想いの先にある笑顔
春子ははしゃぎ疲れたのか、布団に入るとすぐ眠りについた。
皇乃介もそれにならい布団に入ってはみるが
ピリピリと尖った神経が睡眠の邪魔をする。
暗闇の中、春子の寝息が小さく聞こえる。
さきほどの春子の笑顔を思い出した。
すると同時に、さほど遠くない昔、別れの言葉をかわした女の姿が浮かんだ。
・・・今まで忘れていたくせに。
皇乃介は心の中でそっと呟いた。
そう、今まで忘れていたくせに、
思い出した途端、彼女の存在が頭にこびりついて離れなくなったのだ。
峰子
(確かあいつは・・・)
皇乃介は、まだ”もや”がかかる、その女と記憶の糸を手繰り寄せ始める。
(・・・そうだ、あの神社の)
_________
峰子を初めて見たのは、まだ大和村に住み始めて間もない頃。
彼女は他の村人と比べ、随分異質な存在だった。
どう異質かと問われれば、理由は多すぎるくらいある。
だが、いずれもぼんやりとした、抽象的なものばかりだ。
彼女は、あの小さな神社をたった一人で管理していた。
薄汚れた緋袴を着た、たった一人の巫女だった。
───まるで、蛇のような女だ。
初めて見た時に、真っ先に感じたのは”それ”だった。
眼光は鋭く、そして妙な色気があった。
やせ細った体でありながら、放つ雰囲気は神秘、いや
”蠱惑”
と言ったほうが正しいだろう。
危うさと妖しさの共存。
美しい。
だが、ただの美しさでは無い。
引き込まれてしまうようなその目は
狙った獲物は逃がさない───そう強い意志を持っているかのようだ。
静かでありながら、その異様な存在感。
特別奇抜な外見でもなく、変人のような言動をするわけでもない。
だがやはり、異質なのだ。
向かいに住む奥方、ヨシ江が声をかけてきた。
ヨシ江は西の方を指さし、語り始めた。
「あそこにお屋敷があるだろ?
大きいけど今にも壊れそうなボロ家。あそこのお嬢さんだよ。
昔は金持ちだったけどねぇ・・・宮司だったあの子の父親が失踪して、
生活が立ち行かなくなったってさ。
今は母親と、二人でその屋敷で暮らしているんだよ。
なんでも金目の物は大半売っ払っちまって
その時に頂いた金も、もう底をついてるみたいだ。」
彼女が示す方向を見ると、なるほど、一軒家二つ分の大きな屋敷が見える。
しかし立派な・・・とは言い難かった。
台風が来たら一発で崩れてしまいそうな、おんぼろの屋敷。
もう一度、鳥居の奥をちらりと見る。
彼女は小さな社の周りを、ほうきで掃いていた。
「・・・ちゃんと飯は食えてるのかなァ。」
「さてねぇ。あの様子じゃ、どうだか。
今も八百屋を見てるだろ、たまに野菜くずをもらいに来てるみたいだ。
アンタも知ってるだろ?あの子はつい最近まで、納屋に閉じ込められてた。
もしかしたらその時から、まともに飯にありつけてないのかもね。」
「閉じ込められてた?納屋に?」
聞き返すと、ヨシ江は驚く。
「アンタ、知らないのかい?」
「あァ。なんで納屋になんか・・・悪い事でもしたのか?」
ヨシ江は頬に手をあて、どこか困ったような顔をした。
「・・・あそこの母親はなお姫様なんだよ。
父親が夜逃げした後、峰子ちゃんは雨の中、泣きながら父親の名前を呼んでた。
傘もささずにね。
そしたら母親がすっ飛んできてね。
『この恥知らず!!』って怒鳴って、峰子ちゃんを納屋に閉じ込めたんだ。
・・・きっとさ、『夫に夜逃げされた恥ずかしい妻』って
周囲にばれるのが心底嫌だったんだろ。高慢ちきな人だしね。」
「随分ひでェ話だな・・・。」
そう呟く皇乃介の顔を、ヨシ江はじっと見ていた。
_________
皇乃介はどうも、その峰子という女が気にかかった。
時折ふと姿を見かけるが、他の村人たちは彼女に対し関心を持つことはないようだ。
その日、彼は神社を訪れてみる事にした。
きっと峰子は今日もそこにいるだろう。
小さな鳥居をくぐる。
すると、奥から小さな独り言が聞こえた。
「・・・はぁ。・・・お腹すいたぁ。」
皇乃介は自分の耳を疑った。
あんな”得体の知れない”女でも、腹は減るのか。
当たり前の事なのに、何故か皇乃介は面食らい吹き出してしまった。
皇乃介の小さな笑いに気づき、彼女は驚き振り向く。
「あ。・・・お、お参りですか?」
彼女は慌てて取り繕うが、頬は少し赤いようだ。
なんだ、思ったより『人間らしい』じゃないか。
「あァ。」
そう返事しながら、どうも笑いがこらえきれない。
面白かったわけではない、何故かうれしさに似た感覚が沸いたのだ。
手に口を当て肩を震わす皇乃介を気味悪く思ったのか
それともうっかり出た独り言に恥ずかしさを覚えたのか
彼女は背を向け、また掃き掃除を始める。
皇乃介は賽銭を投げ、手を合わせようとした。その時
───ぐう。
峰子の腹が鳴った。
彼女は顔を真っ赤にし、慌てて腹を抑える。
だが皇乃介はもう堪える事が出来なかった。
「そ、そんなに笑う事ないじゃないですか!」
ムッとした顔で、抗議の声を上げる。
「悪い。なんか、可愛くて、つい。」
「・・・冷やかしは困ります。」
「冷やかしじゃねェよ。良かったら、うちに来ないか、なんか食わせてやるから。」
勢いで家へと誘ってしまった。
怪しい男だ、と警戒されただろう。
「結構です」
皇乃介の予想通り、彼女はきっぱりと申し出を断った。
しかし、理由は予想外のものだった。
「私だけ腹を満たしたら、お母様に怒られますから」
ふうむ、と皇乃介は考えた。
確かにそうだ。特に、噂通りの『自分勝手』な母親なら尚更。
「じゃあ、握り飯も作ってやっから、
それを持って帰っておっかさんに食べさせてやんな。それなら大丈夫だろ?」
峰子は恐る恐る皇乃介の様子を見る。
「・・・他人の親切には、裏があります」
「俺にはねェよ。裏は無いが、米ならある」
その言葉に反応したのか、峰子の腹はまた、ぐう、と鳴った。
しばし悩む仕草をした後、彼女はほうきを置いた。
「腹が減っては戦は出来ぬ・・・」
そう呟いた後
「申し訳ございませんが、お言葉に甘えさせていただきます。」
少々不服そうではあったが、彼女は皇乃介についてきた。
羽釜を用意し、かまどに火をつける。
和室では、用意された座布団にちょこんと座りながら
居心地悪そうにしている峰子がいた。
「米だけじゃちっと寂しいよな」
皇乃介は独り言を呟きながら、七輪の中に炭を入れ
網の上にほっけの干物を乗せた。
赤く燃え始めた炭は、ぱちぱちと音を鳴らす。
峰子はちらりともこちらを見なかった。
炊き立ての米の匂いと、ほっけの香りが家中を漂いだす。
「干物と漬物くらいしかねェけど、いいか?」
皇乃介は茶碗にこれでもかというくらい、炊き立ての白米を盛り
香ばしく焼けたほっけと白菜の漬物を出した。
だが、峰子は箸を取ろうとしない。
「どうした?食わないのか?」
「・・・ほんとに、食べていいんですか?」
「もちろんだ。お前のために用意したんだぜ?
いらない、って言うなら捨てる事になっちまう。」
そう言うと峰子は箸を取り、初めは一口、二口、と毒見のように口に運んだが
その後は茶碗を口に寄せ、がつがつと食べ始めた。
「いい食いっぷりだな、安心した。」
皇乃介は微笑みながら、それを見ていた。
いつもの”蛇のような女”という印象は無くなっていた。
飯を搔っ込むその様子は、どこの人間より、人間らしいただの女。
そこにまた、皇乃介は謎の安心感を得た。
残った米で握り飯をいくつも作り、竹皮でくるむ。
それをまとめて風呂敷に包み、峰子の手に持たせると
その風呂敷包みの重さに、目をぱちくりとさせていた。
「腹が減ったらまた来いよ!」
峰子は深く頭を下げ、屋敷の方向へと歩んでいく。
結局大した会話も出来なかったが、悪い気はしない。
すると峰子が去ったのを見計らって、ヨシ江が家から出てきた。
「ちょっとアンタ、何やってんだい。あの子に関わるとロクな事はないよ?」
複雑そうな顔をして、皇乃介を見る。
「なんで?」
「峰子ちゃん、また母親に叩かれるんじゃないかねぇ・・・。」
「叩かれるって、母親にか?大丈夫だろ。
握り飯を山ほど持たせてやったんだから、逆に喜ばれるんじゃねェか?」
ヨシ江は、人差し指を立てチッチッと言いながら揺らす。
「甘いね。大甘ちゃんだよ、アンタは。
あの子は小さい頃からよく、母親にキンキン声で怒鳴られひっぱたかれてた。
峰子ちゃんを我が子と思ってないんだよ・・・」
ヨシ江は声をひそめる。周囲に誰もいないというのに。
「峰子ちゃんは捨て子だったんだよ。
あの家の玄関に、まだ赤ん坊だった峰子が捨てられてたんだ。
あの時のあたしは三男坊がおなかにいて、もうすぐ臨月って頃だった。」
皇乃介はヨシ江の語りを黙って聞いていた。
「捨て子を見て、てっきり奉行所へ連れていくもんだと思った。
でも、違ったんだよ。
”ちょうど良かったわ。私、体を痛ませず子供が欲しかったの!”
って、そりゃあもう嬉しそうに言ったんだ。
あたしゃ自分の耳を疑ったね。」
皇乃介は驚きのあまり、声を裏返らせる。
「えぇ?」
「しかもさ、驚いているあたしを見て、
”お宅は大変ね。三人目でしょ?よくそんなに次々産めるわね。
だからそんなに太っちゃうんじゃない?”
って!あたしゃ心底腹が立ってねぇ!」
せっかく声をひそめていたのに、彼女の声量は怒りで大きくなった。
今にも子供のように地団太を踏み始めそうだ。
「・・・で。峰子は、そのこづ恵って女の娘になったのか。」
どうどう、となだめながら、話の先を促す。
「そうさ。・・・血が繋がらなくても親子になれる。愛情があればね。
だけどあそこの奥さんは、峰子ちゃんに愛情を注げなかった」
「・・・ふうん。」
皇乃介は、峰子の姿が見えなくなった後も
彼女が去ったその道の先を見ていた。
小さな背中だった。
あの小さな後ろ姿を見ると、何故か、心が締め付けられる。
自分が守ってやらねば、という独りよがりな思いではない。
───守りたい。
考える先に、その感情を胸が満たしていた。
それからは、たびたび神社に赴き声をかけ、一緒に食事をした。
会う回数を重ねていくうちに、峰子も打ち解け
二人で食事をとることが、当たり前になっていった。
最初は母親に嫌味を言われたという。
「私が、若い女だからだろう、って。このあばずれって言ってました」
あれからそんなに日数は経っていないが、少し頬がふっくらしてきている。
「でもいつも、握り飯をたくさん持って帰るから・・・」
最近は、
『今日は情人んとこに、行かないの?』
と小指を立て、聞いてくるようになったという。
それを聞いて皇乃介は笑った。
「そりゃあ災難だったな、変な誤解を受けて。」
楽し気に笑う皇乃介を見て、峰子は下を向く。
「・・・ごめんなさい」
「なんで謝るんだ?」
「そんな誤解を受けるなんて皇乃介さんからすれば、確かに災難です」
皇乃介は慌てて訂正した。
「いやいや、違うって。峰子が災難だった、って言ったんだよ。」
「私が災難・・・?そんなことありません。なんで?」
「俺みたいな甲斐性なしと『情人』って見られるなんて。十分災難だろ。」
今度は峰子が慌てて否定する。
「そんな事はないです。
・・・皇乃介さんのお嫁さんになる人は、きっと幸せになれます」
それを聞いて、皇乃介は照れながら頭をかいた。
年頃の男女のやり取り。
それは傍から見れば、仲睦まじいものだろう。
だが、皇乃介には一つ気がかりな事があった。
峰子は、笑わないのだ。
ムッとして眉を釣り上げたり、悲しそうに瞼を伏せる事はあれど
笑顔を見た事がない。
「お前は、誰かの元へ嫁ぐ話とか無いのか?」
皇乃介が問うと、峰子は軽く背を伸ばした。
「獅子神様の元に嫁ぐつもりです」
「・・・え?」
「幼い頃から、父に言われてきました。
『お前は獅子神様の妻になる。ならなければいけない』と。」
峰子の目はいつになく真剣だった。
「でも・・・親父さんは」
「確かにもういません。でも、父の夢は、私の意思になりました。
私にとって、絶対揺るがないものです。」
そう言って、米を口に運んだ。
そんな様子をまた、皇乃介は不安げに見守る。
「お皿、洗います。」
峰子は空になった二人分の食器を重ね、台所へ持っていく。
「ん?ありがとう」
「いえ・・・いつもごちそうになって、何もお礼、できてないので」
「気ィ使うなよ」
峰子と過ごす時間。
それは、皇乃介の心を大きく満たした。
色恋沙汰にならずとも、粗食であろうとも、笑顔が見れなくとも
家族という存在がいない彼には、人と向かい合って食う飯は美味く
───そして楽しかった。
神の嫁になる。
それが彼女の志なのだろう。
それを邪魔する気も無い。
だが彼の胸中には、複雑な思いが満ちていった。
_________
特に何かが起こることもなく、時は過ぎる。
ただ一つ変わった事は、
あの屋敷からしばしば咳が聞こえるようになった。
「おっかさん、風邪か?」
「はい・・・こじらせてしまっているようで・・・」
初めて峰子を家に招き入れてから、もうすぐ二年経つ。
随分顔色も良くなり、俯いていた顔を少しずつ上げ
以前の、幽霊のような印象はすっかり無くなっていた。
最初は会話もまともに出来なかったが、今では小さな冗談も交わす。
もともと人懐っこい性分な皇乃介だが、
峰子に対し、十分すぎるほど親しみを感じていた。
「お皿、洗います」
いつも通り、峰子が空になった食器を持って台所へ向かう。
「じゃあ俺は握り飯作るか」
皇乃介は、皿を洗う峰子の横に立ち、冷めた釜に手を伸ばした。
「あ、・・・その・・・おにぎりは、大丈夫です」
「なんでだ?」
皿を洗う手を止め
「・・・お母様、食事もとれなくなってしまったので」
峰子はそう言って、口をつぐんだ。
「そっか・・・心配だなァ・・・。」
峰子の横顔に、少しだけ憔悴の色が見える。
「おっかさんの看病、峰子が一人でやってんのか?」
「・・・はい。」
「それじゃ大変だろう。俺も手伝いに」
「結構です!!」
峰子は急に声を張り上げた。
皇乃介は驚くと同時に、初めてくらった激しい拒絶に固まった。
「・・・ごめんなさい。でも、本当に、大丈夫ですから・・・」
帰ります、と呟き、飛び出て行った。
呆然として、開けっ放しの引き戸を見つめていると
「・・・痴話喧嘩かい?」
ヨシ江が顔を覗かせた。
───あれから峰子の姿を見ない。
「俺、何か悪い事言ったかなァ・・・」
そう呟きながら、西にそびえる屋敷を眺めた。
屋敷から聞こえる咳は以前よりひどくなり、夜中も途切れないほど。
峰子の姿を見かける事は無くなり、神社は無人となった。
「ただ看病に忙しいだけじゃないのかい?アンタが寂しいのはわかるけどさ。」
そう言って、ヨシ江も屋敷の方を見る。
_________
それから間もなくして、こづ恵が亡くなったと聞いた。
「労咳(現代でいう肺結核)でおっ死んだってよ」
村の者たちはそう噂していた。
───面倒くさい女が死んで良かった。
噂話をする者のには、はっきりそう現れていた。
「最後は相当弱ってたってさ。あんな女帝みてぇに偉そうな顔してたのになぁ」
「それを言っちゃ女帝様に失礼だっぺよ」
村人たちは笑っていた。
葬儀など、執り行われるわけがない。
古びた荷車を用意しこづ恵の亡骸を乗せ、村人二人が付き添い
峰子とともに夜の山へ向かった。
一人が松明を手にして前を照らし、もう一人が荷車を押す。
その後ろを、峰子が黙ってついていく。
灯りは松明一つ。全ては夜の闇に染められていた。
皇之介は、こっそりと一同の後を追った。
頭巾を深く被り口元をで隠した、人相書の盗賊の姿で。
普段なら聞こえるはずの、
ふくろうのホウホウという鳴き声や、川のせせらぎ───
その夜は、何故か一切耳に届かなかった。
ただ、先導する男の足音。
荷車のむギィ、ギィという音。
傾斜を登る、かすかな息遣い。
それらだけが、木々の隙間に吸い込まれていく。
三分の一ほど登った頃だろうか。
それまで続いていた”木々の群れ”は途切れ
不自然にぽっかりと地面が空いた場所にたどり着く。
───墓場だ。
ただの墓場では無い。
遠い昔、コロリで亡くなった者を埋葬した、因縁のついた墓場。
荷車を押していた男は
「こんな汚ぇ女を乗せたモンは、もう使えねぇや」
そう言って荷車を乱暴に横倒し、母の亡骸を地面に転がせた。
荷車から転がり落ちる峰子の母。
叫ぶように口は大きく開き、舌をだらりとたらしている。
重く垂れた一重の瞼はカッと見開かれ、黒目はあらぬ方向を向く。
その形相から、死に至るまで相当もがき苦しんだことが見て取れた。
「さっさと穴掘って、埋めちまいな。」
こづ恵の死に顔から目をそらし、峰子に”くわ”を握らせる。
松明を持った男が言った。
「おめぇもついてねぇな。
おめぇを拾った家がもうちっとマシな家だったら
こんなに不幸な人生じゃなかったろうよ。
・・・ここいらには、コロリで死んだ人間が眠ってる。
埋まってる骨にはまだ菌が残ってるかもしんねぇ。
もし骨をさわっちまったら・・・村には帰ってくるなよ。」
それだけ言い残し、二人は背を向けて山を下りていった。
彼らの姿が見えなくなると、峰子は意を決し、くわを振り上げる。
ざくっ ・・・ざくっ
たどたどしい手つきで、くわを振り、穴を掘る。
静寂の中、くわが地面に刺さる音だけが、小さく響いた。
その有様全てを、皇之介は木の陰から見ていた。
(ひどい輩だ・・・こんな夜更けの山奥に、一人置き去りにするなんて)
皇之介は村人に憤り、そして穴を掘る彼女の姿を見守る。
・・・ざくっ ざくっ
濡れた土の匂いが、鼻の奥にじんわりと染み込んでくる。
───姿を現し、手伝おうか
何度もその衝動に駆られたが、一生懸命穴を掘る彼女の背は
『近寄らないで』
そう言っているように見えた。
”穴”は小一時間ほどで出来上がった。
小柄な母親を埋葬するには十分な大きさだ。
峰子は、ゆっくりとその穴に母を引きずり落とす。
上からこれでもか、と土を乱暴に被せる。
額ににじむ汗を、泥だらけの手でぬぐいながら。
穴が浅かったせいで、埋葬というより
亡骸に土をかけ山を作った、という表現の方がしっくりくる。
線香を取り出し、マッチで火を点ける。
立ち昇る煙をしばらく眺めた。
煙は、夜空に吸い込まれ消えてゆく。
峰子は手や服をパンパンと叩き、土を落とす。
そして、ふぅ・・・、と大きく息を吐き、立ち上がった。
(無事終わったか)
皇之介が胸をなでおろしたその時
彼女は振り返った。
「・・・皇之介さん」
皇乃介は息を吞んだ。
夜の闇・・・しかも視界の悪い山奥だ。
気配を消した自分の姿は、闇の中に完璧に溶け込んでいると思っていた。
だが、峰子は気づいていた。皇乃介の視線に。
「そこにいるの、皇之介さんでしょ。・・・見守ってて、くれたんですか?」
重なり合う葉を手でよけながら、皇乃介は姿を現した。
「・・・なんでわかったんだ?」
黒い忍び装束。黄金の刺繍の入った羽織り。
頭巾とで顔も隠している。
気配を消し、闇に溶け込む彼の姿を見つける事は
今まで誰にもできなかった。
しかも、正体まで見破られるとは。
「なんでって言われても・・・どう見ても皇之介さんでしょ。
佇まいというか、雰囲気というか」
「佇まいや雰囲気か・・・顔を隠しても、峰子には意味がねェってわけだな。」
「はい。目元が、皇乃介さんです。」
皇之介は頭巾と福面を外して、顔を露わにする。
「その姿・・・もしかして噂の盗賊って・・・」
峰子はつま先から頭のてっぺんまで、彼の姿をじっと見る。
「あァ、俺だ。」
峰子はさして驚く様子もなく、顎に手を当て何かを考えていた。
「・・・なるほど、と思いました。
何か仕事をしているようには見えないのに、いつ見ても米櫃の中が減っていない。
減っていても、また増えてるんです。
ひえやあわじゃなくて、白米っていう、高値のものが。」
皇乃介は一つため息をつき、彼女の方に歩み寄ろうとした。
ザッと音をたて、片足を踏み込んだ時
「・・・近寄らないで。」
峰子はまた彼を拒絶した。
前に家を飛び出した時とは違う、落ち着いた声。
そのうっすら赤い瞳には、強い意思が宿る。
向けられた鋭い眼差しに、皇乃介はたじろぐ。
家族同然───彼にとって峰子は、かけがえのない存在だ。
そんな彼女が何故、自分を拒むのか
「俺、なんかしたか?なんで、怒ってんのか・・・教えてくれ。」
かすれた声で彼は問う。
急に自分を避けるようになった、その理由が知りたかった。
峰子は俯き───だがその表情には、悲しみが満ちていた。
「違います・・・怒ってるわけじゃなくて・・・
母は、労咳で死にました。
私は感染しているかもしれない。皇乃介さんに、うつすわけにはいかない」
「・・・。なァんだ。それで」
皇乃介は大きく安堵の息を吐く。
「あの時、看病を断ったのか。」
「・・・そうです・・・」
皇乃介はゆっくり歩を進めた。
「俺はうつらねェよ。大丈夫だ。」
峰子は数歩後ずさったが、足を止めた。
「・・・嫌われたかと思ってた。」
「そんな事、ないです。絶対、ないです。」
サーッと風がすり抜け、木の葉をざわざわと揺らす。
峰子の目の前に立った皇乃介は、彼女の頭をポンポンと撫でた。
「・・・おっかさんの事、大変だったな。」
峰子は、自分の頭上にある皇乃介の手を、不思議そうに見上げ
一瞬瞼をきゅっと閉じた。
そして覚悟を決めたように瞼を開け、語りだす。
「・・・もう、私を縛るものは何もないんです。」
静かに、だが力強く語る声を、彼は黙って聞いていた。
「この村を出て 旅に出ようかと。」
「・・・旅?」
「村の人に『骨を触ったら戻ってくるな』と言われました。
ちょうどいいんです。私は村に戻る気はありません。」
「どこへ行くんだ?」
「・・・巫女になりたいんです。そのために・・・」
・・・そのためにラヴァゴートへ、行こうかと・・・
「母が死んだ時、悲しみもありました。
あんな母ですが、私の中には情があった。
でも同時に・・・私はやっと解放された。・・・そう感じました。」
峰子は大空を見上げ、そして、皇乃介の目を見た。
「・・・私は、自由になれたんです。」
峰子は微笑んだ。
初めてみる彼女の笑顔に皇乃介は驚き、胸がざわめく。
「・・・そっか。わかった。」
彼女はようやく自分の意思で、生きようと決めたのだ。
行くな、などと引き留める事は、彼には出来なかった。
「村の方向じゃなく・・・こっち。
こっちの方へ歩くと、川があって、港があります。
そこで、停泊してる貨物船に忍び込んじゃおう、と・・・」
「見つかったらどうすんだ?」
「その時はその時です。また考えます。」
呆れたように、彼は小さく苦笑いを漏らす。
「・・・随分無茶すんなァ。でも仕方ねェか。こんな辺鄙なところに、客船は」
「「来ねェし」」
二人の声が重なった。
「皇乃介さんの独特な口癖、耳について離れません。」
峰子は笑った。
峰子の笑顔に、いささか調子が狂う。
困ったように頭をかいたあと、皇乃介も笑った。
───峰子は言わなかった。
一緒に来てください、と。
───皇乃介は言わなかった。
ついていこうか、と。
大事に思うからこそ、二人は踏み込まなかったのだ。
互いのに。
「港まで送るよ。」
彼らは来た道と別の方向へ歩き出した。
夜の冷たさの中、二人の足音が響く。
初めて家に誘われた時
初めて一緒に飯を食った時
いつも帰り際に渡してくれる、風呂敷包みの重さ
会えなくなってから、胸に穴が空いたような空虚を感じた事
会えなくなってから、自分も病にまれていたら
もう二度と会えないかも、と涙した夜
そして、再び会えた喜び
思い出など数えるほどしかなかったが、二人は語り合う。
───港が見えるまで。
「俺には労咳を移す心配したくせに
貨物船に忍び込んで、船員たちの心配はしねェのか?」
峰子は、うう、と呻く。
「・・・それを言われると、痛いです。
私は大事な人を守りたいだけ・・・
そう思うのって、罰が当たりますかね・・・。」
ははは、と笑い
「そりゃうれしいな。その気持ちに免じて、きっと神様も見逃してくれるだろ」
二人はこれ以上を語ることはなかった。
気持ちの種類など、こだわる必要はない。
思いの強さで結ばれていれば、それだけで十分だった。
木々のざわめき、土のにおいの間を縫って
小さく波音が聞こえ、潮の香りを感じた。
歩みを進めると、海の気配は次第に大きくなっていく。
ちらほらと、かがり火の灯りが見えてくる。
遠くに大きく光るのは、灯台だろうか。
「・・・港が見えてきたな。」
「そうですね・・・」
空が白んできている。
感傷に浸っている暇もなさそうだ。
「今なら乗組員は寝てるだろう。忍び込むなら今だ。」
「・・・はい。」
「それじゃ・・・」
峰子は皇乃介の手をとった。
「ここでお別れです。
今までありがとうございました。この御恩は忘れません。」
峰子は手を離し、貨物船に向かって歩んでいった。
「お別れ、か・・・」
小さくなる後ろ姿を見ながら、彼は呟き
頭巾を被り直し、で口元を隠す。
無事に貨物船に乗ったところを見届け、帰るつもりだった。
だが、海を渡る男たちの起床は、二人が思うよりずっと早い。
「おい、そこの女、何をしてる?」
船に荷物を積み込みだした船員に、あっけなく見つかってしまう。
峰子は何かを話している様子だ。
しかし、その船員は峰子の細い腕をつかんだ。
「・・・峰子!」
皇乃介は素早くその船員の背後に回り込む。
刀の柄に手をかけ、チャキッ・・・と鍔鳴りを聞かせ
そして静かに囁いた。
「その手を離してもらおうか」
船員の顔は一瞬で青ざめ、峰子から手を離した。
その隙に峰子の腕を引き、自分の背後に下がらせる。
騒ぎを聞きつけ、船員がぞろぞろと現れ
船長と思わしき男が前に出た。
皇乃介は問う。
「この船は、どこへ行く?」
船長は冷静に答える。
「ラヴァゴートだ。」
「この娘を、乗せてやってくんねェか。」
「・・・俺たちを脅して、タダ乗りしようってのか?」
皇乃介はふところから革袋を出し、投げる。
ジャラ、と重たそうな音が鳴った。
船長は革袋を拾う。
「・・・小判3枚か。いいだろう、乗んな。」
峰子は皇乃介を見たが、彼はただ頷いてみせるだけだった。
「ついてるな、お嬢ちゃん。
あの『悪名高い盗賊』に金を出させるとは」
にやり、と口元に笑みを浮かべた船長に、峰子は軽く会釈を返す。
「あの男を味方につけれるなら、どこへでも渡っていけるさ。」
汽笛が鳴り、錨が上がる。
「・・・達者でな。峰子」
峰子を乗せた船が港から離れる。
小さく揺れながらゆっくりと船は遠ざかり、大海原へと旅立っていった。
_________
「見送ったとこまで覚えてんだよなァ・・・」
真っ暗な部屋の中で、両腕を頭の下に組み、天井を見つめる。
彼の記憶はそこで途切れていた。
「ラヴァゴート・・・西洋か」
隣を見ると、春子が寝返りをうった。
「・・・父ちゃん、はなび・・・」
祭りの夢を見ているのだろう。
彼は一つ寝返りをうつ。
(あの頃は俺も、若かったよなァ)
気恥ずかしい甘酸っぱい思い出が、胸を満たしていく。
そしてまどろみの波にのまれ、眠りに落ちていった。




