2−4
十三時を少し過ぎた頃、ショートカットの女性がブースの近くにやってきた。Tシャツに裾丈のデニムというラフな格好の女性は予想に外れず、人懐っこそうに笑った。
「藍葉さん、こんにちは~。今日は相方が違うんだね?」
「うん。稔也、ちょっと具合が悪くて。急遽助っ人を頼んだの」
「え、稔也くん具合悪いの? 大丈夫⁉︎」
「もう熱下がって食欲もあるみたいなんだけど、病み上がりに来させるわけにはいかないからさ」
「……そっか。会いたかったなー。残念」
女性は仕方ないよねと言って肩を落とす。ぽんぽんと言葉が行き交い、俺は身の置き所がないまま会話の行方を見守るしかない。俺の疑問を察した藍葉さんが先んじて女性を紹介してくれた。
「ハンドメイド仲間の千草さん。こっちは稔也の代わりに手伝いに来てくれた麻薙くん」
「千草です。よろしくー」
「あ、麻薙です。よろしくお願いします」
慣れない展開にうろたえながら挨拶をする。
千草さんも趣味で物作りをしていて、よくイベントに参加しているらしい。顔を合わせるうちに親しくなり、藍葉さんとはそれなりに付き合いが長いそうだ。千草さんは興味津々と言った様子の目を俺に向けてくる。
「麻薙くんもこういうの興味あるの?」
質問に対して言葉が咄嗟に出てこなかった。わずかな逡巡の後、口から出てきた答えはありのままの事実だった。
「……えーと、その。今日は稔也に頼まれて、手伝いに来て」
口にしてから、もっと気の利いたことを言えばいいのにと自分でも思った。あからさまに興味がないと自白しているようなものだ。けれど、千草さんはまったく気にした様子もなく、朗らかに笑う。
「そっか。休みの日なのに手伝い引き受けるなんてすごいね。少しでも楽しめるといいね!」
千草さんの笑顔がやけに胸に刺さった。そうですねと曖昧に笑って誤魔化す。千草さんは視線を棚に移すと陳列されている商品を吟味し始めた。
「やっぱりこの色、好きだなあ。これも藍染?」
「そう。生葉染めのやつでこれは見本。今度染める予定だから、確実に欲しければ予約してくれると安心かも」
「なるほど。じゃあ予約させてもらおうかなあ」
千草さんは淡い水色のストールを手に取って眩しそうに目を細めた。
藍とは違った、澄み渡るような明るい青。夏そのものといった色は千草さんの明るい笑顔に似合いそうだ。けれど、なぜかその笑顔がとても遠くのものに見えた。
「麻薙くん、大丈夫?」
少し遠くから声が聞こえてきて、我に返る。声がしてきた方に視線を向けると藍葉さんが心配そうな視線をこちらに向けていた。
「は、はい。大丈夫です」
「……そう? 無理しなくていいからね」
そう言うと、藍葉さんは千草さんに向かってタブレットを差し出して、説明を始めた。その姿に興味をそそられたらしい人がブースの前で足を止めてくれ、来客の大きな流れが巻き起こる。大半を藍葉さんが捌き、俺も代金の間違いがないように気をつけながら接客をした。
来客が一段落したところで、俺は藍葉さんに促されて昼休みをすることになった。一時間ぐらいゆっくりしてきてと藍葉さんに半ば強制的に送り出され、サイトにある会場マップを確認しながらキッチンカーが集まるランチエリアへと向かう。
ブースを離れて改めて驚いてしまった。どの店の陳列も凝っていて見栄えがいいし、何よりいろいろな作品が扱われていたからだ。アクセサリーや衣類はもちろん、家具や手作りのお菓子を売る店もある。こんなふうに物を作り、売るという手間がかかることをやる人がこんなにもいるなんて、想像したこともなかった。
その熱はいったいどこからくるのだろうと、率直に思った。
何かに打ち込んでも夢が結実するとは限らない。時間とお金をかけても結果が見合わないことの方が多い。それなら無駄がないよう、最小限の労力で当たり障りなく立ち回る方が賢いと思った。
けれど、ここにはきっとそんな人はいない。作品を作って売ること、人と交流することを楽しむ人たちが交わり、大きな熱を生み出している。夏の熱と日差しに負けないぐらい眩しい。
もう傷まないはずの右膝がずきりと疼いたような気がした。この場所に自分がいてもいいのか分からなくなって、俺は足早に店の前を通り過ぎた。
ランチエリアも多くの人で賑わっていた。ステージが近いので賑やかだし、キッチンカーも洒落ていてびっくりした。メニューはホットドッグやクレープといった軽食だけでなく、ロコモコやタコライスなどもある。意外と肉系が多いのがありがたい。
腹に溜まる物が食べたくて、ロコモコ丼を食べることにする。暑いが飲食スペースの席が空いていなかったので、外まで出て適当な場所を見繕って食べ始めた。ムワッとした空気に出迎えられて、今が夏だと改めて認識する。外は暑かったけど、ロコモコ丼が予想外に美味しくて、思ったより早く食べ終わってしまった。
食べ終わってから現実に引き戻される。ゆっくりしてきていいと言われたが、なんとなくもう一度店を見て回るのは気が引けた。散々悩んだが、時間を潰すために少しだけ店を回りながらブースへ戻ることにした。
三十分ほど店を見て回った後に戻ると、藍葉さんがお客さんと親しそうに話をしていた。商品を渡し終えた藍葉さんが俺に気づき、少し驚いたような顔をする。
「もう少しゆっくりしてきてよかったのに」
「大丈夫です。というか、藍葉さんも休んだ方がいいと思いますけど」
運転してきたうえに接客と会計はほぼ藍葉さんがこなしているし、昼もまだだ。俺なんか、先に休ませてもらったうえに朝飯も昼飯も奢ってもらっている。正直、今の働きっぷりでは手伝いと名乗っていいのかという疑問が出てくるぐらいだ。
「それじゃあ、お言葉に甘えてちょっと休ませてもらおうかな」
藍葉さんが意外とあっさり了承してくれて、正直ホッとした。しかし、その安堵も割と早く覆されることになった。三十分経たないぐらいで藍葉さんが戻ってきたのだ。呆気に取られた俺は何も言えなかった。
「大丈夫、大丈夫。稔也といるときはいつもこんな感じだから」
稔也がブースや展示をゆっくり見て回りたいということで、大体は藍葉さんが店番をしているらしい。残念ながら、その様子が簡単に想像できる。もしかして俺より手伝いしてないんじゃないかと呆れ返ったが、もはや怒ったり不服を言う気力も湧かなかった。
互いに細かい休憩を挟みながら店番を続け、気づいたときには終了時間が近づいてきた。客足もほぼなくなったので早めに撤収する。荷物を整理して車まで運び込むと、今日のできごとがまるで夢のような気さえしてきた。 。
外はすっかり暗くなっていて、光に照らされる街がやけに明るい。東京ってこんなに明るかったんだっけ。小さい頃だから本当に生活圏内しか知らなかったわけだけど、見たこともない街を訪れた気分になる。
「明日学校あるのに悪いね。本当に助かったよ。時間も時間だし、飯だけ食べて帰ろうか。今更だけど、食べられないものとか嫌いなものある?」
「いえ、特にないです」
強いていうなら、チェーン店とか気軽に入れるところのほうがいい。それを伝えると藍葉さんは分かったと言って、見知ったように道を歩き始めた。程なくして、比較的近場にある居酒屋へたどり着く。
中に入ると皆、周囲のことなどを気にせず盛り上がっている。こういった場所の方が目につかなくて気が楽だ。席に着くと終わるんだなという安堵感が押し寄せてきて、少しだけ気が抜けた。慣れないこと続きで疲れて、高速に乗ったらまた寝落ちしてしまいそうだ。
今度もっとちゃんとしたところでお礼するから、と言いながら藍葉さんは餃子やら唐揚げを注文してくれる。大皿のサラダを取り分けているのを見て、こんなふうに藍葉さんはいつも稔也の面倒を見ているのだろうと思った。それとともに言い難い感情が湧き上がってくるのを感じた。
こんな人が身近にいたら、稔也のように自由に楽しく生きられたんだろうか。
頭に浮かんできたやましい考えを咄嗟に打ち消して、餃子を口に運ぶ。肉汁がたっぷりで熱々で、口の中が火傷するかと思った。藍葉さんは俺におせっかいを焼くものの、無闇に距離を詰めようとしたり何かを尋ねたりすることはしなかった。無駄に自分の話もしない。適度に距離を保ってくれるのがとてもありがたかった。
沼津に向かって高速に乗ってしばらくしたころ、予想通り俺はすぐに寝落ちした。




