第六話 夏の陽炎
お盆が近づいてきた。
田舎なので、お盆になると親戚が集まって一堂に会したりする。当然のことながら墓参りや盆供養で、半数の生徒は家のことで忙しくなる。
マスコット作りも急ピッチで進められていた。
由良姫が水場で作業をしていると、涼やかな声で呼ばれた。
「やあ、藤吉さんだったよね。なんか、雰囲気変わった?」
音楽部OBの篠原だった。相変わらず、爽やかに笑う。
「あ、どぉも! お久し振りです、その節は……」
篠原は「アッハッハ!」と、本当におかしそうに笑い飛ばした。
「いやあ……マジで、あの時は助かったよ。まさかだったよね。前より倒れてる人増えてるし。日曜で養護いないし」
笑い続ける篠原に、由良姫はつられて一緒に笑った。
階段の怪、の真相がわかったその朝、音楽部は大変だった。
「ほんと、君たちいてくれてよかったよ」
「だって、もう! やるしかなかったし。秘密ですよ! うちらもまだ合宿日数残ってたんで。出血大サービスってことで」
「ああ、約束ね。君たちとは、なんだか、持ちつ持たれつだし」
そういえば、あの日も日曜だった。立て続けにケガレが発生し、音楽部の方は篠原に助けてもらった。
そして、あの朝。呪いのように部屋を回り続けた女子と、呪いをかけられたように部屋で倒れていた人たち。
由良姫は思い出して、クスッと笑った。それを見て、また釣られて篠原も笑う。
「うん、笑いって、笑うことって、大事だと思うんだよね。笑い飛ばすしかないことってあるじゃない」
「今日も練習の監督? 自分の学校の方は?」
「うん、このあと。俺の方はさ、エンジョイ派なんだ。それにさ、なんかずっと続いてるでしょ、結局。なんとかしたいんだよね、こっちを先に」
「そっかあ。篠さんも大変やね。やることいっぱいやん」
篠原はまた笑い飛ばした。
きっとこうやって、笑い飛ばしながら向き合ってきたのかもしれない。
篠原と仲良くなるにつれ、由良姫は篠原のイメージがどんどん変わっていった。今目の前で大口開けて笑っている篠原が、本来の彼なのだろう。
「藤吉さんが心配するようなことは起きないよ、当分ね。あれからOBOG集まって話し合ったんだ。さすがに先生もね、この問題続きはヤバいって思ったんじゃない?」
「ほんまに? それは良かったあ。もう溜まり場やったし」
一瞬、由良姫は言い過ぎたと、構える。それを見た篠原は由良姫の頭をポンポンッとして、今買ってきただろうスポーツドリンクを渡した。
「えっ、いいの? サンキュー! 篠さん」
「暑いから気をつけてね」
篠原は手を振って、音楽室の方へ去って行った。由良姫も思わず手を振り返した。
その様子を、マスコットを作りながら浩徳は見ていた。由良姫が篠原と知り合いらしい。それもそこそこ仲良さそうに見えた。
「ふうん」
知らず知らず、浩徳の口からこぼれた。
由良姫は糊を作ると、マスコット現場へ急いだ。
糊を持って炎天下の作業場へ戻ると、むっとした熱気が全身を包んだ。
「あっつ……」
由良姫は篠原からもらったスポーツドリンクを一口飲んだ。
「あっ! 頼む! 半分くれっ!!」
差し出された手に、思わず由良姫は飲みかけのスポーツドリンクを渡していた。すると、浩徳は思い切りゴクゴクと音を立てて飲んでしまった。
「あ、悪ぃ! 全部、飲んじゃった」
浩徳は小銭入れを由良姫に投げて渡すと、人数分買ってくるよう頼んだ。
「わあーっ! ヒロ先輩、あっざーす!!」
「俺たちラッキーだよな」
「おう、それほんまかあ」
「もちろんっすよ。ヒロ先輩、何かと気ぃ使ってくれるし」
「ほんならもうちょいやで、頑張ろまい。そこ、紙足りとるか」
「おい、ヒロ! こっちも紙くれ」
「ほい、ほーい! 紙配りにいくでぇ」
するとスポーツドリンクを買って、重そうに袋を下げて戻ってくる由良姫の姿が見えた。浩徳は駆け寄るとビニール袋をその手からもぎ取ろうとした。
「重かったなあ。買いに行かせて悪かった」
そう言いながら、浩徳の手が由良姫の手を、ほんの一瞬握りしめた。
浩徳の言葉に、由良姫は俯いて首を振った。
浩徳は袋からドリンクを出し、由良姫の方へ差し出した。由良姫はその手を見つめた。
──なんやったん?
由良姫は礼を言って受け取った。
浩徳も同じように自分の手を見ていた。
──なんやったんやろ
二人はよくわからないまま、かすかな痺れにも似た感覚が抜けないでいた。
浩徳が戻ってきて皆に声をかける。
「よーし、休憩しようぜ!」
「おい、ヒロ! 俺にも奢り?」
「あたり前田のクラッカーよ」
同じクラスの男子が次々に「ゴチ!」と言ってはドリンクを取っていく。浩徳はビニール袋を持って一年の方へ歩いていった。
「わからんとこは、すぐ聞けよ。女子は、ムリして脚立使わんでええで」
「ヒロは相変わらず一年坊主に甘いなあ」
「頼りにしてまっせ! 先輩!」
「何が先輩! だよ。ヒロにはかなわねえな」
同じクラスの男子が浩徳を小突いていく。これが普段からのやりとりなのだろう。由良姫はそんな浩徳を見ていた。
気づけば、マスコットは予定より早く形になり始めていた。
「おい、藤吉! 何時や、今」
「えっと、もうすぐ一時です」
「ゲッ!? 悪ぃ、また十二時過ぎてまった!」
浩徳は全員に、作業の切りがついたら終わって帰るよう指示した。
由良姫は、切りがつくまで残ってやっていた。
「おい、藤吉! もういいぞ。おまえって、ほんまマジメやなあ。っていうか。おまえ、脚立使わんでええって言ったの聞いてへんかったんか」
気がつけば、由良姫の周りはみんな切り上げて帰っていた。
「あ……」
由良姫は脚立から降りようとして、あと少しのところで急に目の前が暗くなった。
──落ちる
その瞬間、ガシッと受け止められ、由良姫は安心してその腕へと身を任せた。その腕は、宇羅彦ではないことはすぐにわかった。
それなのに、なぜだろう。
運ばれながら、意識は遠のいていくのに、どこかホッとしていた。
由良姫は次に気がつくと、エアコンの効いた保健室で寝かされていた。
「おっ! 気ぃついたか。センセーッ!!」
浩徳が廊下に響き渡る大声で養護教諭を呼ぶ。
養護教諭について浩徳が顔を覗かせるが、すぐに衝立の向こうへ追いやられていた。
「気分、どお? 気をつけなくっちゃ、熱中症なりかけてたわよ」
由良姫は長袖のTシャツが脱がされていたことに驚いた。
「熱がこもってしまってたから。真夏に黒の長袖って、他にも透けない素材とかあるでしょう。そういうのにしなさい」
そういうと、養護教諭は由良姫へ乾かした服を渡した。
「私の実家、芥見の部落のすぐ近くなの。よく知ってるから、安心して」
「どういうことですか?」
「そういうことよ。万里依さんや宇宙依さんは元気?」
由良姫は二人の名が出て、余計に驚いた。そして、一瞬で悟った。
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」
浩徳が衝立の向こう側から話しかけてくる。本当は気になって仕方がないのだが、養護教諭は衝立を閉じたままだった。
「帽子とかさ、野良仕事するばあちゃんに聞いて、工夫してやったんやけどな」
「今日ちょっと、いつもより暑いからね。お家には連絡したから、もうすぐ迎えに来てくれるはずよ」
保健室をノックする音がした。眴が室内に入ってくるなり、浩徳は深々と頭を下げて謝った。
「どうも、すみませんでした!! 俺がついていながら、こんなことになって」
由良姫は驚いて、ベッドから飛び起きた。養護教諭が衝立を開ける。
「あ、その子は学祭のブロック長で。藤吉さんを運んできてくれた……」
養護教諭は、眴の顔を見るなり余計なことを言うのをやめた。由良姫の容態だけを簡潔に話すと、一歩引いた。
「そうですか、お世話をかけました」
「いえっ! 俺が悪いんで。もうちょっと……」
由良姫はぼんやりと、その光景を見つめていた。何も言葉が出てこなかった。それくらい、眴の表情は険しかった。
「由良姫、自分で自分の体のことくらいコントロールしなさい」
眴が厳しい声で見下ろしながら言った。
それ以上何かを言おうとした柏木浩徳を、養護教諭がそっと止めた。
由良姫は礼を言って頭を下げると、眴に連れられて保健室を後にした。
「先生、どうして、俺のせいなのに」
「あの子はね、ちょっとね、いろいろあるのよ」
「あのタトゥーみたいなヤツのこと? 俺は別に……」
「そういう簡単な問題じゃないのよ。柏木くんも今度ばかりは気安く関わらない方がいいわ」
浩徳は何事にも親身になってくれる、養護教諭らしくない態度に違和感を覚えた。
初めて会った時から、浩徳は由良姫のことがなぜか引っかかっていた。
気になるという単純なものではなかった。
理由は、自分でもわからなかった。




