第九話 『ザ・祭り』前夜祭②
今回の祓いは、神守我央にとっても進退を問われる可能性のある、非常に厳しいものとなった。
モドキによる気枯れでミイラ化した者も、かつては人の言葉を話した。だから祓いの対象ではなく、まだ人として扱う。それが従来の通念だった。
だが近頃は、声を発しても言葉とは解せないものが増えている。それでも、何かを伝えようとしている以上は人だと主張する勢力が、今なお根強く残っていた。
これは政治だ。
すべてが。
それらを一人でねじ伏せていた奏家最後の総代が亡くなった。ケガレに対して国は混乱を来たした。
奏司は死後に備え、ケガレに関する資料をまとめ、時の権力者であった与党の副総裁へ託していた。
ところが、その人物が急逝してしまった。舵取り役を失った与党はあっさりと過半数を割り、国政は混迷した。
時は、湯水のように金が沸いていた時代は終わり、国は斜陽へ向かっていた。
神守我央は、いわば犠牲者だった。
突然として響家と奏家は、声明を出した。
『常世のケガレを封じるため、今後、現世には一切関わること出来兼ねる』
それでも、最後の奏家総代、奏奏司は病床にありながら、最後まで御子姫と異形衆を護り抜くため命を賭した。
「それで終わりにしてくれ」
時の権力者と交わした念書は、今も御子姫が肌身離さず持っている。
御子姫と刺し違えることは、国の滅びを意味した。
神守我央は、年の離れた兄たちを尊敬していた。
それは随分と後になってから思い出したことだった。自分自身の記憶の中には薄っすらと夢のように残っていた。
自分が輪紋と響紋を併せ持つことで、ケガレによる魂の蝕を祓ったことを。
我央には、生まれた日の記録がない。
母が刑に服していたことも。出産後は御子姫が引き取ると決まっていたことも、生まれた瞬間に初の二つ紋だと判明したことも、すべて後から知った。
出生の記録は故意に消されていた。利用するために、我央という存在そのものが隠されたのだ。
神守へ引き取られた日の記録さえ残っていない。
幼い我央にも、自分が特別扱いされていることはわかった。
そこにあったのは愛情だけではない。値踏みと、恐れと、計算。大人たちの視線の奥にあるものを、我央は敏感に感じ取っていた。
だが両親は違った。露骨に利用することはなかった。
むしろ怯えていた。影にいる者の存在に。
失敗しないこと。目立ちすぎないこと。隙を見せないこと。
それだけが我央を守る方法だと信じ、両親は完璧であることを求めた。
母は、ときどき悲しそうな目をしていた。
産みの親が出産後、我央を抱いたのはほんの短い時間だったという。
それでも、名だけは残した。
「我央」
央という字は、首かせをはめられた人の形から生まれたと、後に知った。
人の中心である首を押さえる象形。
中央、真ん中、制する位置。
──我を制する者であれ。
利用される運命にあるなら、せめて、自分の我だけは失うな。母はそう願ったのだと聞かされた。
我央は、その名を皮肉だと笑ったことがある。生まれた瞬間から存在を消され、利用するために囲われた自分に、これほど似合う名もない。
だからこそ、意味を奪い返した。
首を押さえるのは他人ではない。自分だ。
感情を暴れさせない。怒りを顔に出さない。恐れを悟らせない。
我を制する。それは鎖ではなく、我央の武器だった。
それは運命ではない。選択だ。
「あなたはあなたでいい」
そう言いながらも、完璧を求めるしかなかった人たち。
両親は悪くない。役割を背負わされただけだ。
兄たちも同じだった。誰よりも秀で、誰よりも背負わされていた。
だから我央は決めた。
弱みは見せない。内心は明かさない。失敗はしない。それが我が身を守ること。
我が身を守ることは、一族を守ること。御子姫を守ること。兄たちとの絆を守ること。それは、二人の残した誇りそのものだった。
「俺がやるしかない」
それは犠牲ではない。誇りだった。
我央は、すでに今夜の方針を決めていた。
ホテルの部屋へ突入した時点で、すべてを祓う。
それがミイラ化であっても、いずれわずかな時間差で、どうせケガレへと変容してしまうのだから。
それならば、人手が足りない分、人間の犠牲者が少ない方を取る。
答えは明確だった。
新プリのセミスイートでは、パーティーへ招かれたチームメンバーの女子、エリとアイが大きな声で騒いでいた。
「もっと、もっと!」
彼女たちが可愛らしい声を上げるたび、部屋中の人が吸い寄せられるように集まってきた。
部屋には男だけでなく女も大勢いた。
男たちは滅多にお近づきになれない、本物の女子高生二人には甘かった。
他の女子たちも高校卒業してはいても、そこそこ名の売れたグラドルだったりした。
皆、エリとアイから発せられる、モドキの臭いのせいなのか。理性を失ったようにバカ騒ぎを続けていた。
セミスイートの空気は、やけに甘かった。それはこぼれ落ちた炭酸ジュースの甘さだけではなかった。
息を吸うたび、舌の裏に腐った果実のような味が残った。
「ねえ、もっと盛り上がろ?」
肩に触れる指先は軽いのに、どこか離れない。目は潤んでいるのに、光がない。
男も女も、その笑顔に吸い寄せられるように円を作る。
拍手、歓声、乾杯の音。
その中の一人がグラスを落とした。拾おうともせず、青白い指を震わせながら笑い続けている。頰はわずかに窪み始めていたが、誰も気に留めなかった。
けれど笑い声は少しずつ高く、細く、同じ調子で繰り返されていく。歓声も拍手も、次第に一つの生き物の呼吸のように揃っていった。
まるで誰かが裏で糸を引いているかのように。腐った魚に似た甘い匂いが、ゆっくりと部屋を満たしていた。
誰一人、おかしいと思わないのが不思議なほどの光景。
鏡の中だけが、その異常さを知っているようだった。
部屋の外まで聞こえてくる狂乱の声。
それと同時に、モドキが発する腐った魚のような臭い。腐臭はそれだけ、モドキが巣喰って、気を喰らい尽くす証でもあった。
「中の様子はどうだ」
我央に聞かれ、視ようとした瞬間、眼を持つ者は嗚咽を漏らしていた。
あまりのことに言葉を発することもできなかった。
「まだ、行かないのですか」
現世の眼を持つ、神守玲は口元を拭いながら聞いた。
「今なら、まだ人として残っている者もいます」
「だから待つ。もう少し待てば、全員確実にミイラ化するだろ」
我央は扉の向こうへ目を向けた。我央には、眼を持つ者を頼らずとも、部屋の中で起きていることが手に取るようにわかった。
それだけ、十五の歳からケガレになる者たちを見続けてきたのだ。
「玲、もう下がってもいいぞ。足手まといだ」
「ですが……」
「おまえは物見も先見もできる。貴重な戦力だが、ここからは我々祓いをする者で足りる」
玲は後方へ下がっていった。エレベーターを使えないよう止める。
扉の向こうから、甲高い笑い声が響いた。その扉からモドキの黒い影が覗く。
結界を張る者が二人、突入の準備を始めた。我央は指先へと術の力を溜めていく。
かつて、奏司を魂の蝕から救った術で、十人近い人がケガレとなるのを待ち、容赦なく消し去ろうとしていた。
「行くぞ」
我央が扉を開けると、一気にモドキが降るように向かってきた。
「宿主が気枯れを起こした証拠だ」
気兼ねなく我央は術を繰り出した。大きな光が、ドス黒い塊を呑み込んだ。
「やはり、さすがに……」
我央は今度は先程より一際大きな光を作り出すと、中途半端に祓われた状態のミイラたちに向かって術を放った。最初、その光に呑まれた者たちは、誰一人異変に気づかなかった。
エリの口元は変わらず笑っていた。ただ、頰だけが乾き、眼窩が落ち窪んでいた。しかし、次に術の光を浴びた途端、ジュウッと気枯れた部分が音を立てて崩れた。
その瞬間、部屋中に人の臭いが戻った。
「ぎゃああああああっっ!!」
「いやあぁぁぁぁぁっっ!! 」
「おかぁさん、たすけてぇぇぇぇぇっっ!!」
断末魔の声が響き渡る。
それはいつまでも耳に残りそうな、若い女の悲鳴が尾を引いていた。
『ザ・祭り』は何事もなかったかのように、翌日から三日間続けられた。
東高のダンスチームは、二日目午後四時頃からの出場順だった。その前に全員で東高に集まり練習をした。
その時、なぜかダンスのフォーメーションがおかしなことになっていた。
いたはずの人間が突如いなくなったことで、ダンスのフォーメーションを変えざるを得なかった。ところが、誰も不思議がることもなかったのだ。
「あれ? こんなフォーメーションだったっけ?」
「ちょっとおかしいから、直すぞ」
ミツ先輩とアキ先輩がチームの中に入って、あっという間にフォーメーションの組み直しが行われた。
ケガレとして祓われた者は、どうやら存在自体がなかったかのように認識される。
大那と虎雅だけは違った。
あの二人は昨夜祓われたのだと、悟った。
ミツ先輩もアキ先輩も、この中の誰よりこの夏近くにいた。それなのに、こんな風に記憶から抜け落ちていくのか。
大那と虎雅は、改めてケガレと化すことの無情さを形として見た気がした。
そうなのだ。祓う側の者たちには、しっかりと祓った記憶として残っていた。その体験がトラウマとなり、祓い自体ができなくなる者も少なくなかった。
今回の祓いもその一つとなるところだった。
神守我央は、今回の祓いに関わった全員に向かい冷徹に言い放った。
「ケガレの陽動に乗せられてどうする。断末魔の悲鳴など、いくらでも作り出せる。相手はケガレだ」




