第四話 芥見のケガレ
先日、グレードBのケガレがバレンタインデーに出ると聞かされた。
由良姫と宇羅彦はもっと詳しく知るため、宇宙依に会いに芥見の本家を訪ねた。
白鴉の一件があった後、一度だけ屋敷の祓いに訪れた。行った。それ以来、本家へ足を運ぶことはなかった。
「これはやっぱ、まずは祓いをした方がいいかもしれんね」
「せやなあ。白鴉ん時もしっかりやっといたんやけどなあ」
由良姫と宇羅彦は、話し合いながら家の表で屋敷全体を見ていた。
すると、大学へ行かず家に残っていた宇宙依が玄関から出てきた。
宇宙依を見た瞬間、由良姫が「うーわっ!」と声を上げた。
「宇宙兄、ちょっとそのままそこ立っとって。もう大変なことになっとるで、すぐ祓うし。祓えるだけやっとく!」
宇宙依にはなぜか、これでもかというほどモドキが集っていた。しかも、あろうことかすでに魂の蝕が始まりつつあった。
蝕の進行がゆっくりだったのは、普通の人とは違う、一族の血が救ってくれたのだろう。
宇宙依は大学へ行くことも外出する機会も減らし、先見の眼でケガレ発生の予測ばかりしていた。そのことも大きな一因だった。
大学から戻ってきた万里依には、そこまでモドキは憑いていなかった。だが、それでも今までに比べると格段に多くなっていた。
「うちもなあ、ちょっと体の調子悪いんよ。どないしよう、原因はお曽祖母ちゃんやろ」
万里依の言葉に宇羅彦が過敏に反応した。
多分、宇羅彦もまた、屋敷を取り巻くこの気配には、万里依や宇宙依同様、影響を受け易い性質だった。
この屋敷を覆う気は、一族の異形にとって、最も警戒すべきものとなっていた。
「このまんまやと、家の者全員おかしゅうなるで。まあ、ちょっとの間、ババア置いて他所へ住んで、通ってきたらええやんか」
「そうもいかんのや。見とらんと。ケガレになる前に、屠らんと。一族の恥になる」
宇宙依が吐き捨てた。
「宇宙兄、今のどういうこと!?」
由良姫が聞き間違えたかと、顔を歪める。
「曽祖母ちゃんは、近々、ケガレになる」
言い切った宇宙依を、その場にいた全員が凝視した。
「なんで!? だって一族の者がケガレになるなんて、なかったやん」
「それは、きちんと禊ができてたからもある。大きく違うんは、俺も万里依も、ほんで曽祖母ちゃんも眼を持っとることや」
「眼っ!?」
「そうや、眼を持つ異形やからや。異形は、モドキもやけどケガレの影響を受け易いんや」
「せやったら、なんで今まで一緒におったんや!? 早う離れて暮らさな、取り返しつかんでっ!!」
宇羅彦が宇宙依に食ってかかる。宇宙依は静かに言ってのけた。
「ほんでも、芥見には芥見のやり方でケリをつけなあかんねん」
「それは違うっ!!」
由良姫が厳しい口調で、年長の宇宙依をたしなめた。
「それは違う。お母さんなら、きっとそう言う」
由良姫は宇宙依の肩をつかむと揺さぶった。
「宇宙兄、おかしいわ。万里姉も、このまま、家へ行こう。眴ちゃんに視てもらおう」
いつの間にか、二人には眴でさえ一瞬たじろぐほどのモドキが集っていた。
「ババアの気が枯れてきよった証拠や。家の人も他所へ行ってもらおう。俺と由良で結界を張る」
「せやけど……」
まだ宇宙依が承服しかねるのか、何かを言おうとする。
『いい加減、諦めなさい。もう、そなたは十分務めを果たした』
由良姫も宇羅彦も、ギョッとして声のする方を見た。狐のケンが喋っていた。
宇宙依も万里依も遅れて、声に気がついた。その声は御子姫のそれに似ていた。
「お母さん?」
「どういうんかわからんけど、見えとるんや。声も、届く。目の前にいてるんや」
宇羅彦には、理屈はどうあれ、そう感じられるようだった。
狐のケンは、お盆に由良姫や宇羅彦と一緒に御子姫の元を訪れた時、御子姫と誓約を交わしていた。
普通の狐より命を永らえ、御子姫の代わりに目となり声となって、子等に付き従うというものだった。
「今夜や」
宇宙依が低く呟いた。
由良姫と宇羅彦が祓いに行く準備を始める。
万里依と宇宙依は、そのまま由良姫たちの家にいて、眴と待機することになった。両親たちもそれぞれ別の親戚へと身を寄せた。
芥見の者たちは、まさか本家の主人だった曽祖母がケガレへと化すとは思ってもいなかった。
白鴉が状況を伝えにきた。狐のケンが鳴いた。
「行こう、ウーちゃん」
「おう、由良! 行くか」
二人は歩いて、白鴉の先導で、狐のケンを従え芥見本家へ向かった。
到着するなり、二人は家ごと結界を張った。
「なあ、ウーちゃん。なんや、今までのケガレとは雰囲気が違うなあ」
「ああ、ババアはやっぱ強力やな。タチも凶悪や」
白鴉の眼は、力ある一族の者がケガレと化すとどうなるのか、見届けんと見開かれていた。
狐のケンの甲高い遠吠えが響いた。
屋敷の奥で、何者かがうめく声がした。
そこへ、遠くからバイクが近づいてくる音が聞こえた。
「待てーっ!!」
浩徳の叫び声が、バイクの音と一緒に近づいてきた。
「ヒロくんや、ちょっと待っとって」
「先輩、どうしたんすか」
「待て、声や。今日やっと篠さんから連絡来た。とにかく、俺が一緒に行く」
「ほんでも今日はいつもと違ってタチが悪いっす」
「せやからや、おまえら二人とも動けんようになるで」
由良姫と宇羅彦が浩徳を見る。
「そんな……どうしたら」
「俺が一緒に行って、音を音で打ち消すんや。説明は後や、行かなあかんのやろ」
由良姫と宇羅彦が頷く。浩徳も一緒に入るにはどうするか、三人で手短に打ち合わせた。
どのみち、気が枯れた曽祖母からはモドキが降ってくる。
由良姫が三人分の結界を張る。屋敷を覆う結界は、宇羅彦が維持する。
由良姫は、狐のケンに結界の外で待つように言った。
三人は一気に屋敷の奥、曽祖母の部屋目がけて突っ込んでいった。
奥からはケガレ特有の生臭い腐臭がした。同時に黒々とした流れのようにモドキが飛びかかってきた。
よくもまあこれだけ、という量を通り越し、すでに一つの塊だった。
曽祖母は、今まで見たことのないほどはっきりと具現化したミイラとなっていた。
頭部は魚のような鱗に覆われ、眼が爛々としていた。口は、耳があればそこまで届くほどに裂け、細い牙状の歯が並んでいた。
耳はなく頭はもうそれこそ魚の頭部のようで、首元に鰓があった。
全身は鱗に覆われ黒光りしていた。
腕には鰭が生え、指先は鋭く尖り、指だったものの間には膜が張っていた。
『ケガレじゃ……』
どこからともなく、低い声が響いてきた。
『頭に袋を……声が……』
低い声は途切れた。
「ケガレの声が聞こえたら、由良姫、合図しろ、なんでもいいから」
もう一度、浩徳は由良姫に念を押した。それほど、由良姫も宇羅彦もケガレに釘付けになっていた。
今まで由良姫と宇羅彦が対峙してきたケガレとはまったくの別物だった。
それは大昔の、真白様と呼ばれる御子が流れ着く前の、輪響紋衆が贄のためだけに存在した時代に現れた、ケガレの姿だった。
ケガレはどこから来たのか。
無論、大海からに決まっている。
だからこそ、贄のためだけの民が存在した。
それもまた、その人知を超えた力ゆえに起きた過ちであった。
贄の民は、贄として大海へ赤子を差し出した。
そうせねば一族が滅びる。そういう運命、定めを背負わされた。
その運命を背負わせたのは、それがさらなるケガレを生むとも知らぬ、時の権力者だった。
だが、赤子に託された念によっては、ケガレは鎮まるどころか、かえって増えていった。
真白の神が流れ着くまで。流したはずの赤子が、再び大海から戻ってくるまで、それは続いた。
異形の里の長は、どれほどの時を生き続けてきたのだろうか。
長は、ケガレがどこから来るのか、それがいったい何者なのかも知っていた。




