第一話 クリスマスイヴ
「きゅう……救急車……っ!! 救急車呼ばんと」
母親が慌てて電話しようとするのを、万里依は止めた。
「ダメ。これは、罰なの。まずは家の中を片づけましょ」
そういうと、曽祖母を放ったまま、打ち壊された戸を全部取り外し、掃除をし始めた。
曽祖母は晒しを巻かれて寝かされていた。その白い晒しは血の色で染まった。しかし致命傷になるような深い傷はなかった。
曽祖母は、その夜から奥の自室に寝かされたままとなった。
眼が失われたことによるのか、家人にかけられていた洗脳は解かれた。
それと同時に、万里依は己の千里眼の力を正しく使うにはどうしたらいいか、自問自答を始めた。それは宇宙依もまた同じであった。
世の中には、いや一族の中には、考えたこともないほどの恐ろしい者がいる。
本家の主人は万里依と宇宙依になった。
年内に、由良姫、宇羅彦、眴たちは芥見の部落(集落)から離れることとなった。
新居は大学寄りで、緑が多い場所だった。家は中古のリノベ物件で、二階にはそれぞれの部屋があり、一階には狐のケンが走り回れる広さのリビングがあった。
由良姫が最終的にここがいいと決めたのは、リビングからケンが飛び出して走り回れる庭だった。
何より、浩徳の家とも近くなり高校も近くなった。
引越の忙しさにかまけて、由良姫と宇羅彦は、あえて本家に起きた騒動には触れないでいた。
万里依も宇宙依も、身内が起こした最も忌むべき行いに、しばらく合わせる顔もない様子だった。
ただ、年末に近づけば近づくほど、ケガレが関係すると思われる事件も多発していく。
「万里依さんは今、ケガレどころではないと思います。どうやら術の干渉がなくなり、本家の状況に愕然としているところでしょうから」
「そうやな。あの人、くそババアと真反対でそういうんが許せんタイプやし」
「今年の高校一年生のクリスマスは一度きりです。楽しんできて下さい」
引越の荷物の片付けはほとんどなかった。
振り返れば十六年もいたはずの場所なのに、思い出といったら父奏司とのものしかなかった。
「制服クリーニング出すので持ってきて下さいよ」
「ウーちゃん、プレゼント交換の持った?」
「由良姫、差し入れのチキンの袋、忘れてますよ」
「俺、持ってくわ。忙しいのにありがとう」
ケーン! と狐のケンが鳴いた。リビングの大きな窓から、見送る姿が見えた。
自転車に乗って地図通りに向かっていると、途中でクラスメートが次々と合流してくる。
「由良りん! 宇羅彦くん! 引越の方はどお?」
「うん、もうだいぶ片付いたよ」
「なんかめっちゃ家近くなったね、嬉しいなあ」
「遊びにおいでよ。リビング広いからみんなで勉強できるよ」
「なあなあ、初詣一緒に行かへん?」
きゃやんたちが由良姫たちを誘ってきた。
「近くやったらいいと思う」
「近い近い! まあちょっと県内じゃ有名やから、屋台とかも出るし」
クリスマス会に向かいながら、初詣の約束をする。
「初詣か……夜中には行けんかもしらん。昼頃でもええか?」
「うん! そうしよっかあ!」
初詣に行くと言えば、お咎めなしの外泊ができる。
その晩は、除夜の鐘とともに本来なら煩悩を払うはずが、煩悩の海にダイブする者たちが続出する日でもある。
着付けやヘアセットができるよう美容師を待機させるラブホも多かった。
クリスマス会を終えて帰ってくると、家では万里依と宇宙依が待っていた。
眴からだいたいの帰宅時間を教えてもらって来たらしい。
「万里姉、宇宙兄……」
二人はソファから立ち上がり、スタッと座ると土下座を始めた。
「本当にごめんなさい」
「やめてよ! もういいよ」
「そうや、二人とも大事な仲間や」
「それに今回のことは二人の責任やないって聞いたし」
「いや、絶対どこかでおかしいって気づいてたはずなんや」
宇羅彦はうなだれる宇宙依の肩に手をかけた。
「それ言うたら、宇宙兄は教えてくれとった。それなのにブチ切れてなんもせんかった俺も悪い」
「宇羅彦、そないなことあらへん!」
「それだけ、眼の力は怖いって。使い方間違えたらいかん、それでええんちゃうん」
「そうや。由良の言う通りや。俺たちには二人の眼の力は必要なんや。祓いを続けていく以上」
万里依はポタポタ涙をこぼしながら、半分嗚咽で聞き取れない謝罪の言葉を続けていた。
「はい、それで終わりにしませんか。二人ともいい時間ですから、夕飯一緒に食べましょう」
以前は、こんなふうに和やかだった。いつ頃から変わってしまったのだろう。これも、ケガレ祓いの影響なのだろうか。
気を枯らし、心を蝕んでいく。
人の醜さを剥き出しにしていく。
夕食後、宇宙依がおもむろにポツリと祓いの話をしていいか聞いてきた。
眴は食後のデザートでも食べながらどうぞと、カゴに山盛りみかんを持ってきた。
「クリスマスは金土や。多分、バイパス沿いのラブホ街は満室になるやろ。せやで、ちょっと視ようとしたんや」
宇宙依は話の途中で大きなため息を漏らした。
「俺な、視るのが怖なってん。ほんま、情けないって思うんやけど。もうちょっと待っとって」
万里依もうつむいたままだった。
「二人とも精神的な干渉を受けていたんです。ご自身で納得されてからで十分、それで遅くはありません」
由良姫は、どこか遠い眼差しで、何気に呟いた。それはずっと胸にためていたものだったのかも知れない。
「あんな、うちずっと思ってた。なんで、うちらが、勝手に他人が蔓延らせたケガレの後始末をせなならんの」
ケガレがどこから来たのか、何が目的なのか。それさえわかりもしないのに。
「例えばさあ、うちの友達や知り合いや、もし好きな人が関わっとるんやったら、命がけでなんとかする」
そうだ、母御子姫のように。あの人はきっと、ほんの一握りの守るべき人のために結界を張り続けているはずだ。
狐のケンが、ふさふさの尻尾で由良姫の顔を撫でる。
「もしそうやなかったら、一番大事な、万里姉と宇宙兄の気持ちを優先してほしい」
場が湿っぽくなってきたところで、由良姫はニコッと笑うと続けた。
「それにさあ、うち明日のイヴはヒロくんとデートだしっ!!」
「お泊まりだけは、勘弁して下さいよ」
顔を真っ赤にして怒る由良姫に、煽って喜ぶ宇羅彦。新居には笑いが溢れていた。
この地方へ来て、由良姫はほとんど芥見の部落から出たことがなかった。
高校へ入り、その往復の道筋さえ決められていた。真面目な性格なため、寄り道さえ考えたことがなかった。
ただ、大きな川の橋を渡るときだけは、その川の流れが美しく、自転車を降り歩いて渡ることも多かった。
今日のイヴは、近くの川の水族館へ初めて行き、その帰りにロープウエイで山の上から、いつも渡っている川を見ようということになった。
「うわあっ!! うわあっ!!」
どこへ行っても、由良姫は子供のようにはしゃいでいた。
「近くにこんなステキなとこあったなんて、めっちゃもったいないわ。うちの十六年間、いったいなんやったの!?」
「これからあちこち連れてったるで、ええやんか」
外はあっという間に暗くなっていた。遠くに街の灯りが星の川のように見える。
「そろそろ帰らんと」
「最後に一箇所だけ! どうしても連れて行きたい場所があるんや」
浩徳は由良姫にメットを渡した。
バイクは暗いドライブウェイを、展望台へ向かって走っていく。チラリと目に入ってくる風景は、光が夜空に溶けていきそうな感じだった。
先ほどのロープウエイは冬場は早く閉まってしまう。そのため見せられなかったが、ここからなら山の上から街を一望できた。
「どや?」
浩徳がメットを取ってバイクに置く。由良姫もメットを取ると、言葉が出てこないくらい綺麗だった。街が灯りに彩られて、まるでそこだけ別世界のように見える。
「ヒロくん、ありがと……」
浩徳の方へ顔を向けた瞬間、顎をクイっとされ由良姫の唇には、浩徳の唇が重ねられていた。




