第十話 初盆
由良姫と宇羅彦にとって、父、奏奏司の初盆だった。
鹿野神の二人は、それぞれ家へ帰った。
大那と虎雅は、眴の提案で由良姫たちと共に御子姫の住まう里へ向かうことになった。
狐のケンも一緒だった。
そこはかつて、輪紋衆と響紋衆の若い戦人で溢れていた里だった。
里の入り口では、豪鬼と剛拳が待っていた。
もうここは、入るのに国の許可が必要な場所となっていた。
豪鬼は助手席に座っていた宇羅彦を、愛しそうにガシガシ頭を撫でた。剛拳は丁寧に頭を下げ車が入ると門を閉めた。
車は、一番奥にある大きな屋敷に入っていく。
すでに盆の迎え火が終わっていた。高速の途中で事故があり、到着が遅れてしまっていた。
「御子姫殿、到着が遅れ、お盆の迎え火に間に合わず申し訳ございません」
皆が立って話している中、一人だけ丁寧に膝をついて謝る眴に、ふわっと手を伸ばし抱きしめる者がいた。
「こんな時まで、律儀なんだな。相変わらずでいてくれて、安心するよ」
その声を聞いた瞬間、眴の頰を涙が伝っていた。
「どうして……」
腕の中にいる。温かい。
声も、匂いも、記憶にあるままだった。
「初盆ゆえのお取り計らいだ」
御子姫が静かに言った。
奏司は最後の戦人として葬られた。その初盆だった。
戦人として葬られた者は、初盆に限り、生前の望む姿で帰ることを許される。
奏司は迎え火とともに里へ帰っていた。
真っ先に御子姫の元へ向かったという。御子姫と豪鬼、剛拳との再会を終え、結界の状況まで聞いたところへ由良姫たちが到着したのだ。
そして、長年連れ添った相手の眴も。
眴はもう二度と会えぬと思っていた人との再会に、人目をはばからず抱きしめると泣き崩れていた。
初盆ゆえのことなのだと知った。送り火を焚いたら消え去る幻なのだ。
それでも、十分だと思った。
もう一度、こうして肉体を伴って会えるのなら。
もう一度だけ、抱きしめ合いたい。
それは由良姫も宇羅彦も同じであった。
ただ、眴の姿を見て、どれほど眴が父奏司を愛していたかを知った。その分、どれほど自分たちを大切にしているかもわかった。
御子姫は唖然として取り残されている、猪野神の大那と虎雅に声をかけた。
「猪野神の、よう来た。いくつになる?」
「虎雅です、十六です」
虎雅は、にこやかに御子姫へ笑いかけた。
「ほう、猪野神にも、肝の座った良い男がおるのう。奏司に初めて会った時に似ておる」
「一緒にいる髪の色の明るい方は?」
「大那、同じく十六、です」
「ほう、こちらはこちらでまた、豪気な良い男じゃのう。由良姫の……」
そう言ったところで、御子姫は突き刺さるような視線を感じた。すぐそばにいた宇羅彦からだとわかると、笑い飛ばしておしまいにした。
由良姫は無邪気に、御子姫に何度もお母さんと言って寄っていた。宇羅彦はそれを遠くから眺めていた。
そんな宇羅彦は、父である奏司と、実父である豪鬼と、話すことがたくさんあった。これから自分は、鬼としてどう生きていくべきか。
そして、これからのケガレの祓いについて。
眴に言えば、政府側へ提出前のリポートはすべて残っている。手分けして、皆で読むよう伝えられた。
「奏司さん、いいのですか。まだ、若すぎませんか」
「いや、もう時間の問題だ。今から認識を改めておいた方がいい」
「眴……側で子らをみていてくれるおまえには悪いが、そう余裕はなさそうじゃ。まずは今夜ゆっくり、奏司と二人きりで話して参れ」
「何を……御子姫殿……」
奏司は嬉しそうに眴に寄り添うと、奏家本家があった方へと歩いて行った。眴には、その日の奏司には抗えなかった。
これもきっと、短い盆の三ヶ日で、何かを伝えなければならないからだろう。
そうして短いがゆえに、二人きりで過ごす濃密な最後の時を、御子姫は奏司と眴に贈った。
「こうしてもう一度、元気な頃のあなたに会えるなんて……」
「あなたとかじゃなくて、今夜こそは、奏司と呼んで」
眴と奏司は、かつて共に過ごした部屋で、時を越えたように抱き合っていた。もう今は、しきたりのない時代になっている。
「奏司……」
お互いに何度も、奏司、眴と名を呼びあった。
その夜、二人は長い時間を取り戻すように寄り添った。
言葉にできなかった想いも、触れる温もりも、静かに確かめ合った。
もう時間は多くないと知りながら、それでも二人は朝まで離れなかった。
二人は、最後に大切なことを話し合った。二人で育ててきた由良姫と宇羅彦のことだった。
「宇羅彦は、もう気づいているようです」
「父親のことか」
眴は頷いた。
「だからでしょうか。あの子は、自分が由良姫を守るのだと言っています」
奏司はしばらく黙っていた。
「そうか……まるで豪鬼のようだな」
「ご自身の素性も……」
「ちょうどいい、時がない。初盆中に由良姫と宇羅彦に、はっきりさせよう」
「何を、ですか」
「決まりきっている、己らの宿命を、だ」
鬼の形相の奏司を、眴は抱きしめていた。
そのために、あなたは返ってきたのかと言わんばかりに。
「ああ……奏司……さん」
お盆の最終日、送り火の前に、由良姫と宇羅彦は揃って、御子姫と奏司に呼ばれた。
御子姫の手には、本来なら、十八歳の成人の儀で渡されるはずの贈り物が携えられていた。
「奏司と話し合って、少々早いが贈ることにした」
由良姫には紫翡翠の勾玉細工、宇羅彦には黒縞瑪瑙の勾玉細工。ネックレスの革紐には、それぞれ鹿野神と猪野神の細工が施されている。一度結んだら決して外せない。
「二人に言い渡す。この勾玉はご先祖じゃ。これをつけるということは、そういうことじゃ。母にも父にも、どうしてやることのできぬ宿命に身を投じるということじゃ。良いのか……」
御子姫の声は震えていた。
最も忌むべき道へ、子らを突き落とすのだから。
それなのに、由良姫は事の大事さがわかっているのかどうか。
これほど晴れやかな表情があるのか、というほどの満面の笑みであった。
「お母さん、私はやるよ。生き抜いてみせる、あなたのように」
由良姫は細く小さくなった母、御子姫を抱きしめた。
──私は、大丈夫。あなたが、いたから。忘れないし。あなたはここにいる。
父奏司が帰った初盆に、由良姫と宇羅彦は、本来なら成人の儀で渡されるはずだった勾玉のネックレスを受け取った。
最後の奏家総代として、猪野神の二人とも多く語り合った。
何より、眴が預かった多くのリポートを読む許可が下りた。
由良姫と宇羅彦を中心に、若い輪響紋衆による地上での戦いは、すでにゆるやかに始まっていた。
それが、いよいよ本格的に動き出す。
最後に眴は奏司に聞いた。
「本当にこれで良いのですか?」
「動けぬ大人たちより、子らを信じてみよう」
「行く末が同じならば」
「行く末が同じでも、そこへ至る道は変えられる」
「ひとときなり、変わるなら」
奏司と眴はもう一度、最後にしっかり抱きしめ合った。
「大したものです」
「だろう?」
奏司はニッコリと笑った。瞳の奥には、厳しさが残っていた。
こうして、父奏司の初盆は終わりを迎えた。
焙烙の上で、パチパチと乾いた音とともに白く煙が立ち上る。
送り火の中、奏司は振り返り、微笑んで姿を消した。
紫の空の向こうには、常世の大河がぽっかりと大きな口を開けていた。
結界の内側で、蠢めくケガレの咆哮が聞こえてくるようだった。




