小さな温もり
翌日の夕方、皇之介は目を覚ました。
寝ぼけまなこで上半身を起こし、頭をボリボリとかきながら
「昨日のは夢で、実は金の延べ棒が・・・・」
枕元を見た。赤子が寝ている。
無論、金の延べ棒などどこにもない。
「あー・・・」
まだ半分しか開かない眼をこすり、頭を抱えた。
「捨て子だよな?・・・俺ァどうすりゃいいんだ・・・?」
とりあえず顔を洗おうと布団から出ようとすると
「アー・・・アー・・・!」
赤子は顔をくしゃくしゃにしてぐずるのであった。
皇之助は慌てて布団に戻りあやす。
「な、泣くな~~・・・よしよし~・・・」
赤子は嬉しそうに笑った。
ふっくらと柔らかい頬は、まるで餅のようだ。
皇之助は大きくため息をつき、独り言をつぶやいた。
「俺、奉行所って苦手なんだよ・・・」
それもそのはず、彼の正体は盗賊なのだ。
色々と問い詰められても、彼の正体がわかる事はないだろうが
それでも、気分の良いものではない。
「でもなぁ、お前もかわいそうだよな、親に捨てられたのか・・・」
皇之助の同情など全く他人事、赤子は上機嫌ににこにこと笑う。
その時突然
「皇之介ー!いるー?」
返事を待たず引き戸が勢いよく開く。
突然の訪問者は皇之介と、その横で寝ている赤子を交互に見て
目を点にした。
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彼女は隣に住む、飲み屋の女給仕、乃亜。
美しい切れ長の目、血色のいい唇。
どこか異国を思わせるその顔立ちは、間違いなく美人の部類に入るだろう。
体の線は細く、だが健康的で元気の良い女だ。
三か月ほど前か、突然隣の空き家に引っ越してきたかと思えば
「うだつの上がんない顔してんねぇ。ウチが鍛えてあげようか?」
初対面で言われたのがこれだ。
美人ではあるが・・・いささか強気すぎるのが、たまにきず。
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「へ?え?その子、何?どこの子?」
皇之介は返答に詰まる。
「えーと、これは、そのー、あれー、あれが、ほら、あれ」
しどろもどろな皇乃介を無視して、乃亜はズカズカと部屋に上がり
「・・・・・。」
赤子の顔を無言で凝視した。
その横顔は険しい。
「その、捨てられてたんだ。あんな寒い冬空の下でさ。
だから仕方なく拾ってきたんだ。」
聞こえているのかいないのか、乃亜はまだ赤子の顔を見つめている。
「おい、どうした?」
皇乃介の声にハッと我に返り
「ど、どうもしないよ。捨て子かぁ。じゃあ仕方ないねぇ。」
乃亜の反応は違和感があった。
まるで何かを隠しているような───
だが問うたところで口を割らないだろう。
「なぁ、お前が奉行所に届けてくれないか」
皇之介は眉を八の字にして言った。
「ダメ!!奉行所に届けるなんて、かわいそうじゃん!」
確かに、この村で拾われた捨て子が幸せに暮らした話など聞いたことはない。
奴隷として扱われるか、体を売って育ての親に搾取されるのがオチだろう。
「わ、分かった分かった。じゃあどうする?」
「ウチが育てるよ。」
乃亜は対して悩む様子もなく、さらっといいのけ
赤子を抱き上げようとした。
だが
「ギャアアアアアアアン!!!」
乃亜は驚いて手を離す。
今までおとなしく眠っていたのに、突然火が付いたように泣き出したのだ。
「・・・なんで・・・」
乃亜は傷ついた表情を見せた。
そして、皇乃介がぎこちない手つきで頭を撫でると、赤子はすぐ泣き止む。
その様子を見て、乃亜は皇之介をまっすぐ見据え言った。
「・・・仕方ない。アンタが育てるしかないね」
「はァ!?俺には無理だ!
嫁さんすらいた事ねェのに、子育てなんざ出来るわけねーだろ!」
「仕方ないじゃん!アンタじゃないと泣いちゃうんだから!」
「乃亜の抱き方が悪ィんだろ!他の女の方がきっと上手だ!」
「はぁあ!?何その言いぐさ!!表へ出な!!」
「望むところだ!!」
二人は着物の袖をまくり上げ、にらみ合う。
彼らの間には、バチバチと飛び散る火花が見えそうだ。
「・・・ゥウ・・・ゥ・・・ウワアアアアアン・・・!!」
赤子が泣き始めた。
泣き叫ぶというより、少々ぐずるような、弱弱しい泣き方で。
二人は赤子を見やり、勢いを削がれる。
「喧嘩してる場合じゃねェな・・・。」
「うん・・・。」
「なんだい騒々しい!相変わらず痴話喧嘩かい?」
そこへ向かいに住んでいる女が顔を覗かせた。
「あ、ヨシ江さん」
彼女の名はヨシ江。歳は四十半ばだろうか。
「あれぇ、赤ん坊がいるじゃないか!もしかして!!」
ヨシ江も乃亜同様ズカズカと家へ上がりこんだ。
少々横に大きい体で、皇乃介と乃亜を押しのけ、赤ん坊へ近づく。
「お~~よしよし、いい子だねぇ。」
手慣れた様子で覗き込み、迷いなく抱き上げようと手を差し出した。
ヨシ江は三人の男児を育て上げた女だ。
今では皆、下町で家庭を持ち、元気に暮らしているという。
「ったく、まさか子供まで作っちまってるとはね。
どんな事情があるのか知らないけど、隠し子は良くないよ?
こちとらいつ、あんたたちが素直になってくっつくのか
ハラハラしながら見てたけど、子供までいるならさっさと祝言を挙げて」
皇乃介と乃亜を交互に見ながら、勢いよくまくしたてる。
「違う、違うって!」
皇乃介と乃亜は慌てて否定し、事情を説明した。
「なぁんだ、そういう事かい。で、誰が育てるか悩んでいる、と。」
「そうなんだよ、ヨシ江さん、お願い出来ないか?」
「そうしてやりたいのもやまやまだけどねぇ・・・。」
ヨシ江は困り顔で赤子を見る。
さきほど赤子は一度だけヨシ江に抱き上げられ、色々とあやされたが。
泣き止むどころか、癇癪の混じった泣き声はどんどん大きくなる。
「こりゃあ、降参だ。」
ヨシ江は敗北を認め、赤子を再び布団に寝かせた。
それでも赤子は眉間にしわをよせ、不機嫌そうにぐずり続ける。
「仕方ねーな・・・」
そう言って皇乃介が赤子の横に座ると、それだけでピタリと泣き止んだ。
「あらぁ!なんてこったい!」
「やっぱり皇乃介が育てるしかないよ。」
乃亜が言うと、驚いた顔をしたままヨシ江も深くうなずく。
「なぁに。子育てなんて、大して難しいもんじゃないよ!」
「そう言えるのはヨシ江さんだけでしょ・・・」
乃亜が呆れ顔で言うと
「伊達に三人のやんちゃ息子を育ててないからね!」
ヨシ江は豪傑のようにかんらかんらと笑った。
肝っ玉母さん───そんな言葉が脳裏をちらりとかすめる。
「わかったよ、俺が育てる。育てりゃいいんだろ・・・。」
皇乃介は根負けし、不貞腐れながら承諾した。
ヨシ江から譲ってもらったガラガラを振ると
赤子は嬉しそうに笑い、皇乃介に向かって手を伸ばす。
「なかなか様になってるじゃん。この子の事、任せたよ!」
「そう言われてもなァ・・・」
「腹くくりな!ヨシ江さんも手伝ってくれるんだし」
「そうだよ、これからみっちりしごいてやるからね!」
ヨシ江は得意げに、自分の厚い胸をドンと叩いた。
「ダァダァ!キャッキャ!アー!」
赤子は終始ご機嫌な様子だ。
「いい子だね~。いっぱい食べて大きくなるんだよ、春子ちゃん!」
乃亜は何かを言いかけ、口をつぐんだ。
「春子?」
「も・・・もうすぐ春になるし、春子って名前がいいと思ってさ!」
あはは、と笑う彼女を、いぶかし気に見る皇乃介であったが
怪しんだところで現状は変わらない。
あまりに突然の出来事。
今まで自由気ままに生きてきた盗賊が、子持ちの身となる。
半ば押し付けられたとはいえ、不思議と・・・嫌な気持ちはしなかった。
皇乃介は赤子───”春子”を抱き直す。
その小さな体温が、胸の奥に残って離れない。
「・・・仮の、父親か」
彼は、そうなることを選んだ。
─────全てがお膳立てされた、罠と知らずに。
最初は何もかもが手探りだった子育てだが
いつの間にか皇乃介の腕の中で、春子は静かに眠るようになっていた。
米を湯でといた粥を、春子はうまそうに飲む。
母乳もないというのに、熱ひとつ出したことがない。
「癇癪も起こさない、夜泣きもしない。
・・・春子ちゃんは本当におりこうだねぇ」
ヨシ江はそう言って、感心したように息をつく。
「こんなに手のかからない子、あたしゃ見たことないよ。」
「そうなのか?」
「当たり前さ。
普通の赤ちゃんだったら、アンタなら三日で根を上げてただろうね。」
春子を背に負いながら、皇乃介は小さく呟いた。
「世の中のおっかさんたちは、本当にすげェもんだな・・・」
物干しに並べられた布おむつが
風にと揺れた。
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春子を育て始めてからひと月ほど過ぎた頃。
外から下駄の音がカラコロと近づき、引き戸が開く。
「邪魔するよ~!春子ちゃーん!」
あれから乃亜は、ひんぱんに春子の様子を見にくるようになった。
相変わらず急に引き戸を開け、ズカズカと上がりこんでくる。
「お前、俺に”どうぞ”とか”上がれ”とか言わせる気、ないだろ」
「アンタに気を使う必要ってある?」
皇乃介とおもちゃで遊んでいた春子は、乃亜の声に目を輝かせ
手にしていた人形を投げる。
「あい!のあちゃ!あーい!」
驚くべきことに、ここ数日で春子は簡単な言葉を喋るようになった。
やれやれ、と皇乃介はため息をつく。
春子の世話を乃亜に任せ、たまっていた食器洗いを済ませることにした。
盗賊業で大きな収入があるとはいえ、豪邸に住んでいるわけではない。
むしろ、狭く小さな一軒家。
玄関と呼ぶにふさわしくない、ぼろい引き戸を開ければ台所。
そしてふすま一枚で仕切られた和室が一間。
ふすまから見て左手に障子があり、縁側と申し訳程度の庭がある。
あとは厠(現代でいうトイレ)と風呂があるだけだ。
・・・その奥に隠し扉があり
忍び装束と刀、そして金品の類が隠されているのだが。
和室から、春子と乃亜の楽しそうなやり取りが聞こえる。
最初こそ春子は、皇乃介以外誰にもなつかなかったが
今は人見知りせず誰にも笑顔を見せるようになった。
「春子ちゃん、ウチの名前覚えてくれたの?うれしいな~!」
「うん!うん!」
「やーん、ほっぺやわらか~~い!かわいい~~!」
春子の頬をぷにぷにとつついているようだ。
皇乃介は手を動かしながら、くすり、と笑みをこぼす。
「って、え・・・?」
突然、乃亜が絶句した。
「どうした?」
手を止め、和室を覗き込む。
「・・・もう、つかまり立ちできるんだね」
寝転ぶ、座る、はいはいしか出来なかった春子が、立っている。
さも当たり前のように、きょとんとした顔で。
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春子の成長は異常なほど早かった。
「ありゃ、これももう小さいか」
ヨシ江が驚きを通り越し、呆れたように言う。
赤ん坊用の浴衣を買っても、すぐに丈が合わなくなる。
「お下がり欲しがってた奥さんいたねぇ。譲ってくるよ。」
ヨシ江はいそいそと出かけていく。
皇乃介は春子の頭を撫で、呟いた。
「大きくなるのはうれしいけど、少しは手加減してくれよ?
さっきの浴衣、三日前に買ったばっかじゃんか。」
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そして三か月が過ぎた。
赤ん坊だった春子は
通りすがりの村の者が、つい頬を緩ませてしまう───
そんな可愛らしい娘に育っていた。
見た目はだいたい五歳。
ころん、と丸かった体も、むちむちとしたぎこちなく動く手足も
体に対して大きく重そうな頭も
懐かしむ暇もなく、春子の姿は変わっていく。
使わなくなった産湯用のや
出番のなくなった布おむつが、部屋の隅に積まれている。
その横には、あんなに放したがらなかったおしゃぶりやガラガラが
転がっていた。
ついこの前まで赤ん坊だったのに
こんなに早く育つなんて───
さすがの鈍感な皇之介でも、違和感に気づかざるを得なかった。
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桜が満開に咲き、うぐいすの鳴き声が聞こえる。
春の到来だ。
出先から帰ると、焼き魚のいい匂いが漂っていた。
「父ちゃん!おかえり!」
まるで小鳥のさえずりのような、かわいらしい声が皇乃介を出迎える。
鍋には春野菜がことことと煮えている。
「きょうのごはんは、おさかなと、にものだよ!」
えへへ、とうれしそうに笑う。
春子は料理を覚え、ここ最近では
ちゃぶ台に温かい飯を並べるようになった。
屈託ない笑顔は、赤ん坊の頃から変わらない。
しかし容姿は十五歳ほどだろうか。
山奥で拾ってから、たった五か月しか経っていないのに。
つい数日前、ヨシ江が言っていた。
「春子ちゃんはきっといい奥さんになるよ。でも・・・
あんた、『竹取物語』って知ってるかい?
そのうちに月にでも帰っちまうんじゃないかねぇ・・・。」
顔には心配と、ほんの少しの不審を浮かべながら。
そう思われるのも無理はない。
春子を見ていると、もう数か月もすれば
二十歳かそこいらの女性になるのではないか。
そしてその皇乃介の勘は当たり、その時はあっという間に訪れる。




