第三話 ケガレの言葉と声
翌日曜日、篠原が浩徳との約束通りやってきた。
「篠さん、コンクールどぉやった?」
「全国で金賞取ったよ。隣県だけど、うちの高校県境にあるから。多分こっちの県高志望から流れてくるかもね」
「篠さんの革命が成功したんや」
「革命かあ、あはは……」
篠原は県高時代から、音楽部の部長で部内の改革をやってきた。
しかし、一向に改まらない佐藤の方針に見切りをつけ、隣県へ移り音楽教師として就任した。その高校で合唱部を指導し始めた。
三年目にして全国コンクールで金賞を受賞したのだ。快挙としか言いようがなかった。
元々、篠原はこの地方では最難関の県立音大に一発合格している。作曲理論など専攻していた。
絶対音感の上、様々な音を一度に聴き分けられる耳を持っている。
それだけでなく、少し一般人とはかけ離れた感性というか感覚も持っていた。
そのためか、音楽準備室で起きたケガレの事件では、真っ先に部屋の周囲から生徒を避難させたりしている。
「篠さんのこと、由良姫に話したらめっちゃ会いたがってたで」
篠原は、浩徳のバイクの後についてやってきた。
玄関に入ると、狐のケンが出迎えた。
「やあ、相変わらず賢いな。毛並みが美しくなったね」
ケンは冬毛に変わって、尻尾もフサフサになってきていた。自慢げにファサッと見せびらかしているようだった。
眴がわざわざ出迎える。
「今日はお忙しいところ、音の勉強のためにありがとうございます」
「いえいえ、藤吉さんたちには、いろいろお世話になったからね」
「やだなあ、篠さん。こっちがめっちゃ助けてもらったんやん」
「ヒロ先輩と知り合いやとか、ほんま縁があってよかったっす」
そこへ芥見の二人が到着した。
「きゃあっ! ほんまに篠原先輩や!!」
万里依が目をキラキラさせて、篠原の現役時代の伝説を語り始めた。
それだけ、篠原も県高では有名人だったようだ。
なぜか少しバツの悪そうな顔をする篠原。浩徳がおちゃらけてツッコミを入れると、苦笑いしながら小突いていた。
篠原が咳払いをする。喉の調子を整える。
音の話に入る前に、篠原はゆらぎの違う二種類の声を出してみせた。
「心地よいと思った方が、いわゆる『1/fゆらぎを持つ音』というゆらぎの波動です」
篠原の説明はこうだった。
「自然界の音は、フーリエ解析を使えば、それぞれの周波数成分に分けて見ることができます。その周波数を表すのが『f』です」
この記号で表す個々の波動は、それぞれパワーを持っている。
そのfとパワーとの関係を分析すると、ゆらぎの性質は大きく分けて三種類に分類できる。
それぞれ分類された音のゆらぎは、独自の性質を持っていて、生命体の活動に大きく関わっている。
「結構難しいんで、かなり大雑把に分けて、今の話に必要なとこだけ単純化して……」
そう篠原は続けた。
1、揺れがバラバラで破壊的な音、激しい音楽や騒音で、脳に刺激を与え過ぎ、脳神経を疲れさせてしまう音。
2、反対に、あまりにもゆっくりで、非常に規則的な、時計の秒針のような音は、ほとんどゆらぎを持たない音。
3、その中で『f分の1の音』こそが、人の精神にも身体にも良い影響を及ぼすことがわかっている。例えば水の流れる音、波やせせらぎがそれに当たる。
「そして、音の種類によっては、ゆらぎの影響を大きく受けるものがあります。ゆらぎというのは音の中だけでなく、ゆらぎ自体が起こす波動の中にも存在します」
篠原は専門的なことを噛み砕いて説明してくれた。
「その波動が人体に与える影響とゆらぎは無関係ではありません。脳波、心臓の鼓動、血液の流れる音、すべて。それこそ頭の先から爪先まで気の流れなど、ゆらぎによってバランスを保っていると言っていいくらいです」
由良姫が手を挙げて立った。
「篠さん、それって、人も狐もみんな生きてるモンは一緒ってこと?」
「うーん、音に関していえば、そうかな」
「じゃあ、そうじゃない物は? 例えば壁のような」
「そうすると、分子レベルでの話をしよっか、ちょっと待ってて」
篠原は、少し考えながら話し始めた。
「分子レベルになっても、ゆらぎは当然あります。
結界という壁が、どのように作られているかわかりませんが、今ここで出すことは可能ですか?」
由良姫はどの辺りに出せばいいか聞いて、いつも通りの結界を張った。
そこへ向けて、篠原が声量のある声を十秒ほどぶつけてきた。
結界は、微妙な振動を起こした。
「いま、微妙にですが振動を起こしたと思います。
人の声でも振動が起きるということは……」
息を整えて、篠原は続けた。
「本題の、ケガレの言葉と声ですが、ゆらぎと波動によって強固な結界をすり抜けることはできると思います。どんなものにも、ゆらぎはあります。分子レベルでのゆらぎが存在します。結界を張ったからといって、音のゆらぎまではシャットアウトできるとは限りません。そのケガレの発する言葉と声を調べてみないと、なんとも言えませんが」
篠原は、由良姫たちから前もって聞いていたケガレの特徴を思い起こす。音との関係を追求しながら、話しを続けていく。
「録音できたら波動とパワーとの関係性がわかるかもしれません。そして、人体に直接どのような影響を与えるか、特に体内の波動とゆらぎへもたらされる可能性も発見できるのではと思います。頭の先から気の道を通って五臓六腑に至るまで、ケガレの波動が起こす決定的な悪影響も」
「これが一番知りたいことですよね?」
「篠さん、録音してこればええんやな。次回、祓いに行く時してくるわ」
宇羅彦が、ポータブルのレコーダーでいいか聞いた。
「まあ、やってみるしかないよね。なんせ、相手はアレでしょ? 人界のモノじゃないでしょ」
「そこなんだよなあ。ほんでも、基本、宇宙に存在するモンは全部分子っていうか、素粒子から構成されとる。難しいとこ取っ払って言えば、同じ空間に存在すること自体、構成要素は似とるはずや」
浩徳は篠原に詰め寄って話をする。多分、いつもそういう感じなのだろう。
「それよか、言葉と声の関係や。由良姫、説明して。ケガレの声聞いた時の感じ」
「あのな、篠さん。宇羅彦はケガレがうちらと同じように喋ったって言うん。でもうちには聞こえんかった。ただ、ものスッゴい、耳鳴りがしたんや」
「耳鳴り? どんなふうに?」
「よう覚えとらんのやけど、脳ミソつかまれて振り回される感じ」
篠原の表情が曇った。
「うーん、由良ちゃんにはそう聴こえ、たんだ。じゃあ、その場にいた宇羅彦くんは? 言葉に聞こえた?」
「はい、頭痛とかなくて、でも声を聞いてケガレをもらいました」
「うちももらった」
「ケガレをもらうのはどうしてかはわからないし、今はちょっと置いといて。由良ちゃんが聴いた、という音が、ちょっとヤバいかな」
「篠さん、どうヤバいんや? 超音波みたいな波動が脳に及ぼす影響か?」
「うーん、音ってさあ、ゆらぎで物質破壊できちゃうんだよね。波動とパワーの関係で、人の耳には音として聴こえなくてもさ、ゆらぎで由良ちゃんの説明通りのことって起きちゃう。しかも、相手は人外でしょ。けど、宇羅彦くんには影響がなかった。どうしてかなあ」
篠原はジッと由良姫を見つめた。
「その場所にいたのは、由良ちゃんと宇羅彦くんだけで、あとは祓ってるんだよね。じゃあ、やっぱ録音してもらって調べるしか……」
「いる。生き残ったのが、一人。ただ、記憶してるかどうかわからんけど」
「もしかして、松本直美? あの声、その子の声が耳鳴りと一緒にずっと残ってた」
「それは音として? 声としてかな?」
「傷ついたレコードみたいな感じで、同じ言葉と声が延々と続くの。グワン、グワン! って」
「それはまた、しんどいね。ゆらぎってさ、ある一定のリズムである一定のゆらぎを持つ音を聴き続けると、衝動的に死にたくなったりもするんだよ」
「えっ!? 怖っ!!」
「そう、ゆらぎって、物理学の方面では、めちゃくちゃ研究進んでるけど。実は人体への影響も計り知れないからだろうね。その辺は浩徳が詳しいだろうから、後から聞いたらいいよ」
篠原は浩徳へ目配せした。そこで、ふと思い出したように笑った。
「あれ? 君たちもじゃん。科学部物理班でしょ。ツヤさんに聞いたら喜んで教えてくれると思うよ」
篠原は笑いながらそう言った。
篠原の声は心地良い。そのようにコントロールされてさえいるようだった。




