邂逅
「すげぇ噴火だ……」
アテン南部の海岸警備隊に所属する兵士ディミトリスは、先遣隊として派遣された火山近郊の離島で、その圧倒的な光景をただ呆然と眺めていた。
数世紀ぶりの噴火の兆候がある。
上官からはそう聞かされていたものの、生きているうちに自身がこのような光景を目の当たりにするなど、夢にも思わなかった。
遥か遠くに見える山頂から噴き出す黒煙が、あたり一面を暗く覆いつくす。
「これは一大事だぞ! 早く本隊へ報告に戻ろう!」
同僚の一人が、引きつった声で帰還を急かす。
ディミトリスも完全に同意だった。
突如としてあたりを包み込んだ暗がりと、あらゆる生物の息遣いが消えたかのような異様な静けさが、どうにも不気味で仕方がなかったのだ。
ディミトリスが大急ぎで踵を返そうとした、まさにその時だった。
海原から何かが這い出して来るのが見えた。
(魔獣か……!?)
念のため警戒し、剣に手をかけて近づこうとした瞬間。
彼の思考は永久に中断された。
首と胴体が無造作に引きちぎられ、血飛沫が舞う。
他の隊員たちも同様だった。
悲鳴を上げる暇すら与えられず、一瞬にして凄惨な肉塊へと変えられていく。
どす黒い悪意が滲み出し始めていた。
夜を徹して馬車を走らせ、セルゲイたちはアテンへと戻ってきた。
アテン正門は、先日の噴火の影響で逃げてきた避難民で激しくごった返していた。
誰も彼もが我先にと市内へ入ろうと押し合い、あちこちで怒号と悲鳴が飛び交っている。
「正面から入るのは不味そうじゃの。セルゲイ君、あっちに大学へと繋がる隠し通路がある。そっちから潜り込もう」
(そんな都合の良いものがあるのか……)
アテンが城塞都市だった頃の抜け道らしく、非常時の秘密連絡通路として今なお残されているのだという。
なお、同行していたストラトスは「守備隊に現在の状況を確認しに行ってくる」と言い残し、この場で別れることになった。
暗く狭い地下通路を抜け、一行は大学内へと入った。
大学内はいつもの静けさは皆無で、まるで戦場のような臨戦態勢と化していた。
行く先々で、青ざめた表情の教授や研究者たちが書類を抱えて走り回っている。
「あっちでもこっちでも大騒ぎじゃな。恐らく中央議会の連中から、火山の情報やらを集めさせられとるのだろう」
「かの賢者殿も駆り出されているのでしょうか?」
「あの人を動かせる者など、この国にはおらんよ」
ニコラウス教授は苦笑交じりにそう言うと、自身の研究室とは真反対の方向へと足を進め始めた。
セルゲイも急いでその後を追う。
「教授、どちらへ?」
「今わしの研究室に戻るのは悪手じゃ。待ち構えていた学長か議会の追手に捕まって、調査どころではなくなる。であれば、先にその賢者に会いに行くとしよう。あそこなら、誰も怖がって近づかんからの」
予期せぬ早期の邂逅である。
セルゲイは腹を括り、覚悟を決めた。
「ちなみに……その賢者殿は、なぜ私などに会いたいのでしょうか?」
セルゲイは当然の疑問を口にした。
「あの人の考えておることは……わしにもさっぱり分からん」
教授は困り果てたように眉を寄せる。
「ただ、無駄なことは一切しないお方じゃ。おぬしに会うことにも、何か意味があるのだと思う。……たぶん」
語尾が急に不確かになる教授。
それから二人は無言のまま、大学の奥深く、離れへと続く道を歩んでいった。
辿り着いたのは、大学の母屋から遠く離れた木々の茂る一角だった。
周りの喧騒が嘘のように、辺りは静まり返っている。
正面には、年季の入った石造りの建物。
大学のどの校舎よりも古く重厚な扉は、まるで一切の訪問者を拒絶しているかのようだ。
ニコラウス教授は扉の前で立ち止まると、緊張した面持ちでセルゲイに注意事項を授けた。
「ここに賢者殿がおられる。アテン大学最古の教授で、その名をソフィア教授と言う」
(ソフィア……女性の方なのか)
「この大学一の偏屈者でもあってな。機嫌を損ねると何が起きるか分からん上に、何が気に食わないのかも全く掴めんのじゃ」
ニコラウスが身震いする。
「そういった点を十分注意して、粗相のないよう対応するのじゃぞ」
これまでに見たこともないほど必死で真面目な老教授の表情に、セルゲイは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
どうやら相当苦手のようだ。
ニコラウスが意を決して息を整え、扉をノックしようとしたまさにその瞬間、鍵もかかっていないはずの重い扉がスッと勝手に開いた。
直後、中から鈴を転がすような、しかし異常な圧を孕んだ若い女性の声が響いた。
ニコラウスの顔色が、みるみるうちに土気色へと変わっていく。
「ニコ坊。お前、あたしのことをまた厄介婆だと思っているのかい?」
奥から姿を現したのは、どう見てもまだ若い女性だった。
それも、類稀なる美貌と呼ぶに相応しい風貌。
しかし、その全身から放たれる圧倒的な覇気と威圧感は、とても若い娘のそれではない。
「いや……それは……なんと言いましょうか……」
ニコラウスがしどろもどろになり、汗を滝のように流している。
ソフィア教授はニコラウスを一度冷ややかに睨みつけると、視線をセルゲイへと向けた。
「あんたが、ニコラウスの言っていた弟子かい?」
「はい。帝国から参りました、セルゲイと申します」
間髪入れずに即答する。
兵士時代に叩き込まれた習性が、咄嗟に身体を動かした瞬間だった。
ソフィア教授は、何かを品定めするように鋭い目つきでセルゲイをじろじろと見つめ、そして鼻を鳴らした。
「あんた、帝国の生まれじゃないね? 北方の……それも相当な僻地の出だ」
セルゲイは驚愕して目を見開いた。
初対面で、なぜそこまで見抜かれたのか。
セルゲイが返答に窮していると、彼女は呆れたように手を振った。
「別に取って食いやしないよ。さあ、いつまでも突っ立てないでお入り。ニコラウス!あんたは外で見張ってな!」
背後から「そんな……!」というニコラウス教授の悲痛な絶叫が聞こえたが、ソフィア教授の決定を覆すことなどできるはずもなかった。
(教授、すみません。後で骨は拾います……)
セルゲイは心の中で師に深く謝罪しながら、足を踏み入れた。




