1−4
「これ、あいつが作ったんですか?」
「そう。元は俺が趣味でいろいろ作ってたんだけど、今は俺より熱心でさ。適度に休んでほしいんだけどね」
稔也に視線を向けたままそう語る藍葉さんの横顔はとても穏やかだった。自分とは縁遠い世界を前にして、喉に異物が詰まるような錯覚がした。
「え、麻薙? なんでここにいんの?」
唐突にそんな声が降りかかってきて我に返る。いつの間にか稔也がこちらを見ていた。俺が口を開くより先に藍葉さんがその疑問に答える。
「わざわざこの間のお礼に来てくれたんだよ。っていうか、そろそろ休みなさい」
はーいという間延びした返事のあと、稔也は手を組んでグッと腕を上に伸ばす。先ほどまでの神妙な雰囲気は露と消え、緩い空気に変わっていた。
稔也はこちらに来ると空いている場所に座った。藍葉さんからグラスを受け取り一気に麦茶を飲み干す。一杯だけでは足りないらしく、水出しのお茶のポットを手にして二杯目を注ぎ始めた。今更気がついたけど、稔也はピンクと水色の可愛らしいピンで長い前髪を留めていた。作っている物とも印象が違って、チグハグな印象だ。
「お前、それどうしたの?」
何を問われているのか分からなかったのか、稔也がキョトンとした顔をした。まあ主語が足りないよなと思い直して、前髪のピンを指差して指摘する。
「それ」
「ん? ああ、妹がくれたの。前髪長いから邪魔でしょ、って」
どうやら妹がいるらしい。それならこの色合いのピンをつけているのも納得だ。いや、そもそも邪魔なら前髪切ればいいのに。こんな兄貴がいたら大変だろうなと勝手に妹の苦労を推察する。
テスト期間ということもあって学校でも言葉を交わす機会なかったので、稔也とまともに話すのは先週以来だ。まさか今週もこの家にいるとは思わなかったので、彼とどんな話をすればいいのか見当もつかない。しかし、俺の心配をよそに稔也が尋ねてきた。
「自転車、大丈夫そう?」
「え? あ、ああ……」
「そ。ならよかった」
心配してくれていたのが少し意外だった。学校では淡白な印象だったので、その後どうなったかなんて気にしていないだろうと思っていたのだ。稔也の返事は簡素だったけれど、気遣いはどこか藍葉さんに似ていた。
それもまた意外だった。学校での彼は一人でいることが多かったから、人と距離を置くタイプだと思っていたのだ。
どこからともなく持ち出したどら焼きを頬張る稔也を見ながら、俺は改めて本人に尋ねてみる。
「これ、お前が作ってんの?」
「そう。つっても、俺はおまけみたいなもんだけど」
「おまけ?」
言われていることが理解できなくて、正直な疑問が口からこぼれる。稔也は後ろのポケットから携帯を取り出して何かを探し当てると、画面をこちらに向けてきた。
「こういうの知らない?」
稔也が画面をスクロールしていくとアクセサリーやワークショップの様子などが切り取られた写真が流れていった。どうやら、七月の第二週の土日に行われるハンドメイドの即売会らしい。というか来週じゃんか。
「遥己さんに便乗して俺も作ったもの置かせてもらってんの。だからおまけ」
俺自身、図工や美術は軒並み平均だったし、母さんもあまり何かを作っていた記憶はない。まったくもってものづくりに縁がない俺にとっては想像もつかない世界だ。
「まあ、身近にものづくりする人がいないと縁遠い世界ではあるよなあ」
藍葉さんが俺の気持ちを代弁してくれる。まあと曖昧な相槌を打った俺に対して、稔也はキーケースを摘み上げて見せた。
「これとか藍染した革の切れ端で作ってるんだ。こういうの知らなくっても、ジャパンブルーぐらいは聞いたことあるんじゃね?」
「ああ、まあ……」
ジャパンブルーという言葉に心臓が跳ねる。相槌に動揺は滲まなかっただろうか。それは杞憂だったようで、稔也はキーケースを眺めながら饒舌に語る。
「藍染のことも遥己さんに教えてもらって知ってさ。作るのも楽しいんだけど、こういうイベントっていろんなものがあるじゃん? 知らないこと知れるのが面白くってやってるって感じ」
稔也は残っていたどら焼きを口に放り込むと、三杯目の麦茶を胃に流し込んだ。そんなに飲んでも大丈夫なのかと思ったが、彼は早々に立ち上がる。
「もうちょっと休みなさいよ」
「やだー」
小学生かよ、という言葉が出かかって危うく飲み込む。藍葉さんの気遣いも虚しく、稔也は手を洗いにいってから再び隣の部屋で作業を始めた。先ほどまであった緩い空気がいつの間にか消え去り、一心不乱といった様子で細かいパーツを取り付けている。藍葉さんは諦めきった表情で稔也の様子を眺めていた。
「飯ぐらいまともに食ってくれると嬉しいんだけどねぇ」
藍葉さんいわく、テスト期間中に作業ができない反動でこうなっているんだという話だった。勉学をおろそかにしないことを条件にものづくりやイベント参加を許可しているらしい。
お茶をいただいたところで俺はお暇することにした。今話しかけてもきっと無駄だろうと思って、稔也には声をかけなかった。玄関先で藍葉さんは俺に向かって申し訳なさそうに微笑む。
「あいつ、夢中になると周りが見えなくなっちゃって迷惑かけると思うんだけど、大目に見てもらえると助かるよ」
「ああ、はい……」
肯定していいものかと一瞬思ったが、あんな稔也の姿を見た後で否定するのも違う気がしたので、正直に返事をした。今更ながら、学校での稔也とのギャップに驚かされるばかりの一週間だった。
「麻薙くん、今日は本当にありがとう。気をつけて」
「はい、失礼します」
藍葉さんに会釈をし、俺は自転車に乗って家路をたどる。
見慣れない街が眼の前に広がり、好奇心よりも無難に過ごせればそれでいいという思いの方が先に立った。それに伴って、モヤモヤと心の中に暗雲が立ち込める。
海を見たくなって、この近隣の公園まで来たのが先週のこと。自転車のチェーンが外れてクラスメイトに助けられることになった。そこまでは別にいい。湧き上がる感情を腹に押し込め、グッと足に力を込める。
遠ざけていたものを耳にするなんて。
こんなふうに青にたどり着くなんて。
予想できないに、決まっているじゃないか。




