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染まれ青藍  作者: 立藤夕貴
2話 未知の世界への誘い
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7/8

2−3

 適度な揺れが眠気を誘う。時折、うっすらと目を覚ましてはまた眠るということを繰り返したあと、聞き馴染みのない声が耳に届いた。

 

「着いたよ」

 

 眩しさから目を細める。目が光に慣れるとまったく馴染みのない風景が視界に入って、一瞬頭が混乱した。隣に座る人と自分の身の回りを確認して現状を思い出す。

 車の運転席に座るのは藍葉さんだ。今日は稔也の代理として藍葉さんと東京で行われるハンドメイドの即売会へと出かけている。

 藍葉さんの車で沼津市を出発したのが六時前。出発して早々、着くまで寝てていいよ、という藍葉さんの言葉に甘えて目を閉じた。正直、眠れるとは思っていなかったのだが、何を話していいのか分からなかった俺にはとてもありがたい提案だった。眠れなくとも寝たふりをしてやり過ごそうと目を閉じたのがおよそ三時間前のことだ。

 朝が少し早かったからとはいえ、こんなにもあっさり寝落ちして気づいたら目的地に着いているなんて思いもしなかった。案外、自分も神経図太いのだなと考えを改める。

 

「そういえば、ご飯食べた?」

「あ、いえ……」

 

 朝、途中で何か買えばいいと思ってギリギリまで寝ていたので何も食べていない。しかも、車の中でもずっと眠っていたから買うタイミングさえ失っていた。そんな俺の前にビニール袋が差し出された。

 

「ちょっとでも食べておいた方がいいよ。先準備してるけど、ゆっくりしてていいから」

 

 それだけ言い残すと藍葉さんは運転席を離れ、後ろのトランクを開けた。続けて荷物を下ろす音が聞こえてくる。

 ビニールの袋を開けると、中にはおにぎりや唐揚げ、味付けたまごなどが入っていた。手伝いに来たというのに、寝ていたうえに食事まで気を遣ってもらってしまった。さすがにバツが悪くて、早々に食べ終えると藍葉さんの手伝いに合流した。藍葉さんの指示のもと、積んでいた荷物を降ろし、ブースに運び込んでいく。

 稔也から相談を受けたあと、藍葉さんから「稔也が無茶を言って申し訳ない」という詫びの電話をもらった。こっちから話しつけておくから断っても大丈夫だという話もあったけど、一度約束したことを反故にするのは気が引ける。参加する意思があることを伝えると、藍葉さんは重ねて俺に詫びた。本当に申し訳なさそうな雰囲気が電話越しから伝わってきて、俺の方が慌ててしまったぐらいだ。自由気儘な稔也の相手をするのは大変だろうなと、勝手に藍葉さんの苦労を想像してしまった。それにしても、こんな形で東京へ来ることになるなんて想像もしていなかった。

 小学校中学年――両親が離婚するまで住んでいた東京。特別な思い出があるわけではないけれど、この先一度は上京したいと思っていたので、少しでも訪れる機会ができたと考えれば今回の件もそこまで悪い話ではなかった。

 ただ、東京に出て特別これがしたいという目標があるわけではない。単純に親から離れて一人で暮らしたい、自由にしたいという理由からだった。そんなことを口にしたらきっと母さんに反対されるだろうなと思って、それ以上考えるのをやめた。奥底から滲み始めた不安を押し込めるように、手伝いをこなす。しかし、これが意外にも大変だった。

 そもそも、会場がやたらと広かった。スペースまで荷物を運び込み、テーブルと棚を設置する。テーブルは会計などに使い、棚に折りたたんであるTシャツやタオル、小物を陳列していった。見やすいように何点かTシャツがハンガーに吊るされる。隣のスペースにはみ出したり迷惑をかけないようにするのが一番気を遣った。藍葉さんは隣の人が来ると差し入れとともに挨拶をしているようだった。こういうところも気を使わないといけないのか。大変だなと横目に見つつ手を動かす。

 藍葉さんが取り扱うのは主に染色したTシャツやタオル、革製品の雑貨だ。Tシャツやタオルは無地が多めだが、一部にさりげなくデザインが入っているものもある。革製品は名刺や薄型の財布、稔也が作ったキーケースやピアスといったものなど多岐に渡った。その中でも目についたのが藍染の作品だった。

 藍葉さんや稔也と名字と同じ、藍の色。

 やけに目に入るのが気に入らないなんて、子供じみている。モヤモヤと湧き上がってきた感情を今度は無視した。考えるほうが疲れてしまう。

 気がつけばずいぶん周囲が賑やかになっていた。イベント開始時間の十分前ぐらいに準備を終えることができて、俺は安堵の息をつく。

 

「お疲れ様。助かったよ。これどうぞ」

「ありがとうございます」

 

 藍葉さんからお茶のペットボトルを渡され、礼を言ってから遠慮なく口をつける。

 外は雲一つない快晴。ガラス張りの場所は照りつける太陽のせいで眩しいぐらいだ。今の外の気温はどれくらいだろう。準備だけだというのに既に汗をかいていた。慣れた様子の藍葉さんは疲れなどみせず、隣のブースの人と話をしている。

 準備の手伝いをして、ようやく二人いたほうがいい理由を少しずつ理解しはじめていた。取り扱っていたものがそれなりの値段で席を外すのは心許ないし、一人で店番なんかしていたらトイレに行く暇もなさそうだ。

 

「こまめに水分とって。麻薙くんはこっちのこと気にしないで、好きに出かけてきてくれていいから」

 

 藍葉さんはそう言ってくれたものの、稔也の代理として来ているのだから働かないわけにはいかない。

 程なくしてイベントが幕を開ける。開始直後の人の流れは緩やかだ。一時間ほど経って、だんだんと人が多くなってきた。足早に通り抜けていく人もいれば、和気藹々と同伴者や出展者と話をしながらブースを回る人もいる。これだと各ブースを見るだけでも骨が折れそうだ。藍葉さんが言うには十一月にデザインに関する大規模なイベントがあるのだという。この会場の二階や別の棟も使うと聞けば、どんな規模なんだと戦々恐々としてしまう。

 辺りの様子を窺っていると、女性二人組がブースに近づいてきた。二人は遠慮がちに陳列されている作品を眺める。少し悩み、ショートボブの女性がピアスと藍染のハンドタオルを手に取った。

 

「これ、いただきます」

「ありがとうございます」

 

 藍葉さんは手早く会計を済ませて商品を手渡すと、女性に声をかけた。

 

「前のイベントの時も来てくださってましたよね?」

「は、はい。そうです」

 

 女性と一緒に俺も驚いてしまった。自分だったら、前に来たお客さんの顔なんてきっと覚えていない。藍葉さんは女性の疑問に気がついたのか、先に口を開いた。

 

「長いこと悩まれてたんで、印象に残っていて」

 

 女性はそうですか、と言って気恥ずかしそうに微笑んだ。少しだけ間を置いて、今度は申し訳なさそうな笑みを浮かべる。

 

「実はあのとき、結構買い込んだあとだったので迷っていて。ピアス、買えなかったんです。今日出るって知って楽しみにしてました」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです。作者に伝えておきますね」

 

 藍葉さんは嬉しそうに笑う。話が盛り上がっているうちに新しく女性のお客さんがやってきた。俺がぎこちない笑みを浮かべながらありがとうございますと商品を渡すと、お客さんはお礼を言ってその場を去っていった。

 なんだかやけに緊張した。愛想がいいほうがいいとは分かってはいるけど、笑顔も接客もそんなに得意じゃないんだよなあと心の中でため息をつく。そんな俺を見て藍葉さんはふっと笑った。

 

「あんまり気を張らなくて大丈夫だよ。笑って接客してれば大丈夫だから」

 

 無理しなくていいよと藍葉さんが言ってくれているうちに、今度は男性がやってきた。

 男性客は商品を吟味した後、Tシャツを一枚藍葉さんに差し出した。代金を受け取り、手早く用意していた紙袋に収めて藍葉さんは会釈する。

 

「ありがとうございます」

 

 男性は特に何を言うでもなくブースを後にする。当たり前だけどいろんな人がいるよなぁと男性が去った方向を見ながら一人思った。人の流れはまちまちで、客が密集したかと思えばガラ空きになるときもある。正直、手持ち無沙汰の時間の方がつらい。

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