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染まれ青藍  作者: 立藤夕貴
2話 未知の世界への誘い
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5/8

2−1

 代わり映えのない眩い朝日とともに、新たな一週間が始まった。

 背景音としてつけられているテレビを見ながら、俺は用意された朝食を口に運んだ。シャツと濃紺のスラックスに着替えると、まとめておいた可燃ゴミを持って母さんより少し早めに出かけた。この間に会話らしい会話はない。

 事の発端はバイトを始めていいかという俺の打診だった。一年の時にはバイトをさせてもらえていたので、難なく俺の要望は通ると思っていた。しかし、今は勉強が本分だと言って母さんに難色を示されてしまったのだ。

 普段から会話は少なかったのだが、この件を境に母さんとほぼ口を利かずに日々を過ごすことになった。別に迷惑かけるわけじゃないんだからバイトぐらい好きにさせてくれよと、自転車を走らせながら不満を募らせる。

 高校卒業後に家を出る資金として少しでも貯めておきたくて、一年の時からバイトを始めることにした。今年もできるだけ稼いでおきたかったんだけど、その予定が脆くも崩れ去ったというわけだ。小遣いをもう少し貯蓄に回すべきかと、自転車を漕ぎながら真剣に思い悩む。

 ようやく見慣れ始めた校舎の自転車置き場に相棒を置き、昇降口を経て三階へと上がった。この学校では一年が四階、二年が三階、三年が二階という割り振りになっている。

 教室に入ると先週よりもクラスの雰囲気が和気藹々(あいあい)としていた。テスト期間を終え、更には席替えもしているから賑やかなのは当然とも言える。挨拶を交わしながら席に着くと、夏の予定や部活の話がどこからともなく聞こえてきた。俺はそんな会話に混ざることなく、携帯で音楽を聴きながらショートホームルームを待った。

 今までと違うことといえば、稔也の様子を窺うようになったことだろうか。彼はこれまでの俺の周りにはいないタイプで、どことなく気になってしまったのだ。廊下側から二列目、前から四番目にある稔也の席にさりげなく視線を向ける。

 学校にいるときの彼は至って静かだ。普通にクラスメイトと会話をするけど、一人でいることも多い。積極的に交わるタイプには見えないという印象はここ二週間でも変わらなかった。これなら藍葉家での彼の振る舞いは予想できなくても仕方ないと思う。

 ショートホームルームを終え、一限目の文学国語が始まる。担任である七澤先生の授業だ。

 七澤先生は少し細身でパッと見ても姿勢がいい。いつも身なりをきちんとしていて、今日もシワのないシャツとスラックスを着ていた。落ち着いた声をしていて授業が聞きやすいのも印象的だった。真面目そうというのが第一印象だったが、女子いわく意外と面白いらしい。愛妻家でたまに惚気(のろけ)るのだという話を耳にした。そんな人柄があってか、女子に人気があるみたいだった。

 気を遣ってだろう、転校してきた当初、七澤先生は俺によく声をかけてくれていた。一年の頃の担任がほぼノータッチというタイプだったから、少し居心地が悪いと思うところもあった。七澤先生が悪いわけじゃない。ただ、一線を置きたいという俺と和やかな先生の雰囲気が馴染めなかっただけなのだ。

 今は俺の様子を察してか、程よく距離を置いてくれていた。七澤先生の声を聞きながら、もうすぐ夏休みかとぼんやりと考える。

 変わったこともなく一日が過ぎる。そんなふうに思っていられたのは昼までだった。席を立って弁当を片手に中庭へ向かおうとしたところ、ぴたりと足が止まってしまった。

 クラスメイトの女子が稔也の席に寄り、話しかけていた。ふわりとしたボブヘアーの女の子だ。シャツの上に淡いグレーの薄手のカーディガンを羽織っていた。

 稔也に話しかけたのはクラスメイトの織野(おりの)さん、だったはず。じっと見ているのは体裁が悪くて、慌てて携帯を見ているフリをした。合間を見て二人の様子をちらりと窺う。稔也が女子と話しているのが意外だったが、それ以上に二人の雰囲気に驚かされた。思っていた以上に話が弾んでいるように見えたのだ。

 話は予想通りすんなり終わった。織野さんと別れた稔也は教室を出ていく。接点のなさそうな二人が何を話していたのだろう。気にはなったが、そもそもどちらとも親しく話す間柄ではないので聞くこともできない。さっさと忘れようと思って中庭へと向かったが、結局その日一日はずっと二人の姿が頭にこびりついていた。

 一晩過ぎたときには二人の会話のことはすっかり忘れていた。翌日、午前の授業を終えて中庭でおにぎりを頬張っていたとき、見慣れ始めた姿を視界に捉えて俺は目を見開いた。

 

「よー」

 

 間延びした声で声をかけてきたのは稔也だった。今まで学校で話しかけてくることなんてなかったので、どう反応するべきか瞬間的に判断できずに空白が生まれる。その間に、彼は俺の近くまで歩み寄ってきていた。

 

「隣いい?」

「え? ああ。まあ……」

 

 戸惑いを隠せないまま了承する。稔也はありがと、と礼を言うと、俺が座るベンチの端に腰掛けた。

 いったいなんの用だろうかと思いながら様子を窺っていると、稔也は弁当箱を取り出して飯を食べ始める。まるで俺の存在がないかのように、ごくマイペースに唐揚げを頬張る。何だか無性に俺の方が気になって、思わず稔也に声をかけていた。

 

「……えっと。なんか用か?」

「いやさ、昨日織野と話してたとき、こっち見てただろ? ちょっと気になったつーか、なんつーか」

 

 思いがけない言葉が振りかかってきて俺は閉口する。

 まさか様子を窺っていたことに気がついていたなんて思いもしなかった。このときになって、彼の観察力と周囲への感度の高さを完全に読み違えていたと知る。こちらを探るような視線を見て、誤魔化しても仕方ないと思い直して正直に話すことにした。

 

「いや、その。……誰かと話してるの、珍しいなって思って」

 

 今度は稔也の方が驚いた顔をした。俺が見ていたことを素直に認めたのが意外だったのかもしれない。

 というか、こっちの方が驚かされてばっかりなんだけどな、と心の中で悪態をつく。これまでの稔也の様子からして、俺のことなんて気にしていないと思っていたのだ。俺の予想に反して、稔也はあっさりと織野さんからの相談事を打ち明けてきた。

 

「文化祭のことで相談されたんだよ。クラスじゃなくて部活の方だけど」

 

 そういえば、九月末に文化祭があるんだった。一学期の期末テストが終わった今、その準備に向けてクラスも部活も本格的に動き出すことになる。彼の発言を聞いて湧き上がった疑問が自然と口からこぼれた。

 

「……織野さんと同じ部活なのか?」

「違うって。俺は美術部、織野は弓道部」

 

 美術部という単語は稔也にすんなりと馴染んだ。藍葉さんの家で見た姿が美術室に置き換わって再生される。ただ、工芸部といった方がもっとしっくりきそうだと思った。稔也はそのまま話を続ける。

 

「去年、美術部の展示で藍染の作品出したんだよ。それを見てたみたいで、矢田部に俺のこと聞いたらしくてさ。今年、弓道部で文化祭用の手ぬぐいを作れたらいいなって思ってるんだけど、藍染はどこでやったの、って聞かれたんだよ。で、遥己さんのこととか話してた」

 

 稔也の説明を受けて、そういえば前の学校もクラスごとにTシャツを作ってたっけなと思い返す。織野さんはそれと似たようなことを部活でやろうとしているのだろう。矢田部という名字のクラスメイトはいなかったはずなので、美術部員なのだろう。それよりも、話を聞いていて気になることがあった。

 

「……俺は細かいこと分かんないけど、そういうのってそんな簡単にできるものなのか?」

 

 伝統工芸に対しては手間暇がかかる、格調高い、高級品といった印象が強く、近寄りがたさを感じる。心配をよそに、稔也は俺の疑問にからりと答えた。

 

「遥己さんがいつもお世話になってる工房があるんだよ。都合がつけばたぶん、できるんじゃないかなって感じ。まあ、遥己さんに確認してもらわないと分かんないから、返事待ってもらってるんだけど」

 

 迷いのない声を耳にして、俺は手を止める。

 稔也の声から感じたのは藍葉さんに対する絶対的な信頼。人間関係に対して頓着しなさそうな稔也が揺るぎない信頼を寄せている。知り得ない感情を前にして、俺のなかにモヤモヤとした感情が募っていく。

 

「そう」

「そーいうこと」

 

 俺の声は思った以上に乾いて響いた。けれど、稔也は気にとめた様子もなく相槌を打ち、飯を頬張る。

 稔也は俺の淡白な態度に苦言を呈するわけでもなく、織野さんのことが気になるのかとからかうわけでもない。それどころか、早々に食べ終わって俺を残して校舎へと戻っていくマイペースさだ。純粋に気になっていたことを聞きに来ただけだったのだと思うと、なんだか気が抜けてしまった。

 でも、それでよかったと思う。こちらのことを詮索されるのも、面白半分にからかわれるのも面倒だったからだ。稔也と織野さんの様子が気になって見ていた俺が言えた義理じゃないと言われてしまえば、その通りなんだけど。

 少なくとも、稔也は人の関係を茶化す真似はしないということが分かって安堵した。自転車がきっかけに稔也と話すことになったが、これは互いのほんの気まぐれから起こったこと。これ以上、稔也と関わることもないだろう。

 その考えが予想の遥か斜め上を行くなんて、そのときの俺はまったく想像していなかった。

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