第27話 亡き父の志
巨大な絵画の前で、俺たちはしばらく言葉を失っていた。
先代魔王と、かつての魔神王。
2人が並び立つその構図は、威圧でも誇示でもなく、ただ静かだった。
「この絵画は家宝であり、亡き父の形見でもあります。故に魔王城の中でも、最も人目につかぬ場所に飾っていたのです。崇めさせるためではなく、忘れぬために」
そんな中、沈黙を破ったのはグランだった。
低く、はっきりとした声。その視線は、誇りと同時に深い敬意を宿している。
「忘れないために……?」
マヨが小さく問い返す。
「ええ。魔王とは何か。力とは何か。そして、この国が"何に支えられているのか"を」
グランはそう言って、一歩下がった。
そして、静かに口を開く。
「よろしければ、父上の書斎をご覧になりますか? 時間もありますし、少し見せたいなと思いまして。
――亡き父の志を」
その提案に、誰も反対しなかった。
それからグランは、
「陛下は一部の記憶を失われておられると、皇帝サクルム様よりお聞きしていますので、父上の話を聞くと、何か思い出すやもしれません」
と、続ける。
「そ、そうだな」
(本当は、一部どころか全部ないんだけどね)
そして、俺たちはグランに連れられ、書斎へと向かう。
「こちらが父上の書斎です」
グランは、少し古びた扉の前で立ち止まると、後ろを振り向く。
「今では、魔導書などを保管する魔法書庫として扱っています」
書斎――今では魔法書庫と呼ばれているその場所は、城の最上階にあった。
そして、その重厚な扉を開けると、ひんやりと澄んだ空気が肌を撫でる。
壁一面に並ぶ書架。古い魔導書、禁書に近い魔書、研究記録、戦争史、世界論。
装飾は少ないが、整然としている。
ここが、"武"よりも"文"を重んじた王の居場所だったことは、一目で分かった。
「父上は、戦よりも記録を重視する王でした」
グランは、ゆっくりと書架に手を置く。
「強大な力を持つ者ほど、世界を壊すのは容易い。だからこそ父上は、"支配と破滅"ではなく、"協調と調和"を目指されました」
「珍しい魔王ですね。種族のせいなのか、眷属を支配し、敵国を破滅させるのがほとんどなのに」
マヨが率直に言う。
「ええ。ですが、父上は魔王という立場に誇りを持っていました」
グランは一冊の本を取り出した。
その本はとても古く、表紙には擦れた文字で、こう記されている。
――《平和論・覚書》
「これは、父上が晩年まで書き続けていたものです」
グランはそう言って、ページをめくった。ペラペラという音が、やけに大きく響く。
グランは、しばらく無言でページをめくった後、やがて、ある頁で手を止める。
「……ここです」
そう言って、グランはその頁を開いたまま、俺たちに見せる。
そこには整った筆致で、こう記されていた。
『力とは、振るうために在るのではない。力とは、振るわずに済む選択を可能にするために在る』
「父上は、この言葉を何度も書き直していました」
グランの声は、どこか懐かしさを帯びている。
「若き日の父上は、力こそが全てだと考えていたそうです。魔王として、国を守り、敵を退け、恐怖によって秩序を保つ。それが正しき王の姿だと」
グランは、静かに息を吐いた。
「……ですが、その考えを根底から覆した存在がいました。
――魔神王陛下です」
その瞬間、俺の胸が微かにざわついた。
その名を口にする時、グランは自然と背筋を正す。
「父上がまだ即位して間もない頃。周辺国との小競り合いが絶えず、魔王国としての威信を示すため、一度大規模な殲滅戦を行うべきだという声が、よく上がっていたそうです」
「……あるあるな話ね」
マヨが小さく呟く。
「ええ。父上自身も、その案に傾きかけていたと記されています」
グランは、さらに頁を進めた。
「ですがその時、陛下にこのようなことを言われたそうです」
その場の空気が、わずかに張り詰める。
「陛下は、止めもしなかった。命令もしなかった。
ただ一言、こう仰ったと」
グランは、父の筆跡をなぞるように読み上げる。
「『――それを成せば、世界は保たれる。だが、国は壊れる』
……意味が、分からなかったそうです」
グランは、苦笑するように言った。
そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「敵を滅ぼせば、脅威は消える。だが、陛下は"国"と"世界"を、別のものとして語られた。そして陛下は、続けてこう言ったそうです。
『恐怖で従わせた国は、恐怖が消えた瞬間に崩れる。だが、自ら選んで立った国は、王が倒れても立ち続ける』
……父上は、その言葉に衝撃を受けたと書いています」
書庫の静寂の中で、その言葉だけが、深く響いた。
「そして陛下は、最後にこう告げられたそうです。
『今わからずとも、いずれわかる』
――と。それから程なくして、陛下は自らの手で眷属と星将様、そして自身を封印、長い眠りにつかれたのですよ」
グランは、静かに本を閉じる。
「その日から父上は、戦いの記録だけでなく、"なぜ争いが起きたのか"や"どうすれば争わずに済んだのか"を、書き留めるようになりました」
グランの言葉が終わると、書庫には再び静寂が戻った。
「いいお話ですね」
カタルシアが、そっと口を開く。
魔導灯の淡い光が、古書の背表紙を照らしている。
そんな中、俺は知らず知らずのうちに、拳を握りしめていた。
(今わからずとも……なんだか、聞いたことがある)
頭の奥が、じくりと疼く。
(でもなんで、俺の言葉なのに言ったことじゃなくて、聞いたことなんだ……)
はっきりとした映像ではない。ただ、感情だけが先に溢れてくる。
選択。責任。そして、避けられない"終わり"。
何かを見ていた。いや、"見届けていた"。
世界全体を、俯瞰するような視点。誰かの命ではなく、世界そのものを秤にかける感覚。
「……テンにぃ?」
ミリアの声で、俺は我に返る。
「あ、あぁ。平気だ」
俺が無理やり笑ってみせると、グランが静かに口を開いた。
「……陛下が、なぜ自ら封印を選ばれたのか、正直に申し上げて、父上もその真意までは理解していなかったようです」
「そうなんですか?」
マヨが、少し意外そうに言う。
「ええ。ただ一つ、確かなことがあるとすれば――」
グランは書庫の窓から、外に視線を向ける。
「陛下が去られた後の帝国は、滅びませんでした」
その言葉は、静かで、しかし確かな重みを持っていた。
「争いはあれど、世界は回り続けました。帝国は築かれ、文明は発展し、秩序は保たれた」
グランは、一歩踏み出す。
「父上はそれを見て、ようやく理解したのです。陛下の仰った、王が倒れても崩れぬ国とは、こういうことなのだと。
それは、"支配"では決してたどり着けぬ世界の在り方」
その言葉に、俺の胸が、すっと軽くなる。
「父上は言っていました。『王が真に護るべきなのは、その地位でも力でもなく、ただ一つの、かけがえのない日常である』と」
俺は、思わず息を吐いた。
(……あぁ)
どこかで、同じことを考えていた気がする。
(理不尽に奪われることのない世界。みんなが平穏無事な日常を歩む世界。そんな世界を創りたくて俺は――)
「素敵な言葉ですね」
先代魔王の言葉に、カタルシアは感動したように、そう口にした。
書庫の空気が、少しだけ温かくなる。
「陛下が選ばれた道が正しかったのか。それは、今も分かりません」
グランは、まっすぐ俺を見る。
「ですが、陛下が遺された"結果"は、確かにこの世界を支えています」
その視線に、責める色はない。期待でもない。ただ、事実を伝える者の目だった。
「……それは良かった」
俺は、ゆっくりと頷いた。
「かつての我は、世のためになったのだな」
「はい。陛下のおかげで、今の私がいると言っても過言ではありません」
まだ、思い出せない。まだ、全ては繋がらない。
だが――少なくとも、俺は間違っていなかったと、そう思えた。
「日常を護る……私も、次期皇帝として、その言葉を胸に誓います」
マヨは、少し考えた後、そう口にする。
「私は、まだ始まったばかりの冒険で、既に様々なことを見て、経験して、学んできました。この日常は、私にとって何より大切なものです」
その言葉に、俺の心は揺れ動く。
護りたいと願った世界は、きっと大それた理想なんかじゃない。
こうして同じ場所に立ち、同じ言葉を交わし、同じ未来を見ようとする――そんな、ささやかな時間の積み重ねなのだろう。
「……なら、護らないとな」
自然と、そんな言葉が口をついて出た。
誰に向けたものでもない。けれど、確かな決意がそこにはあった。
グランは静かにうなずき、書庫の灯りを見上げる。
「父上が遺したものは、書物だけではありません。この国の礎そのものです。そして今、それは我らの手に委ねられている」
窓の外から眼下に広がる街では、昼の日差しの中、人々が行き交っているのが見える。
あれが、守るべき日常。何気ない笑い声や、温かな食卓や、帰る場所。
(……今度は、自分も含めて――)
失われた記憶の奥で、何かが静かに頷いた気がした。
書庫の奥で、魔導灯が静かに揺れる。
俺は、"かつての自分"と"今の自分"の間に、橋を架けた気がしていた。
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〈主な登場人物〉
テンコ:神のゲームの主人公に選ばれた、普通の高校生。性格は厨二病で、抜けてるところもあるが、意外と頭はいい。
マヨ:大魔ミルキーウェイ神皇国の第一皇女。性格は真面目だが、皇女として過ごしてきた反動で素が出る場面もある。意外と間が抜けている。
ミリア:獣人の少女。とても活発で食いしん坊。強い。
カタルシア:紫髪のエルフの少女。人間で言う14歳くらいの見た目。とても誠実で真面目。
グラン:アンドロメダ魔王国の魔王。真面目。誠実な性格。若い顔だが威厳がある。




