情報整理
「大冒険だったようじゃな」
特製のハーブ茶を堪能しながら、ニコラウス教授が労うように言った。
ここはヤニスの家だ。
セルゲイだけでなく、ネルとストラトスも同席している。
なお、アンサールは村に着くやいなや、どこかへ姿をくらませてしまっていた。
教授はセルゲイが村を発ってから、入れ違いになる形でこちらにやって来たらしい。
今はまるで自分の家のように寛いでいる。
ヨルゴスたちは、今回の航海で命を落とした犠牲者たちを弔っている。
セルゲイも出席するつもりだったが、ヨルゴス達に「先生方には、それよりも優先してやることがあるでしょう」と止められた。
「ええ……神代の一端に、期せずして触れることになりました。ところで教授、どうしてこちらに?」
「文献調査が一段落したのと、おぬしに用事があってな。まずは神の島での出来事を、詳しく聞かせてくれるかの?」
セルゲイは島での出来事を詳細に語った。
巨人の神と火山の悪神の関係。
失われた角笛を取り戻す方法。
そして、噴火により全てが失われるという最長老の警告。
教授はその話に一切口を挟むことなく、静かに耳を傾けていた。
そしてすべてを語り終えた時、初めて口を開いた。
「『賢者の釉薬』とな?」
教授の白眉の間に、深い皺が寄る。
「どのような物か、全く見当がつかず……。教授なら何かご存じではないかと」
「うむ……この地に六十年暮らしておるが、そんな名は聞いたこともない。……それよりも」
教授の表情が一層険しさを増す。
「その長老の言う『神も人も皆死ぬ』じゃと?人が死ぬのは分かるが、なぜ『神』もなのか?」
「それも詳しく訊ねる前に最長老が深い眠りについてしまったため、全く……」
申し訳なさそうに肩を落とすセルゲイを見て、教授は「くっくっ」と喉を鳴らして笑った。
「一つ謎が解ければ、また新たな疑問が生まれる。これだから知識の探求というものは止められん」
老人の瞳に、狂気的で獰猛な光が宿っていた。
思わず気圧されるセルゲイ。
「学問の道に入り幾星霜。これほど心躍る謎に出会ったのは初めてじゃ」
白い顎髭を触りながら、教授の視線は遥か宙を見据えている。
「恐らくこれが、わしの人生最後の研究になりそうじゃな……フフフ、滾ってきたわい」
どこか危険な狂気すら孕んだ気配を放つ老教授に、セルゲイは苦笑するしかない。
「しかし教授、手掛かりはまたも途絶えてしまいました」
「焦るでない、若き研究者よ。おぬしの働きにより、我々は真実のまさに一歩手前まで到達したのだ。後は……」
教授は再びハーブ茶を静かに啜ると、こう切り出した。
「おぬしからの書簡を受け取った後、わしはある『賢者』の元へ向かった。今回の事件について、その知恵を借りるためにな」
「賢者……ですか?」
「左様。おぬしの知る古老のような人物と思ってくれて構わん」
「アテンにも、そのような人物がいるのですか?」
「うむ。……まあ、詳しくは聞かんでくれ」
先ほどまでの圧力はどこへやら、教授は身震いして話を続ける。
「ともかく、かの賢者から、わしは巨人伝説についてのかなり正確な伝承を把握することができた」
セルゲイは静かに続きを促す。
「まず、巨人の神が火山を封印しているのは事実じゃ。そして【角笛】の音によって呼び寄せることができるという点もな。そこはおぬしが出会った最長老が語った内容と一致しておる」
教授はハーブ茶を一気に飲み干す。
「そして『巨人の神』とはなんなのか?なぜ火山を封印することになったのか……その一部を知った」
教授の瞳に、哀れみとも悲しみとも取れる色が宿った。
「それは……一体どのような内容なんですか?」
教授は深くため息をついて語る。
「贖罪じゃよ。それもある種の『呪い』と言ってもいい。誰かにかけられた呪いではない……己自身で、己を縛った呪いじゃ」
「贖罪?ですか」
セルゲイは困惑する。
「愛する者を守れなかった後悔。他者の言葉に流され、自ら動こうとしなかった己への怒り。力を持ちながら、何も解決しようとしなかった己への失望。そんなところじゃ……」
セルゲイはさらに核心へ踏み込もうとしたが、教授は手を挙げてそれを制した。
「この事は、わしの口から軽々しく全てを語るべきではない。実際にその賢者に相見え、おぬし自身の目で確かめるが良い。……さて、本題はここからなんじゃが」
教授は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「その賢者におぬしの話をしたらな『その者に会ってみたい』と言うのじゃ。面倒じゃが、一度アテンへ戻ってはくれんかの?」
(…今、必要なのか?)
どんな要件かは分からないが、先ほどからの教授の態度をみるに、相当ややこしい人物のようだ。
一刻を争う事態の中で、余計なことに時間を取られたくないセルゲイは、自ずと表情に出てしまっていた。
「そんな嫌そうな顔をするでない。先ほども言うたが、巨人の真の伝承を教えてくれたのもその賢者じゃ」
「しかし教授、私は『賢者の釉薬』の手掛かりを得て、角笛を清めねばならないのです」
「だから、焦るでないと。この申し出を聞いた時、わしも『余計な時間を取らせるな』と思うた。ただ、おぬしからの報告を聞いた今、悪くない選択だと考え直した」
「なぜです?」
「考えてもみたまえ。そんな正体不明の『釉薬』とやらを、何の当てもなく闇雲に探し回るつもりか?」
痛いところを突かれる。
「アテンにはおびただしい数の研究者がおる。そして、かの賢者も調査に参加させればいい。我々だけで当てずっぽうに探し回るより、勝算は遥かに高いと思わんか?」
確かにその通りだ。
このまま当てもなく探し回っても、見つかる確率は極めて低い。
ならば基本に立ち返り、文献調査と専門家の知見を集めるのが最も確実な道筋だ。
「焦りは禁物じゃ。一つ一つ丁寧にじゃよ」
「……仰るとおりです。私は焦りのあまり、また、周りが見えなくなっていたようです」
セルゲイは己の未熟さを恥じた。
「よいよい、若者を諌めるのも年長者の大切な役目じゃからな」
にこやかに微笑む教授を前に、セルゲイは胸が温かくなるような感謝の念を抱いた。
「時に、ネル殿」
教授が静かに座っていたネルに視線を向ける。
「セルゲイが大変お世話になりました。深く感謝申し上げます」
「お礼には及びません。私どもも、このアテン存亡のために微力ながら、お力をお貸ししたに過ぎませんわ」
「ネル殿の目から見ても、事態はいよいよ深刻とお考えで?」
「はい。ただの軽微な噴火であれば、巨人達がこれほど慌てることはありません。ですが今回は巨人達も、何かに怯えているようで……恐らく彼らの言う『滅びの時』が近づいているのは確かかと」
「教授。その件について、私に一つ仮説があるのですが」
「恐らく、わしと同意見じゃろうな。聞かせてくれるかの?」
「最長老がすべての死を警告しました。これまでの軽微な噴火では焦りを見せなかったこと。そして、神の眷属たる黒い虫が暗躍していること。それらを総合して考えると、次の噴火では『悪神』そのものが復活するのではないでしょうか」
「……残念ながら、状況からそうであろうな。まさか生きているうちに、本物の神に相見える機会があろうとは」
教授は自嘲気味に、しかし学徒としての不敵な笑みを漏らした。
「神の再臨。そうなれば、もはや我々人間の手に余る大災害じゃ」
「一刻も早く、巨人の神を顕現させる手段を取り戻す必要がある。皆の者、いよいよ正念場じゃぞ」
教授の重重しい宣言に、再度覚悟を決めるセルゲイであった。
アテンへの帰還は翌朝となった。
急ぎたいのは山々だったが、過酷な船旅と登山によりセルゲイの体力も限界に達していたためだ。
なお、司祭長であるネルはこの村に残ることになった。
「私のこの体躯では、アテンの街中では目立ち過ぎてしまいますので」とのことだった。
明日の朝に発つことを伝えるため、ヤニスたちを探していると、こちらへ必死に駆け寄ってくるヤニスの姿が見えた。
何事かと尋ねると、ヨルゴスが犠牲者の埋葬を終えた直後、その場で力尽きて倒れてしまったのだという。
急いで医療院へ向かうと、ベッドにヨルゴスが横たわっていた。
過酷な航海と仲間を失った心労の中で、相当な無理を重ねていたらしい。
幸い命に別条はないものの、当面の絶対安静を言い渡されたという。
「無理しやがって……」
ヤニスが呆れたように、しかし、どこか誇らしげにそう言った。
その夜は、怪我人の回復と奇跡的な航海の成功を祝い、村人総出で盛大な宴が催された。
そして翌朝。
セルゲイは、ヤニス親子に改めて別れを告げた。
この親子がいなければ、自分たちは神の島へ辿り着くことすらできなかっただろう。
「数々のご助力、本当にありがとうございました。神の島への航海は、私の生涯の宝です」
横たわったままのヨルゴスが弱々しく答える。
「なんの……お礼を言うのはこちらです。先生のおかげで、長年の後悔にようやく区切りをつけられましたわい」
「先生、絶対に角笛を作ってくれよな」
「せんせー、また文字を教えてね」
三人からの別れの言葉を胸に、教授の待つ馬車へ乗り込む。
先頭の魔獣の手綱を握っているのは、ストラトスだ。
この村でお別れかと思っていたのだが、アテンまで付き添ってくれるらしい。
そしてその手には、異様な存在感を放つ巨大な槍が握られていた。
何かの巨大な骨を削り出したような、無骨で荒々しい作りの槍だ。
尋ねてみると、神の島を出る際に「あなたなら使いこなせるでしょう」とネルから送られたものらしい。
かの島の戦士たちが使っていた武器だそうで、最初はあまりの重さに扱うのに苦労したそうだが、今では軽々振るえるとのこと。
セルゲイが馬車に乗り込むと、対面に座るニコラウス教授がにこやかに微笑んだ。
「よい村であったな」
「ええ、本当に……」
セルゲイが深く頷き、返答をしかけたその時だった。
(ん…?)
馬車が揺れている?
この前の地震ほど大きくはないが、違和感を感じる。
「教授、地震かもしれませ――」
言葉を最後まで紡ぎ切ることはできなかった。
「――――――――――ッ!!!!!」
世界が崩壊したかのような、凄まじい地響きと衝撃波。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
激しい風圧に目を瞑り、恐る恐る目を開けたセルゲイの視界に入ってきたのは、空を黒く塗り潰すように立ち昇る黒煙だった。
「教授……?あの方向はまさか……」
教授は一切の冗談を排した、神妙極まりない面持ちで静かに頷いた。
ついに、噴火が始まった。




