アテン防衛戦
アテンの港で、ストラトスは殺到する「黒虫」の大群と対峙していた。
波のように押し寄せる大小さまざまな異形の虫たちを、突き刺し、叩き潰し、豪快に投げ飛ばし――あらゆる手段で敵を粉砕していく。
巨人族のネルから譲り受けた大槍は、この化け物どもとの戦闘において遺憾なくその力を発揮していた。
どれほど群がる黒虫を同時に貫こうとも、大槍は曲がるどころか、あらゆる衝撃を事もなげに受け止めて見せる。
さすがは巨人族が鍛え上げし武器であった。
アテン守備隊は現状、優位に黒虫の群れを駆除しつつあったが、戦闘によって手傷を負う者も少なくない。
それでも、さすがは精鋭と名高いアテン守備隊だ。
上陸を果たした最後の一匹を屠り去ると、港に歓声が上がった。
「ふう……さすがに数が多かったな。まあ、俺たちの敵じゃあないが」
かつて守備隊時代にストラトスの先輩だった男が、強がりながらも疲労の色を隠せずに呟いた。
「さすがは先輩。相変わらずお見事な腕前です」
その姿に、ストラトスがどこか事務的な世辞をかける。
「……お前に言われると、どうにも皮肉に聞こえてならんな」
ジロリと睨みつけられるストラトス。
彼は先ほどだけで大小数百を超える黒虫を単身で殲滅してみせたというのに、呼吸一つ乱れていないのだった。
防衛陣地となったアテンの港は、黒虫との激闘により波止場や桟橋が砕け散り、建物の大半が倒壊するなど深刻な被害を受けていた。
復旧には相当な時間を要するだろう。
「……今ので最後だろうか?」
守備隊員の一人が、油断なく沖合を見つめている。
空はいまだ重々しい暗雲に覆われ、海は不気味にうねり続けていた。
この異常事態において、状況が何一つ好転していないことを、兵士たちは肌で感じ取っていた。
「あれで最後なものか! 各員、ただちに陣形を立て直し、第二陣の襲来に備えよ!」
守備隊長から気迫のこもった檄が飛ぶ。
「……まあ、そう甘くはないよな」
先輩兵士は愚痴をこぼしながらも、すぐさま槍を構え直した。
「ですが、そこまで脅威となる相手ではありませんよ。このまま残らず殲滅してしまいましょう」
「……本気でそう思ってるのは、たぶんお前くらいだぞ」
先輩からの冷徹な指摘を受ける。
その時、一人の伝令兵が息を切らし、叫びながら飛び込んできた。
「た、隊長! 近郊の漁村に魔獣の群れが襲来! 至急救援を求めています!」
「なに……!? だが、現状ここを防衛するだけで手一杯だぞ! 近隣の守備隊はどうした!?」
「奮戦するも劣勢とのことです! 内陸部の部隊に緊急召集をかけておりますが、全軍が結集するにはまだ時間がかかります! 議会からは『アテン守備隊の現有戦力で防衛せよ』との厳命が……!」
「そんなバカな……!!」
議会から出撃承認が下りたとはいえ、内陸部からの増援を待っていては手遅れになる。
その間に、近隣の村々は確実に壊滅するだろう。
「議会の奴らめ! 現場の兵士を何だと思っているのか!」
守備隊長は憤怒の形相で、近くの石壁に拳を叩きつけた。
「隊長! 俺たちならまだ戦えます! 救援に行かせてください!」
「仲間を見捨てることなんてできません! 俺を行かせてください!」
兵士たちの士気は高く、自ら救援を志願する声が相次いだ。
「しかしだな……」
隊長は苦渋の決断を迫られていた。
手薄な戦力から救援を差し向けることは、その部隊を死地に追いやるのと同義だ。
そればかりか、港の防衛線が崩壊すればアテン市そのものが危機に瀕する。
重要視するべきはどちらか。
隊長が躊躇していたその時、見張りの兵が叫び声を上げた。
「おい! 海を見ろ! 来るぞ!!」
遠方の水平線から、どす黒い波となって新たな群れが押し寄せてくる。
第二陣の到来だ。
「……くっ、現状、救援に割ける戦力はない! 申し訳ないが……村の者たちには耐えてもらうしかない!」
守備隊長は迫り来る黒虫の波を睨みつけながら、断腸の思いで非情な宣告を下した。
それは即ち、救援を諦めることを意味していた。
痛恨の思いに静まり返る隊員たちの中で、静かに手を挙げる者がいた。
「――では、俺が行きましょう」
ストラトスだ。
彼は元守備隊員とはいえ、今は組織の人間ではない。
たまたま居合わせた部外者であり、彼が単身で抜けたところで防衛線の指揮系統に支障はなかった。
「ストラトス……確かに貴様の腕なら適任だが、正気か?」
守備隊長が問いかける。
単身での派遣――それは完全な孤軍奮闘を意味していた。
「問題ありません」
ストラトスは即答した。
「『守備隊が臣民のために命を散らすは本望』――そう俺に叩き込んでくださったのは、紛れもなく守備隊の先輩方ですから」
「……すまぬ」
守備隊長は深く頭を下げた。
「心配いりませんよ。俺はどうやら、皆さんより少しばかり強いようですから」
ストラトスが不敵に口元を歪めると、重苦しかった雰囲気が一変し、隊員たちからワッと笑いが巻き起こった。
先輩兵士が「相変わらず生意気な奴め」と笑いながらストラトスの肩を小突く。
「大丈夫です。必ず生きて帰ってきますよ」
そう言い残して踵を返そうとした瞬間、覚えのある――聞き慣れた声が響いた。
「ストラトス! ここにいたか!」
港の坂の上を見上げると、ゼーゼーと息を切らしたセルゲイが立っていた。
「先生! 角笛の浄化はうまくいったのですか!?」
「ああ、この通りだ!」
セルゲイが大事そうに掲げて見せたのは、穢れが綺麗に払い落とされ、本来の神聖な輝きを取り戻した角笛だった。
「ストラトス、神の島への護衛を再度頼みたいのだが……急な頼みで邪魔だったろうか?」
願ってもない申し出だった。
二つ返事で引き受けようとし、ストラトスはチラリと周りの守備隊員たちに視線を送った。
「行って来い、ストラトス! 村の救援は任せたぞ!」
先輩兵士が「さっさと行け」と言わんばかりに手を振る。
「どうか……ご無事で!」
「礼なら後で聞く! さっさと走りやがれ!」
仲間たちの温かい声援を受け、ストラトスは無言で強く頷くと、セルゲイのもとへ駆け寄った。
「頼んでおいて何だが……本当によかったのか?」
併走しながら、セルゲイが気遣わしげに尋ねてくる。
「問題ありません。アテン守備隊は一騎当千です。俺がいなくとも、港の防衛は完璧にこなすでしょう。……それよりも先生、アテン近郊の漁村から救援要請が入っています。そちらの救援をこなしつつ向かってもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。存分に暴れてくれと言いたいところだが……なるべく急ぎで頼むぞ」
「承知。一振りで薙ぎ払いましょう。……それと」
一足遅れて、港では黒虫の第二陣が上陸を開始していた。
守備隊本隊との激闘が始まったようだが――どうも敵の動きがおかしい。
かなりの数の黒虫が守備隊には目もくれず、こちらへ向かって猛スピードで押し寄せてきているのだ。
……いや、正しくは【角笛】を抱えるセルゲイを追ってきている。
「追われていますね。この大群を抱えたまま村へ直行するのは難しそうです。何か打開策はおありですか?」
迫り来る追手を数匹、槍の一撃で撃ち落としながらストラトスが問う。
「ああ! 教授から、村から戻る時に使った『あの魔獣』の使用許可が出ている! あれを使うぞ!」
「……ああ、あれですか」
ストラトスは、かつてアテンへ帰還する際に跨がった【六脚の魔獣】の巨躯を思い浮かべた。
普通の馬など遥かに凌駕する異物感、規格外の筋力と底なしの体力。
初めて背に跨がった時はストラトスを試すような凶暴さを見せたが、彼の力を認めると一転して従順になった怪物だ。
ニコラウス教授が「あやつに人が乗っておるのを初めて見たわい」と驚いていたのを覚えている。
「先生……あれに乗るなら、いい考えがあります」
ストラトスはセルゲイに向かって、不敵な笑みを浮かべた。
その獰猛な表情を目にしたセルゲイは、なぜか強烈な虫の知らせ――嫌な予感を覚えずにはいられなかった。




