第六話 バレンタインデー①
「ちょっと待って、落ち着いて。その川沿いの廃倉庫とかって、高校中退した連中の溜まり場や。そこへ連れて来られるような子、いてへんか?」
浩徳は続けた。
「その日はバレンタインや。一人の女子から恨まれるんなら同じ女子やろ、多分。それに宇宙依さんは巻き込まれんでもいい子って言った。女の子やろ? 男子やったら子なんて言わへん」
「不良に巻き込まれる女子!? ヤンキーにからまれとった、ゆんゆ!!」
由良姫が、見つけたとばかりに嬉しそうに叫んだ。
「当日直前やったら動いてもええんやろ? せやったら、俺声かけといてやろか? 昔のツレに」
浩徳が良かれと思って、由良姫に聞いた。
「昔の……ツレ……?」
「そうそう、天神中の友達」
「えっ? ヒロくんって、天中やったん?」
「そうや、天中の狂犬って、小林から聞いとるやろ?」
「豆柴?」
宇羅彦が思わず吹き出す。
「うわあっ!? 天中の狂犬って、柏木くんのことやったんや! ヤバいわ、伝説やんか」
「なにっ!? 宇宙兄まで知ってんの?」
「中坊が、県商や県工までシメとったんやで!!」
「なんや聞いたことあるなあ、一個上にスゲえ人おるって。先輩のことやったんや」
「どこがスゴいんや? なんもスゴくない!」
「ほんま、由良姫の言う通りや」
いつもなら調子に乗ってくるところが、浩徳はすぐに会話を切り替えた。
とにかく、佑実がケガレ発生場所まで連れていかれる前に保護できれば、それなら言うことのない展開だった。
ただそれには、知っていても当日まで黙っていなければならないという苦痛が伴った。みんながひそかに浮き足立つ中、気取られないよう馴染んでいることは容易ではない。
そんな苦痛を知ってか知らずか、宇宙依は高校の周囲で起きるケガレ発生について、いつもギリギリにしか予測を伝えてこなかった。
バレンタインデーの朝、由良姫は、弁当作りで一緒にキッチンへ立つことが多くなった眴にチョコを渡した。
「いつもありがと」
「こういうのは高いでしょう。大切にいただきますね」
「ナイショやけど、ウーちゃんはもっとスゴいのもらうんやで」
シーッと人差し指を口に当てて、由良姫はイタズラっぽく笑った。
「バレンタインですし、今日のお弁当は好きなものを詰めてあげたらどうです?」
「そんなこと言ったら、肉、肉、肉になっちゃう」
「たまにはいいんじゃないですか? アスパラベーコンとか、生姜焼きもタマネギと一緒に炒めて、プルコギあったでしょ」
「やっぱ、眴ちゃんって、女子やね」
「何年育児してきたと思ってるんですか」
珍しく早い時間に、二階から足音がした。宇羅彦が眠そうにキッチンへやってきて、由良姫が調理し皿に置いてあるおかずをつまもうとした。
「ダメッ! 詰めてからにして」
バレンタイン当日、学校は朝からザワついていた。
小中学校の時は、学校へチョコやプレゼントなど持ってくることはできなかった。
高校ともなると、特に由良姫と宇羅彦が通っている県高は自由だった。
バレンタインだけではない。普段から自由すぎるほど自由だったが、特にイベントごとには教師も職員も見て見ぬ振りをしていた。
クラスの有志女子でお金を出し合い、チロルチョコやキットカットの大袋を買って、昼休みに男子たちに義理の恵みを分け与えたりは当たり前の光景だった。
「センセー、チョコいるー?」
大袋を抱えた女子たちが、大勢廊下にいた。
そんな昼休みのワチャワチャした空気が、一瞬だけ張り詰めた。
バイクに乗った数名が、高校の周囲で停まっていた。物理準備室の出入口に面したテニスコートのある東通用門の近くで、茶髪の女子たちが大声で呼んでいた。
「おーい! 豆柴ぁーっ!」
「ヒロノリーッ! 」
浩徳は「ええっ!?」という顔をしながら準備室から出ると、「おうっ!」と手を挙げて門へ走っていった。
由良姫はどうしたのかと見ていると、どうやら顔見知りらしかった。
「なんやおまえらこんな時間に」
「うちら今、夜間に行っとるんや。この前、翔也から聞いてさ、久しぶりに会うたって」
「おう、ちょっと頼みごとあってな。おまえら仕事は?」
「今日は休み。ほら、これ、やるよ。うちらの働いとるとこのやけど」
そう言うと女子のうちの一人が、浩徳にビニール袋を渡した。中には、袋入りのチップチョコが何種類か入っていた。
地元の製菓会社で働いているという彼女たちは、同じ天中の卒業生だった。
特にチョコをくれた女子と翔也という男子と浩徳は、施設で一時期一緒に暮らしていた。
児童養護施設。浩徳はここで二年近く過ごした。
身も心もボロボロだった浩徳に、最初に声をかけたのが、同じような境遇の翔也だった。
翔也は、浩徳から自分と同じ匂いを嗅ぎ取った。親から虐待を受けた、あの独特な感じだ。
入所当日、浩徳は食事に手をつけなかった。
それを翔也は離れて見ていた。
虐待でついた痣は、上書きされるのでなかなか消えない。見えない傷もそうだった。
「おまえ、ヒロって言ったっけ。食べられへんのか?」
浩徳は何も言わなかったが、顔を見ればわかった。頰がまだ少し腫れている。口の中を切っているのだろう。
「なあ、ヒロ。喧嘩するとさ、ケガするのと同じだぜ。そのたび食えなかったら、もっと弱っちくなって、もう勝てなくなる」
浩徳は黙って翔也の言葉を聞いていた。
翔也は笑うのが下手だった。笑えるようなことなど一度もなかったから、どう笑っていいのかわからなかった。
なぜだか翔也は浩徳と一緒にいることが多かった。
自分と似た空気をまとった相手を嗅ぎ取ることは、この施設の子どもたちにはごく自然なことだった。
翔也はなんでも喧嘩に例えてきた。
「ヒロ、勝負ってのは、負けたらおしまいなんや。勝った者の総取りや。悔しかったら勝たねえと」
二人は中学へ進学した。強者揃いの天神中で、メキメキと頭角を現していく。
互いに背中を預けあっていたかと思うと、浩徳の蹴りが入り、翔也のカウンターが決まる。
売られた喧嘩は買って上等。そして、勝って上等。
二人はいつしか天中の狂犬と呼ばれるようになった。浩徳と翔也、二人で一つだった。
施設には結仁という女の子がいた。同い年だったが、ひどく小柄だった。保護された時はゴミに埋まっていた。
施設の中で、いつもいじめられていた。
散々、親から痛めつけられ、弱い者がどんな目に遭うか知っているだろうに、それでも自分より弱い者へ矛先を向けてしまう。
よくあることだった。
翔也は結仁を守った。許せなかったのだろう。喧嘩になれば施設長に説教を食らった。
そのたび、浩徳は理詰めで大人を黙らせた。
「ヒロ、いつもありがとな」
三人は施設の中でいつも一緒だった。浩徳が中学三年で母親の元へ引き取られるまで。
「ヒロ、俺たちはいつも一緒や」
翔也と、結仁。浩徳が唯一、心を許していた二人だった。
「ヒロくん、誰?」
「ああ、中学ん時の同級生。チョコもらった、食う?」
「いいよ、持って帰ったら」
「ツヤさん、いつもコーヒーありがとございまっす!」
浩徳は袋の中からチョコを出すとツヤさんに渡した。あとは生徒会顧問や養護教諭にあっという間に配り終えた。
由良姫には抹茶チョコを、眴さんが好きそうだからと押し付けた。
「今日さ、俺、授業終わったらすぐ帰るで。川沿いの倉庫とか工場には直接一人で行くわ」
本当に、普段は気にならないほど稀にだが、浩徳は一瞬にしてすべてをシャットアウトすることがあった。
由良姫は、自分にもそういうところはあるので、絶妙な間でスッと引くことができる。
それもまた、まだ知らない一面が互いにある以上、仕方がないと思えた。
妙に大人びていて、もっと素直な気持ちの熱量、好きという熱のようなものはなかった。
どうしても一歩引いてしまう。
たとえ祓いの場で自分の身を預けているという認識はあっても、それはそれであってそれ以上でも以下でもない関係としか思いようがなかった。
県高の西通用門に勇人が来て、佑実が出てくるのを待っていた。それを見届けたあと、宇羅彦はどうしてもという光代の願いを聞き入れ、一緒に帰ることにした。
由良姫は結局、浩徳に渡しそびれたチョコを持って帰った。
そういえば、クリスマスの時も浩徳はプレゼントはいらないと言ったきり無口になった。
今日もチョコはもらうんだと思った矢先、全部誰かにあげて自分は持って行かなかった。それを見ていたら、由良姫は渡しそびれてしまったのだった。
自室に戻った由良姫は、チョコを机の上に置いてため息を吐いた。
浩徳はバイクで県境の川沿いへ向かっていた。約束の時間まで、久しぶりに以前ツルんで走っていた道を遠回りしてみた。
川沿いの道を走っていると、前方から来るバイクのライトが点滅した。
翔也のライトを点滅させる癖は変わっていなかった。浩徳もライトを点滅させて返した。自然とバイクが並び、二人はしばらく懐かしそうに喋った。
「おう、翔也! 今日学校に結仁来たで」
「そうか、やめとけって言ったんやけど。すまんかったなあ」
「いや、すぐ帰ったで。マジメに働いとるみたいで安心したわ」
「おう、学校もちゃんと行っとるで。あいつさ、実は今、妊娠しとるんや」
「ええーっ!!」
浩徳は翔也の顔をまじまじと見た。翔也は照れながら三ヶ月だと言った。




