめて引っ張り出し、ドサッとロッカーの上にぶちまけた。


「坂上……? 何してんだ?」


 呆然とするクラスメイトたちを余所に、弘は雪の机と自分の机の端をがっちりと掴むと、そのままズズッと音を立てて位置を丸ごと入れ替えた。


「これでよし。あ、みんな、神代さんにはこれ内緒ね。せっかくの朝から嫌な気分にさせたくないし」


「え、でも坂上……お前の机になっちゃうだろ? それ……」


「弘がそう言うなら……だけどさぁ……」


 親切心で言っているのは分かるが、このまま雪に見せるわけにはいかない。クラスメイトたちも弘の気遣いに気付きつつも、どこか腑に落ちない様子で顔を見合わせている。


 弘は自分の筆箱から黒の油性ペンを取り出すと、カチッとキャップを外した。

 そして、酷い言葉が書かれた机の端から、まるで陣取りゲームでもするかのように白地の部分を黒く塗りつぶし始めた。


「いやー、実はこういう机一面塗りつぶすやつ、一回やってみたかったんだよねー! 黒い机ってなんかカッコよくね?」


 へらっと笑いながら、へたくそに黒塗りを広げていく弘。


「……たく、俺も手伝うよ」


 遠くから状況が呑み込めずに眺めていた男子——青葉隼人が、呆れたような、けれどどこか嬉しそうな苦笑いを浮かべて歩み寄ってきた。彼は留年しているので本来なら1つ年上だ。そのため普段はクラスの空気を壊さないように、何があっても決して口出ししない人なのだが、さすがに見かねたようで弘に手を貸した。


「美羽、ペン貸して」

「うん、はい! これ使って!」


 隼人は彼女の君嶋美羽から受け取った太字の油性ペンを手に取ると、弘の隣にしゃがみこみ、迷いなく机の反対側から塗りつぶし始めた。


「俺も手伝うよ。一人じゃ朝のホームルームまでに終わらねえだろ」


「青葉さんありがとう!」


 普段手出ししない隼人のその一動は、教室の空気を一変させた。


「あ、ズルいぞ! 俺にも塗らせろって!」

「俺も太ペン持ってる! 貸してやるよ!」

「黒塗りにするなら俺も混ぜろー!」


 隼人の行動を皮切りに、「俺も俺も」とクラスの男子たちがワラワラと集まり、筆箱からペンを取り出して競うように机を黒く塗りつぶし始めた。


 さっきまでの陰惨で重苦しい空気は一気に吹き飛び、まるで朝の休み時間のちょっとした馬鹿騒ぎのような活気に変わっていく。


 男子たちが群がってワチャワチャと黒塗りを完成させていく様子を、弘は塗りつぶされたペンの匂いの中で、満足そうに眺めるのだった。


 それから間もなくして、また遅刻ギリギリの時間に雪は登校してきた。

 昨日と同じく顔色がどこか悪い。


「おはよう」


 席について息を整えている雪に弘が声をかける。

 雪も雪で疲れているからか「おはようございます」と、ちょっとだけ素っ気ない態度で返した。

 なんだかよくわからないけど大変そうだなあとだけ思って、弘は大きなあくびをするのだった。

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