二人の戦い
ストラトスがアテン市街で戦闘を始めた頃、漁村の海岸でもまた、ネルとアンサールが死闘を繰り広げていた。
海岸に押し寄せていた黒虫は、ざっと数百匹。
そのいずれもが馬ほどもある大型の個体であり、姿形は百足に近いが、恐ろしいことにそのすべてに「頭部」が存在しなかった。
本来頭部があるべき位置には、禍々しい大鋏が生えており、ひとたび直撃を受ければ、人間の肉体など一瞬で両断されてしまうだろう。
そのような異形たちを相手に、二人の勇者は一歩も退くことなく立ち向かっていた。
ネルの双剣が、迫り来る虫どもを余さず叩き伏せていく。
死角から襲い来る刃に対しては、その体躯からは想像もつかないほど優雅な身のこなしでかわし、その勢いのまま、二本の大剣でまとめて両断する。
時折、砂浜を食い破って地中から奇襲を仕掛けてくる個体もいたが、ネルの容赦のない蹴りの一撃で空中に打ち上げられ、そのまま爆発四散した。
時に可憐に、時に荒々しく。
ネルに近づくすべての悪意が、ただの肉塊へと変えられていく。
一方、アンサールは珍しく「本気」を出していた。
このアンサールという男、実は昔から「足の多い虫」が大の苦手なのである。
しかも相手は、頭のない百足の化け物。
当然、正視することすら不快で耐え難かった。
故に彼の思考は単純であった――少しでも視界に入る時間を減らすため、可能な限り迅速に叩き潰す。
それだけだ。
過去に海魔や岩トカゲと対峙した際よりも、さらに段違いの速度で戦場を駆け抜ける。
隣で戦うネルですら、途中で彼の動きを目で追い切れなくなるほどの超常的な神速。
アンサールが駆け抜けた残像の後には、縦真っ二つに「竹割り」にされた虫どもの死骸が整然と散乱していた。
――気が付けば、海岸を埋め尽くしていた黒虫の群れは全滅していた。
「……ふぅ、ざっとこんなもんかな?」
何事もなかったかのように曲剣の血を払うアンサール。
「……お見事ですわ。まだこれほどの力を隠していらっしゃったなんて」
深々と突き刺した大剣を豪快に引き抜き、返り血を浴びながら微笑むネル。
「ねえちゃんこそ凄まじいな。俺の故郷の砂漠を探したって、こんな芸当ができる奴はそうそういないぞ」
後方に控えていた元海賊の船員たちも、幸いにして大きな手傷は負っていないようだ。
あちこちから、勝利の勝鬨が上がり始める。
しかし、そんな男たちにアンサールは容赦なく水を差した。
「元気なのは結構だが、おっちゃんたち……勝鬨を上げるには、いささか早すぎるぜ」
アンサールが顎で示す先。
黒い波が、再び押し寄せてきている。
第2陣の到来だ。
「はぁ……さて、あと何百匹来れば終わるのかね?」
アンサールは心底うんざりしたように吐き捨てた。
「火山を完全に鎮めない限り、永遠に続くでしょうね」
ネルが静かに、そして非情な現実を突きつける。
「勘弁してくれよ……! 先生、早くしてくれーっ!」
アンサールは空に向かって絶叫しながら、再び愛刀を構え直した。
ヤニスは、その戦闘を村の医療所の窓から見守ることしかできなかった。
命の恩人たちが血を流して戦っているというのに、自分はただ震えて見ていることしかできない。
己の無力さに、ヤニスは激しい悔しさと憤りを覚えていた。
ふと横を見ると、先ほどまで気を失っていたはずの父・ヨルゴスがいつの間にか立ち上がり、その両手に古い剣を握り締めていた。
「ガキどもめ……このワシを容赦なく殴り倒して気絶させるとは、いい度胸じゃないか」
見当違いの怒りに震えているヨルゴス。
「い、いや待て親父! いま行ったって足手まといになるだけだ!」
ヤニスは慌てて父親の身体にしがみつき、必死で引き留めた。
「……分かっておるよ、我が息子よ」
ヨルゴスは、ヤニスがこれまで一度も見たことがないほど、優しく穏やかな表情を浮かべていた。
「ヤニスや。……これが、今生の別れとなる」
「な……何を言ってんだよ、親父!?」
ヤニスは思わず叫んだ。
「子分たちが命を賭して死地にいるというのに、なぜ親分であるワシがここで寝転がっていられるか」
「だけど親父! そのボロボロの体じゃ――!」
親子が言い争っていると、部屋の奥から小さな声が響いた。
「……おじいちゃん、どこかに行っちゃうの?」
マリアだ。
怯えた瞳で見つめる幼い孫娘に、ヨルゴスは先ほどまでの荒々しい表情を削ぎ落とし、目尻を下げて優しく微笑みかけた。
「おじいちゃんはね、みんなを守るために、ちょいと出かけてくるんだよ」
ヨルゴスは膝をつき、マリアの小さな身体を強く、温かく抱きしめた。
「いいかい、マリア。ヤニスおじさんの言うことをよく聞いて、良い子にしているんだよ。お前の母親と同じように……おじいちゃんはいつだって、マリアの味方でいるからね」
そう言い残すと、ヨルゴスはヤニスの顔をじっと深く見つめ、二度と振り返ることなく外へと駆け出していった。
ヤニスはただ、その小さくも大きく見えた父親の背中を、涙で視界を濡らしながら見送ることしかできなかった。




