混沌の渦に飲まれる
兵士長は乃亜の迫力に一瞬怯む。
「なんの冗談ですか!こんな大事な時に!」
「冗談なわけないでしょ!本気で止めに来たんだ!」
乃亜は兵士長の目をまっすぐ見据える。
「・・・正気か」
兵士長は低い声で問う。
「もちろん。・・・いや。春子ちゃんを解放してもらうよ。」
「ご自分のやっている事がわかっているのか。
こんな事をして、あなたは肩書を外され牢獄行きだ!」
「あぁ、その覚悟さ!!」
「ご乱心か・・・致し方無い。かかれ!」
兵士長の号令に、兵士たちは一瞬狼狽を見せたが
剣を振り上げ、一斉に飛びかかった。
だが乃亜は自慢の槍を大きく旋回させ、小物たちをひっぱたく。
「引っ込んでてな!!」
そして、彼らの闘いは始まった。
皇乃介は、襲い来る兵士を次々と殴り飛ばし
巨大蜘蛛の横、カプセルの中の春子を見つけた。
「春子!!!」
(父ちゃん!!!)
春子は父の姿を見て叫んだ。
声は出なかった。代わりにごぼごぼっと、口から大きな泡が出る。
「なんつう馬鹿だ俺は・・・!!」
兵士を殴り飛ばしながら、皇乃介は呟いた。
後方の騒ぎが耳に入りつつも
ザリは慌てることなくゆっくりと振り返る。
「やっと気づいたのか」
彼は目を細め、育て親の姿を見据えながら言った。
「お前の娘は、ずっとこの部屋にいた。
お前はそれに気づかず、蜘蛛に気を取られ、俺と呑気にお話をしてたのさ」
あの時の巨大蜘蛛は
ゆっくりと前足を上げ
ザリの立つ方向を指さした。
しかし、ザリを指さしたのではない。
「まさか、お前の背後に春子が隠されていたとはな!!」
───気づいて
あなたの娘は そこにいる
あれは、峰子からのメッセージだった。
ザリはフッと鼻で笑い、視線を前方に戻す。
乃亜は槍を振り回し暴れたが、多勢に無勢
「あっ!!ウチの槍、返して!!」
あっけなく槍を奪われ、拘束されてしまった。
後ろ手に縛られ、目の前を二本の槍が交差する。
だが、前方に立つザリに向かって怒鳴った。
「総長!!アンタは、命をなんだと思ってんだ!!」
ザリは乃亜の姿を見下ろし、静かに答える。
「・・・命?尊いものだと思っている。」
「じゃあ・・・!!」
「尊いものだからこそ、救うのに犠牲も必要なんだ。
俺は峰子を”仲間”だと認識している。能力が低かろうと、邪神を降ろそうと。
それは乃亜・・・お前も同じだろ?
だから俺と手を組んだ。そうじゃないか」
乃亜は兵士たちに拘束されながら、それでも身を乗り出し必死で訴えた。
「でも、春子ちゃんだって、クローンだって、尊い命の一つだ!
その命がどうなろうと、アンタはなんとも思わないの!?
クローンだから?犠牲になるために作られた存在だから?」
ザリは少々口角を上げた。
「・・・峰子を助けるためだったらなんでもする、犠牲もいとわない。
そう言ったのはお前じゃないか。」
巨大蜘蛛の入ったカプセルに背を向け、堂々と立つ騎士団総長、ザリ=アルド。
いつもの帽子で目元を隠し
そしてメインカプセルの中の液が放つ、淡い光が逆光となり
その表情は、いつにもまして誰にも見えなかった。
皇乃介は走り続ける。
「待て!」「逃げるな!!」「この反逆者め!!!」
兵士の怒号があちこちから飛び交った。
左右から迫る兵士の間を、皇乃介は間を縫うようにすり抜ける。
勢いを殺せなかった兵士同士が、そのままぶつかり合った。
まるで猫のように、彼らをいなして飛び、ザリの真横に着地する。
しかしザリは、彼をちらりと見る事すらしない。
「なあ、乃亜。おかしいと思わないか?」
唇を噛みしめる乃亜を見下ろし、ザリは言った。
「どっちも大事、どっちも助けたい。そんな事を思うならば
クローンなんか作ってはいけないんだ。」
一瞬の着地の後、皇乃介はまた瞬時に駆け出す。
春子の入ったカプセルは目の前だ。
「ここまでしなきゃいけなかった理由はなんだ?
仲間を助けたい。その一心だ。そのためには」
春子と皇乃介を隔てるのはガラス一枚
娘はまた何かを叫ぼうとするが、口から泡が出るだけだ。
皇乃介は背後から飛びつく兵士を蹴り飛ばし
「春子!!今助ける!!」
拳に力をこめ、ガラスを殴る。
何度も、何度も。
ピシッ───、ガラスの壁に小さなヒビが入った。
「しめた!!」
───春子、今、父ちゃんが助けてやるから
「おあああああああっ!!!」
皇乃介は声を上げ、血だらけの拳を振り上げる。
ザリは呟く。無機質な声で。
「そのためには、犠牲は──────必要なんだ。」
そして
手元にある機械のスイッチを押した。
カプセルはチカチカと点滅を始め、唸り、小刻みに揺れ始める。
春子は怯えた顔で周りを、そして自分の手を見た。
胸元が小さく光り始め、その光は徐々に大きくなる。
____父ちゃんたすけて
皇乃介の拳が、ガラスを砕く。
中から液体が勢いよく溢れた。
しかし
「諦めろ。最後に会えてよかっただろ」
その壊れたカプセルの中に、春子の姿は無かった。
そして、『春子だったもの』は
瞬時に管を通り、巨大蜘蛛の体に注ぎ込まれる。
「・・・春、子・・・ちゃ・・・」
乃亜が小さく囁いた。
「なんで・・・なんで・・・」
皇之介はその場でへたり込んだ。
「なんでだよおおおっ!!!」
兵士たちは、おとなしくなった皇之介と乃亜を拘束しようとしたが
ザリが手を上げ制した。
「そんな奴は放っておけ。今はそれどころじゃないんだ・・・」
ザリは静かに囁き、蜘蛛を見つめている。
釣られて皆、輝く粒子───”春子であったもの”を見た。
光は、蜘蛛の体を覆い、そして吸い込まれる。
異変が起こり始めた。
蜘蛛の体はめきめきと崩れ
足が外れ、目が落ち
そして、背が裂けた。
───それはまるで、サナギの羽化のようだった。
「排水を頼む」
ザリが言うと、医者はふん、と鼻を鳴らしスイッチを押した。
メインカプセルの底の排水溝が開き、中の液体が床面から流れ出る。
「簡単に言ってくれる。
”あの液体”を作るのだって、相当な金と労力を使ったというのに」
誰もが緊張し、その様子を見守った。
一瞬の静寂。
小さな唸り声をあげ、メインカプセルの扉が開く。
そこには
人間の姿を取り戻した峰子が立っていた。
白い襦袢に、紅色の袴。
一つに結った長い黒髪。
峰子は虚ろな目で周囲を見やり、一歩、二歩、外へと歩き出す。
ザリが峰子に駆け寄った。
「峰子・・・俺が、わかるか?」
彼女は口を閉ざしたままだ。
「・・・わからないか?それでもいい。良かった、成功したんだな」
峰子は何も答えず、周囲を見回す。
「お前は、邪神に体を奪われていたんだ。でももう大丈夫だ。」
ザリは微かに安堵の笑みを浮かべる。
「落ち着くまでは城内で静かに暮らすといい。部屋を用意させる。
国民には俺からうまい事言えばきっと」
その様子を見ていた兵士長が、つかつかと近づき
峰子の両手首に手錠をかけた。
「ラヴァゴート巫女見習い、峰子。殺人罪の容疑で逮捕する。」
静まり返った研究室内に、彼の怒りに満ちた声が響いた。
兵士長は峰子を睨み、そして肩をつかむ。
「来なさい。処分は後程決まる。・・・死刑は免れんだろうが」
困惑したザリは、それを止めに入った。
「おい、何やってんだ・・・。
今までのは峰子にとり憑いた邪神がやったことだ。峰子に罪はない!」
兵士長は怯まず、冷めた目でザリを見た。
「・・・総長。いつまで寝ぼけた事を言っているんですか。
この者がやった事は、あなたの愛する国を壊した。国民に傷を負わせた。
しかも、一人や二人では無い。」
「確かにそうだが、それは邪神がやった事だ!!峰子に罪はない!!」
ザリの荒げた声が響く。
峰子は両手で耳をふさぎ、体を震わせた。
───訪れた静寂。
その中、一つの異変が起こる。
・・・カタ・・・カタカタ・・・
小さな音が鳴る。
「・・・?ビーカーが・・・・?」
研究員が呟く。
機械の上に置いてあるビーカーが、ひとりでに揺れだした。
兵士長はさらに怒鳴った。
「邪神がやったのか、この女がやったのか!!!それは誰にもわからなかろう!!!」
パァン!!!
「うわっ!!!」
揺れていたビーカーが、音を鳴らし突然弾けた。
細かいガラス片が飛ぶ。
異変は広がっていく。
カタ、カタカタ・・・カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ
並んでいた試験管が次々と激しく揺れ始める。
カチカチカチカチカチカチカチカチカカカカカカカカカカカカカカ
ガラスのぶつかりあう音が、小さく、徐々に大きく響く。
「な、なんだよ・・・なんなんだよ・・・」
兵士が気味悪そうに呟く。
パァン!!
パァン!パリン!!パリン!!パァン!!!
音をたてて弾けた。
「うわっ!!!」
様々な検査器具は次々と爆発し、火花を散らしショートする。
それまで単調な音を鳴らしていた機械は赤く点滅し
派手にエラー音を叫び始めた。
兵士長は周囲を見渡し、そして峰子を見る。
「やったのは邪神・・・?もはやこやつが邪神ではないか・・・!」
机はガタガタガタと派手に動き出し、乗っていたバインダーがドサドサと落ちる。
バアン!!!
資料が入っていた棚が大きな音をたて倒れた。
───誰一人、声をあげず、その場に立ち尽くす。
次々と起こる異変。
恐怖、驚愕、混乱
それらがぐちゃぐちゃと混ざり合い、彼らの心をかき乱した。
兵士長は叫んだ。
「は、・・・・発砲を許可する!!撃て!!」
しかし、背後に並んでいた兵士はうろたえるばかりだ。
拳銃を構えようとするが、手を震わし、を定められない。
「使えん奴らめ!!」
兵士長自ら拳銃を構え
パァン!!!
パァン!!パァン!!!
三発の銃弾を放つ。
だが
「・・・え・・・?」
誰かが小さく声を漏らした。
───放たれた弾丸は宙で止まった。
頭を抱え、しゃがみ込む峰子の目の前で
宙に浮かんだまま、だらんと垂れ下がっている。
峰子と兵士長の間には、見えない壁があった。
目を凝らさないと見えない、薄く華奢な壁。
細かく編まれた蜘蛛の巣だ。
誰もが言葉を失う中、医者が図太く口を開いた。
「ふん。”英雄、色を好む”というが、邪神を降ろした神薙も、色男を好む、か。
兵士長さんも乱暴な事をする。
そんな撃ち方したら、総長さんにも流れ弾が当たってもおかしくない。」
にやにやと笑う。
マッドドクターと言われた彼だけが、何も動じずにいた。
「私の仕事を増やしてくれるなよ?」
峰子はうずくまったまま、小さな声を発した。
「・・・何故・・・何故あのまま眠らせてくれなかったんですか・・・」
その声は震えていた。
「私は・・・もう私は止まれない」
機械はエラー音をわめき散らし
文字をめちゃくちゃに羅列した紙を延々吐き出す。
五つのサブカプセルも派手な音をたて破裂し、中身が洪水のようにあふれ出た。
───その光景に、一人の兵士が限界を迎えた。
「邪神だあああ!!!」
喉を潰されたような声で叫び、もつれる足で扉に向かって走り出す。
その恐怖は周囲に伝染し
次の瞬間、堰を切ったように皆、一斉に逃げ出した。
「うわあああああ!!!」
「逃げろ!!逃げろ!!殺される!!」
理性の欠如が、場をの渦へといざなう。
兵士長は言葉を失い、ただ立ち尽くした。
「・・・・。」
目の前に張られた蜘蛛の巣、そして己が放ったぶらさがる弾丸を見つめながら。
・・・ガチャン
───手にしていた拳銃が、床に落ちる。
峰子はそっと立ち上がり、呟く。
「・・・命は、尊いものではない。」
『レンガを積み上げた壁は、一つレンガが外れただけで崩れる。
そして人は皆、レンガと同じだ』
「・・・そう、聞いた事があります」
ザリは峰子を見つめた。
「峰子・・・」
「でも、一番上に積まれたレンガはどうなのか・・・」
震える、静かな声。
「誰からも愛された、”大事なレンガ”を使い
誰からも愛されない”雑に積まれた一番上のレンガ”を救う。」
───あなたたちのした事は そういう事でしょう?
皇之介はぽつり呟く。
「・・・違う・・・」
だが、その声は峰子に届く事はなかった。
ザリは蜘蛛の巣を手で払う。
床に落ちた拳銃を拾い、兵士長のこめかみに当てた。
「峰子の手錠を外せ。俺は撃てる男だ。」
兵士長は目を剥き、手錠の鍵を出した。
銃口を当てられたこめかみから頬へ、汗が垂れる。
ザリはそれを受け取り、兵士長に拳銃を向けながら器用に手錠を外す。
「やれやれ、この機械ももうダメか。」
それを悠々と眺めていた医者は、故障した機械をガン!と叩いた。
「私もここで退散させてもらうよ。命あっての物種だ。」
「・・・ああ。ついでに、兵士長も連れてって鎮静剤でも打ってやってくれ。」
ザリは兵士長の背を荒っぽく押す。
硬直していた体は、つんのめり前に倒れた。
医者は機械に肘をつきながら、真顔で言う。
「お代は?」
ザリはコインを指で弾く。
コインは転がり、医者の足元へと落ちた。
「ふん。金を雑に扱う人間は、良い死に方はしませんよ」
彼らが去り、研究室に残ったのは見知った面子のみ。
兵士長の拳銃をちゃっかり自分のベルトに挟むザリ。
困惑と悲痛の顔を浮かべる乃亜。
そして、 ───壊れたカプセルの前でうなだれたままの皇乃介。
機械は誤作動をやめ、粉々に砕けた部品ももう動かない。
研究室は、驚くほど静かになっていた。
乃亜の手を縛ったロープが、ぱらりとほどけた。
「今頃外れても遅いんだよ・・・馬鹿」
そう小さく呟く。
そして
「峰子・・・・峰子だよね?」
ゆっくりと近づき、”因縁づいた”友人に声をかける。
「・・・。」
「・・・ウチのことも、思い出せないか。」
聞こえているのか、いないのか
峰子は宙を見つめたまま、───また語りだす。
「私は、・・・神を降ろし、姿を変えた。
人々は皆私を恐れ、嫌悪し、襲い掛かってきた。
森の奥深くへ身を潜めた後も、たくさんの人が私を殺しにやってきた。
そして槍に刺され・・・・」
ザリは黙ったまま、その語りを聞く。
乃亜は瞼を閉じた。
「・・・捕まってここに閉じ込められた。
私と同じ存在がいくつも作られて・・・その存在のおかげで、人間の姿に戻れた」
うなだれていた盗賊が、小さく顔を上げる。
「でも、その存在・・・私の分身は・・・
私の”大事な人”が、愛を注いで育てた”子供”だった。
だから、その人に・・・彼らを止めて、とお願いしたんです。
愛しい存在を失くし、悲しんでほしくなかったから。」
皇乃介はゆっくりと立ち上がり、峰子を見た。
「でもね、夢でも・・・会えてよかった。ずっとずっと会いたかったから・・・」
峰子の前に立ち、彼女の語りを遮る。
「夢じゃねぇよ・・・あれは」
「でも、その人の事、もう思い出せないんです。
顔も、名前も、温かさも。」
峰子の目はただ、ぼうっと宙を見つめる。
「行かなきゃ・・・やる事が残ってる」
「待ってくれ!」
皇之介は彼女の腕をつかんだ。
「・・・思い出せないのか?俺を・・・」
「わかりません。私には、何も。・・・放してください」
そっと腕を振りほどき、峰子は部屋を出ていった。
「・・・今度は、あいつが記憶失くしちまったのかよ・・・」
「ウチらのこと、わかんないみたいだね」
乃亜は落ちていた自分の槍を拾う。
「でも、これに刺された事は覚えてる」
ザリはひしゃげた入口を見る。
「峰子は・・・どこへ向かったんだ?そして」
”やる事が残ってる”───そう言っていた。
「やる事って・・・なんだ・・・?」




