第二話 断髪
父奏司の初盆。母御子姫が結界を護る里で、本来なら十八歳で行うはずだった成人の儀が前倒しされた。
宇羅彦は、サッサと束ねた髪を切り、勾玉を付けた。
由良姫は、腰まで見事にのばした髪を、御子姫から無理して切らずとも良い、と言われた。
由良姫は、憧れる母に似せて小学生の頃から髪を伸ばし、丁寧に手入れしてきた。
御子姫の髪には祓いの力があったが、由良姫の髪は、ただ母を真似たものにすぎなかった。
この時、由良姫はやはり、どうしても髪を切ることができなかった。
成人の儀も、勾玉のネックレスの贈り物も、突然のことだった。
正確には、いつかその時が来ることは知っていた。
しかし、まさか初盆で父と母が揃った、この機会で行われるとは思いも寄らなかった。
そう、心の準備が必要だった。
初盆から帰って来た後、眴もまた、わざと忙しくしていた。そうでなければ、奏司のことを思い出すからだった。
誰も由良姫に、髪のことは言わなかった。
ある朝、ご飯を食べ終わると、由良姫は万里依へ電話をかけた。
「相談があるん。今から行ってええ?」
「どないしたん」
「髪、切りたいの」
万里依は聞き間違えたかと思って、もう一度聞いた。それくらい、その時の由良姫の声は小さかった。
「髪、切るで。美容院連れてってほしいん」
万里依の目は点になった。
「ほんで、切るんやったら、ちゃんとした美容院で切りたいの」
「ほんなら、うちがいつも行ってるとこでええ?」
「そこって、街の美容院?」
「そうや。どうしたん?」
「あんな、うち、男の人は嫌やねん。女の美容師さんでないとイヤ」
万里依は半分笑いながら、面倒くさい注文をつけてくる由良姫に呆れた。
二人は美容院の前で立ち止まり、万里依はもう一度由良姫に聞いた。
「ほんまにええんやな?」
由良姫は無言で頷いた。中へ入るなり、あまりに見事な黒髪にお店の美容師が驚く。
さらに、髪を切ってショートにすると聞き、また驚く。
「髪の毛、送れるように束ねてほしいんです」
女性美容師は、手際よく髪をいくつかに取り分け、ゴムで束ねていく。由良姫はそれをボーッと見ていた。そしていよいよ、美容師が鋏を持つ。
「切りますよお」
ギュッと由良姫は目を閉じた。耳元で、鋏で髪を切る音がする。美容師は何も言わない。束ねられた髪ごと、ジャキン、ジャキンと音だけが響く。
そのたび、頭が少しずつ軽くなっていく。
美容師は切り終えた髪の束をビニールのショッパーに入れ、受付カウンターへ持っていった。その姿を目で追っていた由良姫は、やっと鏡の中の自分と目を合わせた。
まだ現実味がない。
頭を洗ってカットへ移る。細かな毛が落ちてくる。肩にかかる髪の重みがない。
美容師がネックレスを傷つけないよう注意して切っている。不思議なことに、まるでネックレスの紐自体が刃物を避けているようだった。
「あら、髪が長い時にはわからんかったけど、髪の毛ちょっとくせ毛なのね」
美容師はにこやかにヘアスタイルの話をしながらカットしていく。ウルフベースのシャギーカット。当時一世風靡した歌姫のヘアスタイル。
「高校生やったらカラーはあかんね。毛先で遊べるようにしたよ」
最後に美容師が整えてくれる。襟足を少し残した、可愛いウルフだった。
「どお?」
美容師が後ろも見えるように鏡に映してくれる。
「可愛い、かも」
「でしょ、でしょ! めっちゃ似合ってるよ」
万里依が近寄って、頷きながら言った。
「ええやん。その方が、由良姫らしいで」
受付カウンターで切った髪をもらう。お金を払おうとしたら、万里依が先に払ってくれていた。
「うちからのお祝いや」
万里依も由良姫がなぜ髪を切ったのかは、なんとなく想像できた。
その首には、ブレスレットと同じ意匠のネックレスがあった。
二度と外せない、宿命の証。
「さあ、乾杯しようか。何がええ?」
二人はホイップクリーム盛り盛りのカフェラテで乾杯した。
大那と虎雅は、宇宙依と宇羅彦と一緒に、ケガレについてまとめられたリポートを読み解くのに忙しかった。
「宇羅彦は、サッパリしたなあ」
「坊主にしたいくらいやけど、頭のコブが目立つんで、ヤメた」
「そっか、一センチくらいやったか」
宇宙依が、頭を撫でて確かめる。
前頭部に頭皮が被ってはいるが、ツノのような瘤があった。
「それで、虎雅みたいにしたんやな」
「いや……お父さんのヘアスタイルまんま」
「ってことは、眴さんが切ったんか。上手いなあ」
「切りながら、泣かれたわ。初めて会うた頃、そっくりやって」
「せやけど、中身は似ても似つかん」
宇宙依が大笑いした。宇羅彦も珍しく一緒に大笑いしていた。
「今日、由良ちゃんは?」
虎雅が部屋を見渡して聞いた。
「知らん。なんや出かける言うてた」
「へえ、おまえらいつも一緒なのに、そういうこともあるんだ」
大那がふうん、と不思議そうにしながら、続けて言った。
「兄妹といったって、入りこむ隙間もない、ってなあ」
宇羅彦は、どういう意味だと言いたげに、大那を睨みつけた。
「いやあ、宇羅彦、許してやって。こいつさあ」
「いちいち、うるせえんだよ、虎雅!」
「兄じゃない。……俺は、弟だ」
「えっ、そこツッコむ!?」
宇宙依にはウケたようで、一人で笑い転げていた。
「ダンスやってた子にさ、由良ちゃんと同じクラスの子達いたじゃん」
「ああ……」
「全員、おまえ狙いなんだって」
大那がふてくされて、宇羅彦に向かって言った。
「それが?」
「それが? って、おまえなあ」
「俺には由良がいるから無理だ」
その場が、一瞬で静まり返った。というか、固まった。
全員が、真顔で、宇羅彦を見つめた。
「おい、重度のシスコンか!?」
「いや、両親から頼まれてる。由良姫は爆弾」
宇宙依が、話を中断させた。
「ただいまあーっ!!」
二つの声が重なって聞こえた。
「街の美容院じゃなきゃイヤやとか言うで、遅なったわ」
万里依が言い訳しながら、先に部屋へ入ってきた。
その後について、由良姫も何気に入ってきた。
「ええっ!?」
「マジかっ!!」
宇羅彦以外は全員、由良姫の頭を見て大声で叫んでいた。
驚いて叫んだものの、あれほど大切にしていた髪を切った理由はなかなか聞けないものだ。
「髪はすぐに送るから、他に何か送るものあるかなあ」
「もしかして、成人の儀の?」
虎雅が、思い出したように由良姫に聞いた。
「うん。一度、ちゃんと自分で決めたかったから」
「いいんじゃない? 似合ってるよ」
由良姫は照れくさそうに笑った。
「あーよかった。刈り上げてきたらどうしようかと思っとった」
由良姫の残った髪を、確かめるように宇羅彦がさわった。
「やっぱ、アレじゃん。ただのシスコンじゃん!」
大那は、由良姫の髪をイジる宇羅彦を指差して騒いだ。
夏休みも残りわずかになった頃、由良姫は久し振りに高校へ行った。
猪野神の二人がいる間に、奏司から託されたリポートを、宇羅彦たち全員で読み解いていた。その目処がついたからだった。
「長いこと休んですみません」
マスコットは着色後の仕上げで、防水剤を塗っていた。
「うっす! お疲れー! 髪の毛、気をつけろよ、防水塗装しとるで」
返事をして、由良姫は作業に混ざりに行った。
休憩時、日陰に移って浩徳から、なんとか今日中に仕上げてしまえないかと考えてる旨の話があった。
「昼間は無理やで、夕方来れたら頼むわ。で、今日で終いにしよまいか」
「せやなあ、夏の宿題残っとるん、写し合わないかんし」
「おいおい」
「休み明けすぐ実力テストあるで、体調整えとかんといかんやろ」
汗を拭こうと、由良姫が麦わら帽子を取った瞬間、浩徳が大声を上げた。
そこにいた全員が、大声とともに指差す方を見た。
「あはは……あ、暑さに耐えきれず」
「ウソやろ!? 俺のせいか!?」
「ええっ!? どうしてですか?」
浩徳の、俺のせい発言で休憩中、その話題で持ちきりとなった。
「やっぱ、アヤシイと思っとったんだよな」
「そーそー、結構構ってたよね、なんちゃって」
「でも、いんじゃね? 髪切って、可愛くなって」
「おっと、ライバル登場」
由良姫は水飲み場へ来ると、頭から水をかけた。
「気持ちいーっ!」
「だろ? 暑い時はコレに限るよな」
由良姫が頭を上げると、浩徳からバスタオルが飛んできた。
「使っていいよ」
「ありがとうございます」
髪を拭く由良姫に、浩徳は謝った。
「悪ぃ、なんかアホなこと言って。おまえ、倒れるまで、髪の毛束ねて帽子に入れとったし。そんな大事にしとったのに、急にどうした?」
「ソレです! 束ねて入れてて、暑かったんです」
「ほんまか?」
頷く由良姫に、浩徳はそれ以上何も言わなかった。
いきなりTシャツを脱ぐと、水場に頭を下げて背中から水をかけていた。
「どうや。完璧な土方焼けや」
浩徳は笑いながら、びしょ濡れの上半身で力こぶを作ってみせた。
由良姫はバスタオルを手に持ったまま、どうすることもできず待っていた。
「あ、悪ぃ。なんも考えとらんかった。サンキュッ!」
そう言うと、浩徳はニカッと笑って手を差し出した。日に焼けて真っ黒な顔に白い歯が印象的だった。
由良姫はタオルを渡すと、浩徳の手がニュッと伸びてきた。大きな手が、由良姫の濡れた髪をワサワサとさわる。
「もうちょっとしっかり拭いとけよ」
由良姫は一瞬のことに驚いた。タオルを首にかけたまま、Tシャツを水で洗っている浩徳を見つめていた。
由良姫は浩徳に触られた髪に、ソッと触れてみる。
──嫌じゃ、なかった?




