第七話 眴の常世の眼
「なんや、倒れたって? 気ぃつけなあかんえ」
「風通しええとこで、氷枕して寝てたら」
眴が由良姫を連れて帰ってくると、初音と凛華はせっせと夏休みの課題をやっていた。
その奥の座敷では、宇羅彦が布団を敷いて待っていた。
「熱中症やって? 気ぃ失うたんか」
由良姫を寝かせると、作っておいた氷嚢を渡す。宇羅彦が由良姫の首筋や頰に触れる。
「どれくらいの間とか覚えとる?」
「うん。ちょうどヒロ先輩が……」
その名前に、宇羅彦が珍しく表情を変える。妙な波長を出す、初めて見るタイプの人間だった。
眴が氷枕を作って持ってくる。眴の様子を見ると、どうやら落ち着いたようだった。
「その人がどうしたんや」
宇羅彦が由良姫に聞いた。由良姫はそのままを話した。
「気ぃ失う直前、抱きとめてくれて、多分そのまま保健室……」
「そうか。その人がちょうどおったんやな」
頷く由良姫に宇羅彦は笑いかけた。その顔を見て、やっと由良姫はホッとしたようだった。
小さな頃から何かあると、眴は普段見せない態度が出る。厳しかったり、過度に心配したり。それを全部打ち消してくれたのが宇羅彦なのだ。
宇羅彦はいつも隣に、守るようにいてくれた。
「ウーちゃん、心配した?」
宇羅彦は由良姫の額に手を当て、少し息をつく。黙ったまま、宇羅彦は胡座をかいてすぐそばに座っていたが、いきなり由良姫へ軽くデコピンした。
「いったあ……」
その様子を、隣の居間から初音と凛華が伺っていた。どうやら、由良姫が気になって宿題も上の空のようだった。
「これ一冊丸っと訳せやて、鬼かって思うわ」
英語で書かれた小冊子を持って凛華が、ため息交じりで大声で話す。そこで何かに気づいたように、ハッと息を呑む。宇羅彦が振り返って凛華を見る。
バツの悪そうな表情を見せる凛華へ、やさしそうに微笑みながら眴が話しかけた。
「いいんですよ。凛華さん気にしなくても。あとで、お話ししましょうか。由良姫が落ち着いたら」
宇羅彦が座り直し、由良姫がその向こうから顔を出す。
「私は常世の眼をいつも閉じています。眼帯の下は閉じたままなんです。この眼は人の目の奥を覗くことで、モドキが巣喰う様やケガレによる蝕を視ることができます。外からも大雑把にはわかります。ただ最近は、現世のモドキが多すぎて、開けていると影響が大きいんです」
眴はそう言いながら眼帯をはずすと、普段は閉じている眼を初音と凛華に見せた。
その眼は、角膜も結膜も漆黒と言ってよかった。
「うわあ……初めて見た」
眴は驚く二人に笑いかけた。そうしてまた早々と眼帯を付けた。
「先日は、閉じていた眼が勝手に開いてしまったんです。眼は、変容の瞬間を視るためのもの。そこへ一気にケガレの瘴気が流れこんできて、鬼化しかけたわけです」
「なんやようわからへんのやけど、鬼化って、鬼になるってこと?」
凛華が、一番聞きにくいことをズバッと切り込んできた。
「そうですね。私自身もなりかけたのは初めてです。常世の眼は、邪視、いわゆる邪眼なんですよ。使わない方がよいものなんです」
「使ったら、どうなるん? いつも視てくれとるやろ、うちらのこと」
由良姫が心配気に、身を乗り出して聞いてくる。
「由良姫は、奏司さんに似て、耐性は非常に高いんですが、モドキに憑かれやすいんです。仕方がないでしょう。最近はなくなったので安心しています」
「お母さんにもらった藤の花の香水つけて行くもん、いつも祓いに行く時は」
「鬼化には、藤から作った薬が効くって、確か聞いたことあるわ」
凛華が得意げに響家に伝わる薬の知識をひけらかす。いつもなら初音は、そういう凛華へ嫌味の一つも言うところなのに黙っていた。
それよりも初音には、気になることがあるようだった。
「そうですね。丸薬は昔からあります。私も持ってますよ。これは山藤から作るんです」
そう言って、眴は残り少ない丸薬を見せた。眴の丸薬は異形の里長の特製だった。それでなければ、常世の眼には効かない。
丸薬は芥見にもあった。だがそれでは、眴の鬼化は抑えられなかった。
「山藤は、ほらそこの玄関前に棚がありますよ。毒があると言いますから、まあ花には毒はないとはいえ気をつけて下さい」
初音は上手に話題を逸らしていく眴を黙って見ていた。初音は母の唱から、響家の異形には鬼化する者がいることを聞いていた。
鬼化と言っても様々である。眴の鬼化も、もしかすると特殊な能力があっても制御できていないだけなのかも知れない。
今回、眴は閉じていた眼が勝手に開いたと言った。本当にそうだったのだろうか。何か視なければならないものがあったのではないのか。
それを視たが故に、鬼化しそうになった。
眴は何か肝心なところを話していないように、初音は感じた。
「さあ、由良姫。今日は炎天下で疲れたでしょう。お昼は食べられそうですか?」
首を振る由良姫へ、眴は自室へ戻って一眠りするよう促した。
由良姫がいなくなると、宇羅彦が初音や凛華たちが勉強をする居間へ移ってきた。
凛華の英訳を手伝おうと、冊子を手に取ったところで、初音が戻ってきた眴へ話しかけた。
「あの、眴さん。何遍も堪忍やけど、この前何を視はったんですか」
「と言いますと?」
「さっき、眼は変容の瞬間を視るためのもんやて。うち、響家の異形の話は母から聞いてます。眴さんは、芥見姓を名乗らはってるけど、元は響家筋と違いますか?」
「そうですか。唱さんは、そんなことも初音さんへ教えられてるんですね」
眴は感心した素振りを見せた。初音の顔は、納得できるまで離してくれなさそうだった。
「初音さんは、何がお知りになりたいんですか。この前、私が視たものについてですか」
「眴さんは、常世の眼が勝手に開いたって言うてはったやないですか。ほんまは、何か視なあかんもんがあったんと違いますか。そやから、ほんまは眼を開けたらあかんとこで開けて視たさかい、鬼化しそうになったんちゃいますか」
気が急いて、初音は思わず言葉遣いまで崩れた。
「なんや、眴さん。肝心なとこ、話してくれてへんように思えて……」
凛華がキョトンとした顔をしている。宇羅彦はそれを見て安堵していたが、次に話し始めたことを聞いて、やっぱり侮れないと思った。
「眴さんの鬼化は、眴さんだけのもんとちゃうん?響家の鬼化って、御子姫さんみたいなんが本筋やて、うちお母ちゃんから聞いたえ」
「そうですか。言葉さんがそんなことを。それで、お二人は私の何がお知りになりたいんですか」
初音も凛華も黙った。眴は終始にこやかに応じていた。
「おやつをお持ちしましょうか。ちょっと頭を休めて、何でも聞いて下さい。この前の祓いは特別でしたからね」
眴がおやつの用意をしている間、初音と凛華はお互いの疑問をすり合わせていた。
「あんなあ、だいたいうちが先に聞いてんのに、なんで凛華は割り込んできはるん」
「うち、そんなつもりなかってん。ごめん」
「じゃあ、うちが聞きたいこと、眴さんに聞くけど、それでええんやな」
「いいも何も、うちは疑問なんかあらへんもん。初音の好きなようにして」
だいたいいつものお定まりパターンで、二人のやりとりは収まっていた。そこへ眴がおやつの葛饅頭を持ってやってきた。
「あ、そいつやったら俺も食う」
ここの葛饅頭は葛の厚みがあってプルルンとしていた。宇羅彦が好物なのはわかったが、大口開けてピンポン玉大の饅頭をつまんだ指先から口の中へ落とすのを見て、初音と凛華は唖然とした。
「そうそう、何を視たかでしたね。その前に、お聞きしますが、お二人があの日、祓いに行った先のケガレはどんなものでしたか」
二人とも、すぐには言葉が出てこなかった。
「うちが虎雅と祓った方は大人二人、多分両親やと思う。子ども二人は寝てたけどモドキがぎょうさん憑いとった」
「うちは大那と一緒で、三人分やった。三人とも大人やったけど、どういう繋がりかはわからん。考えてもしょうもないことは考えるなって」
「そうでしたか。初めての祓いなのに大きかったでしょう。その変容を視ていたんですよ。必ずどのケガレにも核になる者がいました。以前は一人でケガレになっていた。次には二人でケガレになっていたが、大きさは等倍程度だった。その次に二人でも核になる方がもう一方を取り込んでいた。そこへモドキが群がってもっと大きくなる。これはですね、常世の穢と似ているんですよ。大きくなり方が」
そう言って、眴はため息を漏らした。
「それって大変なことなん?」
初音が恐る恐る聞いた。
「そうです。最後には、御子姫殿でも戦ができぬと封じてしまわれた、常世の穢の変容と酷似してきているんです」
「もっとケガレは大きゅうなるっていうん?」
眴は静かに頷いた。
「これって、話してもええのん?」
「そうですね、ご両親までなら。そのうち猪野神の二人と、芥見の二人へも話すつもりでした。でも他所へは言わないで下さいね」
初音も凛華も事の重大さに今は引っ張られていた。初音は、自分の勘が間違っていなかったことだけは確信していた。




