内界
常に温和な微笑を浮かべていたネルが『司祭長』の肩書にふさわしい、厳粛で威厳に満ちた表情に切り替えてセルゲイを見つめた。
「セルゲイ殿。最長老が、我ら一族以外の誰かに……それも、外部の『人間』と会いたいなどと仰ったのは、私の知る限り歴史上初めてのことにございます。これは、この世界に何かあまりにも大きな……重大な異変が起きようとしている、その兆候なのかもしれません」
ネルは続ける。
「私どもがあなた方を助けたのは、最長老の指示があったからです。そうでなければ、我々は決して人前に姿を晒すことを許されておりません。…セルゲイ殿。この先に待ち受ける危険は私にも予測がつきませんが、どうか最長老にお会いし、そのお話を聞いてはいただけないでしょうか」
「ええ、それは問題ありません。私としても最長老殿にお聞きしたいことが山ほどあります」
セルゲイは少しの迷いも見せず、二つ返事で快諾した。
「ありがとうございます」
ネルは感謝を口にし、巨人の住処への行き方を説明した。
巨人たちの住処には、この島の中央にそびえる山頂の寺院からしか行くことはできない。
寺院内の特別な場所から、その住処へと行くことができる。
ここからは険しく急な登山となるため、体力を考慮し、出発は明日の早朝と決まった。
「明日の早朝にお迎えにあがります」
ネルはそう言い残すと、彼女自身の準備があるとのことで、静かに部屋を後にした。
セルゲイは、今回の登山に同行させる護衛として、ストラトスとアンサールを伴うことにした。
ヨルゴスは危険な登山となるため、船員たちから参加を止められた。
最後まで抵抗していたが…渋々諦めてくれた。
翌朝、約束通りネルが迎えにやってきた。
「おはようございます。本日はよろしくお願いいたします」
彼女の装いは、昨日までの頭から足先まですっぽりと覆う排他的な白ローブではなく、生地が引き締まった、機能的で動きやすい巡礼用のローブに変わっていた。
昨日までは深く覆われ表情は分らなかったが、露わになったその素顔は驚くほど端正に整っており、透き通るような白い肌に、吸い込まれそうな青い瞳を宿していた。
その豊かな髪は、まるで新雪のように真っ白だった。
そして、何より目を引いたのは、その風貌に似つかわしくない、人間の規格からすれば明らかに重厚過ぎる肉厚な剣であった。
「おはようございます、ネル殿。本日はよろしくお願いします。…それで、その剣は一体?」
恐る恐る尋ねるセルゲイ。
「これですか?これはただの護身用にございます。この島の山道には時折、危険な魔獣が出没いたしますもの」
ネルは何でもないように剣を抜き放ち、軽く振って見せる。
並みの男であれば両の手で持つのすら困難に見えるが、彼女は軽々と扱っている。
なるほど、人間の姿に近づいてはいるが、巨人の末裔なだけある。
「先生、くれぐれもお気をつけて」
包帯まみれでベッドから見送るヨルゴスと固い握手を交わし、セルゲイたちはネルの先導に従って静かに集落を出発した。
ネルによれば、寺院までは順調に行けば昼前には到着するだろうとのことだった。
道中には【岩トカゲ】やら【角ウサギ】などの魔獣が出没するとの話だが…まあ、こちらには腕利きの戦士が二人もついている。
特段の心配はないだろう。
険しい山道を登りながら、ネルが巨人の住処について詳しく話してくれた。
「昨日、私はこの地が【穢れ】てしまったと、お伝えしましたね。実はその【穢れ】の影響からか、現在巨人たちはこの地には暮らしておりません」
「では、彼らは一体どこに?」
「この大地の底。私たちは『内界』と呼んでおりますが。その世界に今はひっそりと暮らしております」
内界か。
学園時代に聞いたことがある。
この世界には我々が住む大陸とは別に、地中深くにもう一つ別の大陸があるという仮説。
世界の果ての海から流れ出たものが、その内側の大陸を経由してこちら側の大陸とを循環しているとか。
セルゲイ自身見たこともないので、与太話程度に聞いていたが、まさか本当にそんな場所があるとは。
浪漫が掻き立てられる。
「じゃあ今からその『内界』ってところに行くのかい?今、山を乗っているのに?」
後方を歩くアンサールが、可笑しそうに肩をすくめて問いかける。
「そう感じられるのも無理はありませんわ。内海への入り口は世界にいくつかあるようですが、身体の大きな巨人たちは、主に海底の巨大な大穴を通じて地底と往来しているようです。ただ、遥か昔、私どものような身体の小さな人間たちが彼らと謁見し、連絡を取り合えるようにと、特別にこの山頂の寺院の位置に、人間用の入り口が設けられたのだと伝わっております」
「なるほどな。巨人たちが主に水中や海底を移動しているからこそ、この島に上陸した段階では、彼らの姿が一切見えなかったわけか」
セルゲイは腑に落ちると同時に、最も気になっていたもう一つの矛盾を口にした。
「しかしネル殿。その【穢れ】によりこの地を去ったのであれば、なぜ危険を冒してまで、我々を助けるような真似をしたのだろうか?」
「それに関しても、やはり古い戒律によるとしか…お待ちください!」
ネルが警告を発する。
「さっそくお出ましだぜ」
アンサールが嬉しそうに剣を抜く。
無数の【岩トカゲ】の集団である。
その名の通り、体内に周辺の鉱物を取り込むことで、自らの外皮を硬化させる魔獣である。
本来は臆病で、積極的に人間を襲うものではないが、産卵期などはエネルギーを蓄えるために、積極的に鉱山などに現れては鉱石を食い荒らす。
鉱山労働者の悩みの種となっている厄介な生物だ。
ざっと見積もって二十匹程度か。
「先生は後ろへ」
ストラトスが前線に立つ。
なお、現在の彼は槍を持っていない。
先日の船上での戦いで、巨人が船をひっくり返した際に、槍を紛失してしまったらしい。
「数はまあまあですが、こちらには腕利きがいるので何の問題もありませんね」
それではと、ネルは剣を抜き走り出した
「アンサール援護…を?」
そう言いかけて、ネルが豪快に岩トカゲを叩き切った。
硬化鉱物の外皮を持っていたはずの岩トカゲが、地面ごと文字通り「真っ二つ」に叩き切られて圧殺されたのだ
(…さすが巨人の末裔)
その間にもトカゲを潰して回っている。
アンサールがずるいと言って、敵の中に飛び込んでいく。
外皮のわずかな柔らかい部位を的確に見抜き、次々と切り刻んでいく。
「…二人に任せてもよさそうだ」
セルゲイは腰の剣に手をかけたまま、半ば呆然と呟いた。
「そうですな」
そう言うストラトスを見ると、彼は岩トカゲを持ち上げては谷に投げ込んでいた。
ものの数分と経たないうちに、あれほど威嚇の声を上げていた二十匹以上の岩トカゲの群れは、一匹残らず物言わぬ肉塊、あるいは谷底の藻屑へと変わっていた。
「お二人ともお見事です」
ネルは晴れやかな笑顔を向けた。
「特にストラトス殿はすさまじい膂力をお持ちの様で。私どもでもあれを持ち上げて投げるなんて、そうそうできませんよ?」
「む…感謝する」
彼はどこまでも不愛想である。
「俺、初めて岩トカゲと戦ったけど、面白いなこいつら」
アンサールは曲剣の先端で、転がっているトカゲの死体を興味深そうにつついている。
一行はしばしの短い休憩を挟んだ後、再び登頂を再開した。
その後は特に凶暴な魔獣に遭遇することもなく、道程は極めて順調に進み、いよいよ山頂が近づいてきた時。
「皆様、ご覧ください。あれが寺院です」
ネルが、白く輝く山頂の先を指差した。
その先にそびえ立っていたのは、長い年月の風化による古さは否めないものの、言葉を失うほどに荘厳で圧倒的な作りをした古代の建造物だった。
壁面や床のすべてが純白の石材で統一されており、そして大理石の石柱が何本も設置されている。
そのすべてが異常に巨大に設計されていた。
ネルが言うには、この地がまだ穢れる前『巨人の神』がいた時代に、その神を祀るために建造されたものだという。
そして現在においては、有事の際の内界に住まう巨人族と地上に残された司祭達との連絡の場だという。
様々な歴史的ロマンに胸を躍らせながら、一行はようやく山頂の寺院の正面へと辿り着いた。
「しばらくお待ちください。この正面扉が…とても重くて…」
ネルがそう言いながら、身の丈の三倍はある重厚な石の扉を開けようと力を込めて必死に押している。
それを見かねたストラトスが、無言で片手で押し込むと、実に呆気なく扉が開いた。
「……え?」
これにはネルも驚いている。
「これを片手で…あの…本当に人間ですか?もしかして巨人族の生き残りか何かなのでは?」
動揺のあまり、昨日までの完璧な司祭長としての気品はどこへやら、若干砕けた素の口調が漏れ出す。
ストラトスは微塵も表情を変えずに真顔で「違います」とだけ言った。
そのやり取りに思わずアンサールが吹き出していたが、セルゲイはなんとか耐えることができた。
一歩足を踏み入れた寺院の内部は、静まり返っており、しんと冷たい空気が張り詰めていた。
普段はここに人は常駐しておらず、日に一度、集落の司祭たちが異常がないかを巡回しに登ってくるだけなのだという。
「『内界』へと至る道は寺院の最奥にあります。急ぎましょう」
ネルの案内で、一行は大理石の広大な回廊を抜け、さらに奥へと進んでいく。
人の気配は全く感じないが、向かう先から何か…生き物の様な気配がする。
セルゲイはなんとなくだが、見られている感覚に陥った。
ストラトスもアンサールも警戒している。
そうして一行は最奥の部屋に辿り着く。
その部屋の正面には、岩肌を丸ごとくり抜いたかのような、漆黒の洞窟の穴が口を開けていた。
一見すると、どこにでもあるただの自然の岩穴のようにも見えるが、一寸先すら全く見通せない。
そして、不気味な事に周辺の空気を吸い込んでいる。
まるで呼吸をしているかの様だ。
「ここが『内界』へと通じる入り口にございます」
ネルの顔にも緊張が見て取れる。
「この先を真っ直ぐに進むだけですが、注意点としてこの先は光が一切存在いたしません」
「光がない?松明なら用意しているが…」
ネルは首を振る。
「いいえ、そういう意味ではございませんの。どういう理屈なのか、この穴の内部に入ると、どんな光も見えなくなるのです。ですのでこの暗闇をひたすら進むしかありません」
その証拠にとネルが松明をつけ、洞窟に投げ込むと、途端に火が見えなくなった。
全く意味が解らない。
しかし、これが神代の領域に進むために必要な試練なのだろうか。
ふう、と深呼吸し、二人の戦士に問う。
「ストラトス、アンサール、二人とも準備はいいか?」
セルゲイの問いかけに、二人の戦士は無言のまま、しかし一切の恐怖を感じさせない力強い視線で深く頷いてみせた。
「俺が前に行く。先生とネル殿は俺のすぐ後ろに。アンサールは後方で警戒してくれ」
ストラトスが盾を構える。
「あいよ、任せときな。後ろは俺が完璧に見ててやるから、前だけに集中しな」
アンサールも普段の軽口を崩さぬまま、音もなく後方へと移動した。
セルゲイ達はいよいよ神話の世界に足を踏み入れた。




