第4話
翌日、いつもは誰よりも早く教室にやってくる神代雪の姿が、チャイム間際になっても見当たらなかった。
いつもなら授業の予習や読書をしているはずの隣の席が空いている。
普段の弘であれば、他人の遅刻など気に留めることもせず、スマートフォンでゲームの掲示板でも眺めているところだったが、今日は何もせずにぼーっとしていた。
前方の席で男子たちがヒソヒソ話を交わしているのが、なんとなく耳に入ってくる。
「あれ、そういえば神代さんまだ来てなくない?」
「マジか、なでしこ様が遅刻とか珍しすぎだろ」
ふと隣の席に目をやると、やはりきれいに整えられた机と椅子は空っぽのままだった。
(寝坊か? あの神代が珍しいな……)
そんなことを考えていると、ちょうどチャイムが鳴り響く直前。
ガラリと重い教室の扉が勢いよく開いた。
「はぁっ……はぁっ……」
そこに立っていたのは、息を切らせ、わずかに肩を上下させている雪だった。
制服の着こなしこそ乱れてはいないものの、いつもの凛とした余裕はどこにもなく、どこか青白い顔で荒い息を整えている。
教壇に向かっていた担任の教師が「おっ、神代、ギリギリだな。席につけ」と声をかけ、雪は小さく会釈すると、そのまま足早に自分の席へと歩いてきた。
隣の席に座り、ほっと息をつくようにうつむく雪。
弘はちらりと横に視線を送り、その顔色の悪さに気づいてわずかに眉をひそめた。
「……おい、大丈夫か? めちゃくちゃ息切れてるけど」
弘が小声で声をかけると、雪はビクリと肩を揺らし、慌てたように顔を上げた。
そして、いつもの作り込んだような微笑みを浮かべる。
「っ……あ、うん。大丈夫……ちょっと、走ってきたから……」
そう言って取り繕うように笑ってみせたが、今日はどこか引きつった顔をしていることに弘は気づいたが、もしかしたら家庭の事情があるのかもしれない。と、弘はそれ以上考えるのをやめた。
♢
その日の夜。
弘はいつものように自室でパソコンの前に座り、ボイスチャットとゲームを立ち上げて待機していた。
だが、ログイン時間である20時を過ぎても、一向にフレンドリストの『雫』の名前が明るくなる気配はない。
(んー……遅いな。珍しい)
普段なら時間きっちりか、遅れるにしても数分程度でやってくるはずだった。
待っていればそのうち来るだろうと、弘はアバターをいつもの待ち合わせ場所に座らせたまま、なんとなく手元に置いたスマートフォンを手に取った。
画面を見ると、ゲームの外部連携アプリのアイコンにメッセージ通知の赤いバッジがついていることに気づく。
(ん? なんだこれ)
何の気なしに画面をタップしてアプリを開くと、そこには『雫』からの短いメッセージが届いていた。
『今日は忙しくて行けそうにありません。ごめんなさい』
「あー……わざわざアプリで連絡入れてくれてたのか。全然気づかなかったわ」
通知を見落としていたことに苦笑しつつ、弘は「了解」と書かれたペンギンのキャラクターのスタンプを一つポンと送り返した。
相手が来ないなら仕方がない。今日は無理してソロプレイをする気分でもなかったので、雫とのダンジョン攻略で手に入れた不要な装備をバザーに出して、素材を回復アイテムに調合してからパソコンを落とした。こうすることで次回、雫と遊ぶときにアイテム切れで困ることにはならない。そして作業が終わるといつもよりかなり早い時間だったがベッドに入ることにした。
部屋の電気を消し、布団に潜り込む。
いつもなら深夜近くまで起きているため、まだ22時前という時間帯に体が追いついていないのか、目をとじても全く眠気がやってこない。
(……なんか、全然寝つけねえな)
朝、学校に遅刻ギリギリで駆け込んできたときの、あの顔色の悪かった神代雪の姿。
そして、いつも欠かさずログインしていた雫からの突然のキャンセル連絡。
ただの偶然だと分かってはいるものの、どこかもやっとした胸のつかえが取れなかった。
「……ハァ、ちょっとアイスでも買ってくるか」
弘は諦めて布団を跳ね飛ばすと、部屋の明かりをつけずに着慣れたパーカーを羽織り、家を抜け出して夜の街へと踏み出した。




