第八話 芥見本家の思惑
「ここを出て行く」
この冬最初の雪がちらついた日の夜、宇羅彦が突然言い出した。
眴はさほど驚く様子もなく、どうするのかと話を聞いてやっていた。
「ウーちゃんが行くんなら、うちも一緒に行く」
由良姫もまた、あの大爆発の日からずっと落ち着かなかった。
眴もまた、奏司が亡くなってこの方、一方的に束縛を強めていく本家のやり方に少しずつ違和感を覚えつつあった。
本家には、秀でた千里眼を持つ万里依がいる。
こちらが少しでも変わった様子を見せようものなら、すぐに邪魔が入ってしまうだろう。
回りくどいやり方だったが、万が一の時に頼るよう御子姫から指示されていた方法で、美琴と連絡を取ることにした。
今現在は御鈴美琴と名乗っているが、戦人の里にいた頃は響あるいは奏美琴といった。夫の死後、御子姫に暇乞いをして戦人の里から出る際に、神守姓ではなく好きに名乗れと許され、姉の名から字を変え、姓とした。
その美琴が住むのは、全国に何万もの分社を持つ、この国の中でも最古の神社の一つとされる大社の秋宮の近くだった。
眴は所用で外出する時も、絶えず芥見の『眼』を意識し行動し続けてきた。
その一つが点在する大社の分社への参拝であった。特に一之宮にある神社には、何度かに一度必ず寄っていた。
そして、御奉賛金とともに秋宮の美琴へつなぎを取り続けた。
それが途絶えたら、眴が子供たちのことで困った状況が起きており、御子姫への言伝の手立てとした。
その日は、考えていたより早く来た。
美琴のことは、芥見の者たちには知られていなかった。美琴は表舞台には一度も顔を出すことはなかった。かろうじて、鹿野神の大叔母と一度面識があるだけであった。
「奏司さんが亡くなってまだようやく一年経ったばかりだというのに。本当によくまあ、御子姫殿が結界で動けないのをいいことに」
眼を持つ者、特に現世の眼は政治に利用されないよう、響家本家の者たちによって固く管理されていた歴史がある。それはまた、眼の家系を守るためでもあった。
しかし、秀でた能力がありながら日陰の身も同様の扱いに、眼を持つ者は時折、政治に関わる奏家総代に自ら近づき自己顕示欲を満たそうとした。
「眼を持つ家系にはろくな者がいないわね」
結局のところ、眴もまたそうした欲のある者に利用されたに過ぎなかった。
美琴は早々に動いてくれていた。七十になったところだったが、孫の将真に車を出させ一気に御子姫の元へ向かっていた。
高速を飛ばし、西の首都手前で降りれば、五時間ほどで到着する。電話が繋がらない場所なので、直接出向くのが一番早かった。
門の手前で、剛拳と豪鬼が待っていた。車のまま本家まで乗り付けると、美琴は懐かしそうに目をやった。
「御子姫様には、ご健勝にてお過ごしでございますか? 少しお痩せになられたのではありませんか?」
御子姫はにっこり笑って奥へ案内した。
「孫の将真でございます。今では東の首都の会社は人任せにして、皆で山間の湖の近くに住んでいます」
「そうか、皆息災か? 将真はいくつじゃ?」
「三十になります」
「取り急ぎ、書状を届けてくれまいか。それでも直らぬなら、原因はもうわかっておる。私のやり方で罰を与えるだけじゃ」
「どうやって届けましょうか」
「帰るついでにご足労かけるが、ちょっと芥見本家まで寄って直接渡しておくれ」
「かしこまりました。何か御不自由なことはございませんか?」
美琴は取り急ぎ来たので、と言いつつ、秋宮の隣の老舗の和菓子店で塩羊羹を買ってきていた。
「ここからなら二時間半もあれば芥見本家には着くと思います。今日中にお渡しして、私どもはゆっくり帰ります」
「そうしてくれるか、ありがたい。眴と子供らもすぐ近くに住んでおる。眼があるので気をつけて下され」
御子姫はそれ以上何も言わなかった。だが、美琴には、その短い言葉だけで今回の書状がただの苦言ではないことがわかった。
そこへ異形衆の長が来た。
「御子姫殿、こちらも別の眼をつけておきましょう」
「そうじゃのう、そういう手立てもあったのう。すまぬが、長殿お願いできますか」
「美琴殿、芥見本家までは途中から迷路になっておりますので、道案内をつけておきまする」
異形衆の長が一羽の白鴉を差し出した。
由良姫と宇羅彦は、いつも通り学校へ行っていた。宇羅彦の近寄り難いオーラに、クラスメートも、もちろんきゃやんたちもすぐ気がついた。
「由良ちゃん、宇羅彦くん、どうしたん? 今日お昼一緒に食べてくれるかなあ」
「連れてくるから。今日お弁当もってきてへんし」
宇羅彦は、わかっていた。不器用なので、切り替えがうまくできないでいた。最近よく一緒に四組へ行く、ラグビー部の岡江が宇羅彦を誘った。
由良姫は心配していたが、どうやら取り越し苦労のようだった。
「ウーちゃん、きゃやんたち心配してたよ。うちはヒロ先輩とツヤさんとこ行ってくるわ」
どうやら無事、いつも通りみんなで一緒にお弁当を食べるようだった。
それだけ、いつの間にか、宇羅彦にも大切な仲間、友達ができたということだった。それが、宇羅彦を変えていっていた。由良姫もまた変わっていった。
二人の世界は、もう芥見の囲いの中だけではなくなっていた。相談する相手も、逃げ込める場所も、自分たちで選べる道も少しずつ増えていた。
その変化を、芥見の曽祖母は好ましく思わなかったのだった。そして、万里依に監視させるようになっていた。
今まで、子供たちは二人だけで孤立していた。中学まではそうだった。
思惑通り、芥見本家と親族が囲う土地の中に住んでいれば、それだけで孤立させることができた。
高校に入り、他所の土地の者も多くなり、視野も広くなってきた。そこへ鹿野神、猪野神とも交流が始まったため、否が応でも他者との関わりを認めざるを得なくなった。
それは当たり前の人としての成長だった。
それが、芥見本家の曽祖母にとっては、不必要この上ないことだった。
もちろん、本家の万里依にも宇宙依にも、そういう部分は当然芽生えてきていた。その芽を摘んだのは、他ならぬ曽祖母だった。
芥見の曽祖母の眼は、質が悪かった。瞬間的に目と目を合わせただけで催眠状態にし、知らないうちに人を意のままにするというものだった。
宇羅彦が意見をしたことで、曽祖母は眼を使うことに決めた。
「宇羅彦、本家のやり方に異を唱えるんか。こっち見んさい」
曽祖母は宇羅彦に声をかけたが、瞬時に宇羅彦はそれを見抜き、そして逆らった。
すでに万里依は曽祖母の手に落ち、洗脳されていた。
そうして、あの日宇羅彦は爆発したのだ。そのやり方に、宇羅彦の力は暴走した。
眴はまさかそこまで卑劣なことを本家がするとは考えていなかった。眴は曽祖母の眼の力について知らずにいた。
芥見本家へ、美琴が御子姫の書状を携えて到着したのは、午後五時半頃だった。
本家では、いきなり御子姫からの使いだという者が現れ、主へと書状を届けに来たとあって大騒動となった。
美琴は、美鈴の妹だけあって響紋衆としての力もそこそこ強かった。
なので、この家が今どのような状態なのかも一目瞭然だった。
やはり、御子姫が危惧していた通りになっていた。
長居は無用だった。御子姫からも書状を渡したらすぐに立ち去れと言われていた。
美琴が書状を置いて立ち去った後、白鴉は本家から離れたのを確認し飛び立った。
芥見本家では、家の奥で曽祖母が御子姫からの書状を読み、己がしてきたことは棚上げにし、怒り心頭に発していた。




