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御子母の惑星─みこものほし─第二部 改訂版  作者: 宮生さん太
第一章 再来の初夏

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第八話 父奏司の贈り物

 帰るなり、由良姫と宇羅彦はいつも通り禊をしに風呂場へ向かった。


 宇羅彦が先に済ませ、由良姫と入れ替わる。

 宇羅彦は濡れた髪をタオルで無造作に拭きながら、居間へ向かった。


 居間では、万里依が眴に視てもらっていた。


「今日のは特別やった。モドキいてるんなら祓うで」


 宇羅彦はそう言いつつ、宇宙依の近くに座った。宇宙依が心配そうに尋ねた。


「どないやった。すぐ祓えたんか」


「ああ。祓いは問題ない。あの程度やったら一発や。モドキももらわん」


 眴が、万里依からモドキを取り出す旨を告げる。宇羅彦は立ち上がって構えた。

 万里依は前のめりになると、眴が喉元まで追い込んだのを吐き出した。モドキの塊は思ったより大きかった。


 ──なんや? デカイな


 宇羅彦はいつも父奏司に憑いたのを祓いつつ、モドキを見てきた。それ以外にも、芥見の者が内々に訪ねてきて、眴に取り出してもらったのを祓ってきた。

 今夜の万里依のモドキは、なぜだろう比べ物にならないほど大きかった。


「うちは現場へは近づかんし、おかしいな。視とるだけで憑かれとったら、眴はどうなるんやろなあ」


 そう言って万里依は笑ったが、ふと心配になったのか宇宙依へ振り返った。


「宇宙は視てもろたんか?」


「うん、どうしよう。眴、やっぱ取っといた方がええやろか」


「そうですね。ちょうど宇羅彦もいますし。今なら紋から滲ませて引き剥がせます」


 宇宙依のモドキはそれほどでもなかった。万里依はそれを見てホッとしていた。万里依はいつも弟の宇宙依のことを案じているようだった。


 眴が洗面所へ手を洗いに行くと、禊を済ませたまま由良姫が倒れていた。先程までモドキを取り出していた手では触れられない。

 眴は急いで手を洗い符入りの晒しを巻くと、由良姫をタオルで包んだ。視たところモドキもケガレももらってはいない。


 風呂場の方から、眴が宇羅彦を呼ぶ声がする。


「なんや、どうかした……」


 眴がタオルに包んだ由良姫を抱いて出てきた。宇羅彦は眴から受け取ると、黙って由良姫の部屋まで運んだ。ベッドに寝かせると、あとは眴に任せて居間へ戻った。


「由良姫、大丈夫ですか?」


 由良姫は運ばれる途中で気がついた。宇羅彦と目と目が合って、宇羅彦は軽く頷いていた。


「うち、禊済ませたら、急に立ちくらみして……」


「今夜の祓いは大変だったようですね。どうしますか。居間へ戻れますか?」


 由良姫はグッタリしていた。原因はわかっている。


「目が合(お)うたん。生きとった。おじいさんもおばあさんも」


 由良姫は目を閉じると、まぶたの裏に赤が残った。血の色ではない。生きている色だった。


 年寄りの男の目は、まだ状況を理解していなかった。年寄りの女の目は、怒りとも狂気ともつかない、強い念が向かってくるようだった。


 それが、怖かった。


 ケガレになる者の目は濁る。だが昨夜は違った。人のままの目が、崩れる直前だった。


「……あれは、ケガレやなかった」


 呟く声は小さい。

 眴は一瞬だけ言葉を失い、それでも強く言った。


「とにかく、早く忘れなさい」


 由良姫は頷いたが、そうしただけだった。


「由良姫、引きずって良いことなんてひとつもありません。あなたの役目は、祓うことだけです」


 眴はいつも由良姫のナイーブさが心配でならなかった。父親の奏司によく似ていた。

 その点、宇羅彦はどちらに似たのか、御子姫だろうか豪鬼だろうか、一切動じなかった。


 由良姫がなかなか来ないので、その間に宇羅彦が代わって、今夜の祓いの様子を話していた。

 万里依は話を聞きながら、宇宙依にも宇羅彦にも、大丈夫かどうか何度も繰り返し確かめていた。


「万里姉、そんな心配せんでええよ。俺は平気やから。宇宙兄の方がキツいんちゃう?」


「俺も、もう大丈夫や。腹くくったから」


 そう言いながら、宇宙依が万里依を力強く見つめる。宇羅彦は車の中での万里依の言葉を思い出す。


 視る者の務め、祓う者の務め。


 由良姫は宙ぶらりんだが、誰も由良姫には強く言わない。それにも理由があった。由良姫は昔から腫れ物に触るよう、扱われてきた。


「由良姫は無理させんでもええよ。今日はただの祓いやなかったし」


 そこへ由良姫が一人で戻ってきた。


「眴ちゃんから先に行っててって。ごめんなさい。ちょっと立ちくらみして」


 万里依は深く息をつくと、由良姫を励ますように言葉をかけた。


「由良姫、もっと気ぃしっかり持たな。御子姫殿みたいになりたいんでっしゃろ。しっかりしぃや。きっと遠くからでも見守ってはるえ」


 由良姫は御子姫の名が出た途端、ハッとするように姿勢を正した。


 由良姫は、御子姫の名が出ると、いつも歯をくいしばる。それだけ、数回しか会ったことのない母に憧れを抱いていた。

 父奏司から聞かされていた、御子姫の物語は強く美しい戦頭領の姿ばかりだった。


 昨年の今時分、眴は二人を連れ、御子姫の元へ奏司のことを報告しに行った。


 その際、眴は御子姫から勾玉のネックレスを預かった。御子姫は、奏司が二人へブレスレットを用意していたことも知っていた。

 ブレスレットには、ネックレスと対になる小振りの勾玉がついている。同じく鹿野神と猪野神の細工師に頼んだものだった。


 御子姫は、その対になる二つを同じ場所に保管するよう眴に伝えた。

 それから一年が過ぎようとしていた。


 奏司は祓う者の苦しさをよく知っていた。いずれ子供らが必ずぶつかるだろう祓いの壁、その時のために心の拠り所を作ってあげたいと、生前よく眴と話していた。


 由良姫が落ち着くのを待つ間、宇宙依は黙って目を伏せていた。時折、何かを探すように視線だけが揺れる。


 やがて、ゆっくりと話し始めた。


「今夜のことやけど、二人にはなんも関係あらへん。あの高齢の夫婦間だけの揉め事で処理される。どっちも死んどるで、死人に口なしや」


 それを聞いた由良姫は、ホッとしたのか深呼吸した。宇羅彦も少しだけ緊張がほぐれた。その様子に、宇宙依は二人に強く言った。 


「この先、万が一、人としての遺体が残りそうなときは、ケガレだけサッサと祓って、何があってもすぐ立ち去ること」


 万里依と宇宙依が、続けて明日の学校で起きるだろう事件の話をする前に、眴は少しだけ時間をもらった。


「由良姫、宇羅彦、今夜はいろいろ思うことがあったろうと思います。二人に、奏司さんから預かった物があります。奏司さんが亡くなる前に、私の判断で渡してくれと預かっていました。今、渡すことにします。その方が、いいでしょう」


 眴は二人に、それぞれ一つずつ箱を渡した。


「わあっ!」


 由良姫の箱には、紫(むらさき)翡翠(ひすい)でできたブレスレットが入っていた。宇羅彦の箱には、縞(しま)瑪瑙(めのう)の中でも黒い部分でできたブレスレットが入っている。


 紫翡翠は、思っていたより重かった。重いのに、不思議と手首に馴染む。

 由良姫は一瞬、息を呑んだ。


 熱がある。


 石の奥から、かすかな脈動のようなものが伝わってくる。


「……お父さん」


 口に出した瞬間、胸の奥で何かが揃う。

 怖さは消えない。でも、揺れが止まる。


 宇羅彦は何も言わず、自分の石を見ていた。

 それは静かだった。静かなまま、強い。


 奏司は、守る術を知らなかったわけではない。渡す術は知っていた。


「眴ちゃん、これってずっとつけててええの?」


 眴はにっこり笑って、つけるのを手伝ってやっていた。そのブレスレットは一度つけたら外すことはできない。


 万里依が二人の手首を見る。その瞬間に、思わず感嘆の声を上げた。


 それもそのはず、石の細工の見事さだけでなく、紐まですべてが鹿野神と猪野神の細工物だった。それは一族の者なら価値を識っていた。


「二人とも、奏司さんがついてますからね。気持ち強く持って下さい」


 その様子を見ていた宇宙依が、少しホッとしたように微笑んだ。


「今もう夜中の一時や、ちょっとキツいと思うけど。頑張って。夏休み入ったら、鹿野神のと猪野神のと、二人ずつ、来るから」


 由良姫と宇羅彦は朝から学校へ向かった。


 今日は午前中に、科学部のロボコン班の手伝いだった。普段は使えないが、日曜だけは体育館を使ったロボコンのシミュレーションができるのだ。

 ただ、体育館は冷房がなく、昼間は地獄だった。扉を開け放ちたいところだが、強い風はデータが取りづらくなる。


 今日、部活動の届けを出しているのは、水泳部と音楽部。中でも、音楽部は個人レッスン的なもののようだった。

 それも昨夜、宇宙依から聞いていた。今日の学校での事件の予定は頭に叩き込んでいた。


 大事になるのは水泳部のシャワー室で、昼前直前だった。それまでは動かない。

 そう決めて、二人はロボコン班のシミュレーションに熱中していた。


 その頃、音楽準備室では、樋口めぐみと安田美咲が個人レッスンをしていた。めぐみは声を出す時の筋肉の動きが直接見たいからと、美咲には制服ではなく、いつものように着替えてもらっていた。


 めぐみは何をするでもなく、ただ音をとって、課題の歌曲を歌わせていた。

 そうすると、まるで頃合いを見計らったように佐藤先生が音楽準備室へ入ってきた。


 その頃、由良姫と宇羅彦は体育館にいた。

 ロボコン班の試行。配線とモーター、ネジと熱。理屈が通る世界は、安心できる。


「もう少しトルク上げたらいけるな」


 宇羅彦が言い、由良姫が頷く。


 その時だった。

 風通しのいいザラ板の上で寝そべっていた狐のケンが、ムクっと起き上がりクワッ! と短く鳴いた。

 次の瞬間には、水泳部のシャワー室へと走っていた。


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