第九話 警告と罰
ケガレを祓うべき者が、ケガレを纏うようになってはおしまいだ。
「おばあちゃん、これで帰っていいの? 報告しなくて大丈夫?」
「ええ、もう眼は放たれてるから。闇夜の鴉よ」
美琴たちの車は帰りに、高校生らしい二人が自転車で通り過ぎるのとすれ違った。子供の成長は早いものだと思った。
珍しく狐のケンが玄関で二人を出迎えた。
ケンは白い鳥の羽を土間の上がり框に置いて見せた。
そこへ家の奥から眴が出てきた。
「おかえりなさい。宇羅彦、焼肉でもしますか……」
そう言いかけて、眴は足元の白い羽に気がつき拾い上げた。
──ああ、これは……里長、長の手の……来ているのか? 御鈴殿はもう動かれたのか、なんと頼もしい方だろう。
眴はやっと安堵することができた。
眴がいつもと変わらず穏やかに迎え入れてくれる。
宇羅彦はしっかりと自分の気持ちが通じていることを感じ取っていた。
「焼肉かあ、ホットプレート出してくるわ」
何日かぶりで、家の中に明るさが戻ってきた。
「ケンも食べる? 軽く炙ったらあげるから。生はダメ、バイ菌ついてるから」
食事をしながら、意外にも眴から引越しの話が出た。
「えっ!? マジで? 俺、ブチ切れてて……そんなつもりじゃ……」
「だって、この家はお父さんの思い出がいっぱいだし」
由良姫も続けて、戸惑いを見せていた。
「今だと高校まで自転車で一時間近くかかるでしょう。雪が降ったら大変ですし、それに高校に近くなれば大学も近くなります。どうですか?」
「でも、本家がどう言うか……」
「もう由良姫も宇羅彦も、ここへ来た時のような幼子ではないですし、立派に意見を言い、ものを見る目も養われてきています。そろそろ芥見の庇護から卒業してもいい頃です」
眴には珍しく、本家から離れる意思が強く感じられた。
「曽祖母さんとなんかあったんか?」
「いえね、先日宇羅彦が壊したところを業者に見てもらったんですが、直すより引越した方がいいと言われましてね」
「えっ!? マジ、そのレベルで壊れてんの!?」
「地震きたら倒壊する危険性があるそうです」
そう言って眴は笑った。
その夜、寝ている眴の枕元へ狐のケンがやってきた。
「聞こえるかのう。久し振りじゃな」
その声は紛れもなく、異形の里の長の声だった。
「御子姫殿は私に一任された。眼はどこにでもある。視られる側になるのには慣れておるかのう」
異形の里の長の能力は、人以外の鳥や獣に意識を同調させることができた。
その能力は異形の多い一族ではあったが、中でも誰一人いない特殊なものだった。
以前会った時も、いったい幾ばくの年月を生きてきたのかわからなかった。
「御子姫殿はお怒りじゃ。失望しておられた。そなたにではない。こうもあっさりと信頼を手のひら返すようにされてはのう。しばらく本家には関わるな」
ケンの眼は暗闇で爛々と輝いていたが、それは狐のそれではなかった。
世間はクリスマスまで秒読み、半月もすれば年が明ける。
きゃやんたちはクリスマス会を企画していた。クラスの女子が、自宅の離れの使用を提案した。二十人くらいは十分入れるらしい。
「ねえ、どお? 二年になると理系か文系でクラス分けするじゃん。みんなバラバラになる前に、ちょっと楽しく騒ごうよ!」
学校へ内緒のクリスマスパーティーには、どんどん参加者が増えていった。
「二十三日の終業式終わったら、来れる人から着替えて来てください。住所はココ。プレゼント交換の設定は千円前後でヨロです。飲み物や食べ物は五百円の会費から購入します。当日差し入れ大歓迎!!」
こういう時の女子の企画力とその速さは目を見張る。
四組は同中が多く、普段から集まることが多かったようだ。
「二十三日やったらいいよね?」
きゃやんが宇羅彦へきいてくる。
「何時頃まで?」
「終業式すぐ終わるから、みんなお昼ご飯食べに集まるようなもんかなあ。夕方暗くなる前には解散すると思うよ」
すると万里依から、クリスマス前後はケガレ祓いに出かけるから予定を入れるなと、ギリギリになってから見透かすように連絡が来た。
「眴ちゃん、どうしよう。もう約束いっぱいしちゃってる。前はもっと早く予定教えてくれてたのに、なんやイケズされてるように感じるわ」
「そうですね、今後のこと、正月三が日のこともありますし、鹿野神と猪野神へもどういう指示が入っているか聞いてみましょうか」
由良姫が携帯のSMSを使って一人ずつとやりとりした。
由良姫が送った内容は、『クリスマス二十四日前後、正月三が日、祓い仕事予定ありますか?』
それぞれ返ってきたのは、『ない』という答え。さらに、初音からはこのように返ってきた。
『年末年始の予定を立てたいので、万里依に聞いたところ、クリスマスに仕事とかありえないと言っていました』
宇羅彦と眴に見せた。
「わかったで、すぐ消せ」
宇羅彦は、異形の能力を感じる力に長けていた。それは豪鬼譲りでもあった。
家電が鳴った。不動産会社からだった。
眴は、年内に身の回りの荷物だけ持って引越そうと算段していた。
良い物件があったので内覧の予定を入れていたのだ。それが、一斉にキャンセルの連絡が入ってきた。
「本家が邪魔をしてきました」
「そんな……ヒドい! 結界張るとかしたら」
「この家だけ張っても、結局外に出たらどうにもならん」
そこへ狐のケンが寄ってきて尻尾の毛を逆立てた。
「なに!? ケンちゃん、ケガレの気配でもするん!?」
外から、鳥が羽ばたくような音がした。白い羽が一枚スルッと由良姫の前に落ちてきた。
外からは一斉に鳥が飛び立つような羽音がした。
「ウソ、夜なのに? なんか変。怖っ!! この気配、なにっ!?」
鳥の羽音とともに、気配は遠退いていった。
そして、白鴉は芥見本家へと向かうと屋根に止まった。
途端、まるで大砲が撃ち込まれでもしたように、鴉が群れで本家の家の中へ入ってきた。それも四方八方から、まるで家を取り巻くように旋回し、獲物を探し家の中を飛び回った。
「きゃあああああああっっ!!!」
皆、床に伏せて鴉が襲ってこないよう身を守るので必死だった。
鴉は、本家の主、曽祖母の部屋へなだれ込んでいった。
「うわあああっ!!ひいいいっっ!!ぎゃあっっ!!」
鴉は曽祖母を取り囲んだ。そして、白鴉が一声カアッ! と鳴く。
鴉はその嘴を一斉に向けた。鴉は無言のまま、鳴き声一つ立てない。
いくら振り払おうとも、黒い塊は重くのしかかる。
鴉の群れは家中を矢のように巡回する。家人は皆、床に伏せた。その頭の上を、無数の鴉が無言で通り過ぎていく。
万里依も宇宙依も、ただ部屋で頭を伏せ畳を見つめていた。
まるで黒い鉛の塊だった。怖さはあとからきた。
これだけの鴉がいて、鳴き声がしない。ただ羽音だけがする。
まるで祓いでもするかのように、本家の家の中を巡っている。
万里依は眼の力を使って視ようとした。すると、とんでもない怪物と眼が合う。
「ひいいぃぃぃっっ!!」
その怪物は真上、家の屋根にいた。万里依は瞬時に気を失った。怖いという類のものではなかった。
同じように、宇宙依もただならぬ気配を感じていた。それは畏怖としか呼べぬ存在だった。
鴉はなかなか去っていく気配がない。この土地を祓い清めるように旋回し続ける。他の家々も、一族すべて戸を閉ざし、固唾を飲み打ち震えていた。
白鴉が、曽祖母の前に近づいた。次の瞬間、すべてが止んだ。
「御子姫殿はお怒りじゃ」
曽祖母は声のする方へ向く。
両眼は失われ、血が頰を伝う。深い皺に吸い込まれる。
「眼を武器にした。舌で人を縛った」
白鴉を、なくなった眼の記憶が視せる。叫ぼうにも、ぽっかりあいた口から声が漏れることはなかった。
「一族の罰は、知っておろう。次はもうない」
白鴉がいなくなると、あれほどいたはずの鴉が忽然と夜空へ溶け込んでいった。
それはまるで一瞬の幻のような出来事であった。
家人が気がつくと曽祖母は自室で、無数の黒い羽に埋まった状態で倒れていた。その山に一枚だけ白い羽が落ちていた。
万里依にはその全貌が、まるでスローモーションのように脳裏に刻み込まれていた。まるであえて残された記憶としか言いようがなかった。
「眼は罰により失われた。私利私欲に使った罰じゃ。よいな、しかと胸に刻め」
どこからともなく聞こえてくる声に、万里依は例えようのない果てなき深淵を視た。
声の主は、一族の者。しかし、出会ったことのない化け物だった。




