第五話 三年五組沢田美由紀⑤
四人が家の中へ入ると万里依は、初音と虎雅に右隣の家へ、同様に、凛華と大那に左側の家へ祓いに行くよう伝えた。
「虎雅!! 大那!! 鹿野神のは祓いは初めてや。頼んだでっ!!」
「初めて!?」
「マジかよ!?」
緊張する初音に、虎雅が静かに話しかける。
「初音、結界張ったら、リラックスして」
「ええっ?」
「焦らなくていいから。さあ、行こうか」
穏やかな声に、茶目っ気たっぷりのウインク。思わず初音は笑みをこぼした。
前のめりな凛華に、大那が笑いをこらえつつ話しかける。
「凛華、やる気満々はわかったから。突っ込むなよ」
「はあっ? 何言うてんの」
「おまえ、そんなに死にたいの?」
「嫌に決まってるやんか! イケズやなあ!」
大那は大笑いすると、凛華に後ろに必ずついてくるよう、念を押した。
「よっしゃあああっ!!」
大那の掛け声とともに、四人もまたそれぞれ、持ち場の家へと入っていった。
由良姫と宇羅彦は結界を展開し、家の奥へと踏み込んでいく。モドキの量が半端ない。これほどのものは初めてだった。
その頃、そばについている宇宙依へ眴がようやく話しかけた。
「どんな状態なんですか!?」
そこへ万里依が様子を見にきた。
「今、全員祓いに行った。眴は大丈夫か」
眼を確認すると、様子も落ち着いてきたのを見て取り、万里依は一息ついた。初めて目にした鬼化に、万里依は内心動揺していた。
──眼を持つ者の宿命。
だが、今自分が崩れるわけにはいかない。その一心で立っていた。
「真ん中の家は、女が男を飲み込もうとしとる。大量のモドキが集まってきとる。なんでやろなあ、二人やからって二人分で済まへん」
万里依は眴の表情を見て付け加えた。
「大丈夫や。由良姫は守らないかん時は強い。そんな由良姫を守る宇羅彦も強い」
由良姫は宇羅彦と声を掛け合いながら、一緒に連れている美由紀や雄一郎を気遣っていた。万里依の言う通り、由良姫はいつもと違っていた。
「由良!」
「うん、ウーちゃん!」
二人は大きな結界を張り、案内してもらいながら家の中を進む。その瞬間、黒い粒が雨のようにぶつかってきた。モドキは憑こうとしながら、引いていくのを繰り返していた。
「奥の座敷だ!」
「あっ、そこは!」
「なに?」
「お父さんの……」
結界にはモドキがバンバンぶつかってくる。そして、引く。それを見て宇羅彦が呟いた。
「コイツら、宿主を探しとる。もうケガレ化が進んどる証拠や」
座敷の襖を開けようと、由良姫が手を伸ばした瞬間、宇羅彦が叫んだ。
「さわるなっ!!蹴飛ばせっ!!」
よく見れば襖は黒ずみ、モドキに覆われていた。
由良姫は思い切り蹴り飛ばした。白のジャージの上下へ、モドキが飛び散りジュワッと音を立てて溶ける。
その隣の襖も宇羅彦が蹴飛ばし開けた瞬間、モドキが部屋の真ん中の塊から散った。 それはまるで蟲の大群がワッと飛び立つようだった。
モドキが散った後、姿を現したのは、鯰のように大きな口を開けたヌメッとしたものだった。黒光りしたそれは、ごくり、ごくりと音を立てて何かを呑み込んでいた。
ちょうど腹のあたりにあった口は、決して離すまいと呑み込むのをやめなかった。
ズ……ズル……
それは腹を大きく膨らませながら、口に咥えたものを呑み込んでいく音だった。
よく見れば上半身はミイラ化しつつある。目は落ち窪み髪を振り乱し、何かを叫んでいるようだった。腹のあたりの口には、折りたたまれ肩のあたりまで呑まれた男のミイラ化した姿があった。
男を飲み込んでいたのは美由紀の母親だった。そして、口からモドキを吐き出しながら目を剥き呑まれていたのは、雄一郎の父親だった。
「お母さん!?」
「親父!?」
二人は在ろう事か、亡くなったばかりの美由紀の父親の仏前にいた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
美由紀の母親はずっとブツブツ繰り返していた。鱗がテカり鰭が生え、細く折れそうな腕で顔を覆いながら、泣いているようだった。
その顔は青黒い色に変わってきていた。間もなく気が枯れ尽くす。ケガレ化が始まる。
母親は最後の気力を振り絞って叫んだ。
「いやあーっっ!! こんな男とっっ!!
助けてーぇぇっっ!! 離れないの、止まらないのよう!!」
美由紀は思わず由良姫の腕をつかんだ。
まさか目の前の怪物が母親だとは思えなかった。だが、聞こえてきた声は、間違いなく母親のものだった。
美由紀からは、絞り出すような声が聞こえてきた。ケガレと化していく姿を、彼女はまともに見ていられなかった。
「お母さんを助けて……」
美由紀のか細い声が耳元で聞こえた。もうここまで来たら助からない。
由良姫は振り返った。美由紀と目と目が合う。その目からは涙が溢れていた。
そして、キッパリと由良姫へ向かって言った。
「助からんのなら、今、殺したって。一つになる前に、お願いっ!!」
迷っている由良姫に、美由紀は懇願した。 由良姫の背中に顔を埋め、肩にかけられたその手は震えていた。
由良姫には美由紀にギュッと掴まれた肩が、痛いというよりも重かった。
雄一郎は信じ難い状況に呆然としていた。低く唸るような声で、やっとの思いで吐き出した。
「美由紀の言う通りにしてやってくれ……」
「お母さんが、叔父さんとくっついて、醜く大きくなるくらいならっ!! 消しとばしてよ!! あの時みたいに!!」
由良姫は驚いた。心臓がドクンと体の中で響いた。
「あの時って……!?」
由良姫はこちらへ手を伸ばしてくるミイラ化した、美由紀の母親へ輪響紋の術を放つよう構えた。
その手に、指先に、星が瞬くように光が集まる。
女は言葉にならない音を発した。
「ギャッ、ギ、ギエ……ッ!! ミ、ユギ……」
指先へ降り注ぐ光は、やがて大きな光となり放たれた。
宇羅彦が続いて祓っていく。部屋中を、埋め尽くすほどの光が放たれる。
最後にもう一度、由良姫は深呼吸をする。
結界を張った家ごと光で包み込む。
由良姫の耳元で、心地よい乾いた音が響く。
パーンッ!!
光は、目の前の黒々としたものをかき消していく。
ミイラ化していたものは、一つになる前に大量のモドキとともに消滅した。
そこに在ったはずの、狂気の塊は、家族の願いとともに消え去った。
時を同じくして、両隣の家から大きな光の渦が爆ぜた。そのどちらもが、術の規模から大きなケガレだっただろうとわかった。
目の前のそれは、モドキを大量に取り込みながら、一つの巨大なケガレになろうとしていた。
しかし、それは思い通りにいく前に、人の部分を残しつつ祓われた。
本来ならここで、ケガレに関わった人たちの記憶は、その消滅とともに失われるはずだった。
雄一郎は呆然と立っていた。
「……何が、起きた?」
だが──
沢田美由紀は、すべてを知っている目をしていた。
由良姫は家の外へ出てから、美由紀に呼び止められた。
「お母さんを助けてくれてありがとう」
「どういうこと!? だって私……」
「ケガレだっけ、あんな醜いバケモノになって。一瞬に消すっていうか、祓ってくれた?」
美由紀は由良姫の両手を握りしめた。
「もう助からない。ケガレとかになる苦しみから救ってくれた。あなたのしてることって、そういうことでしょう?」
「あの、もしかして、覚えてるんですか?」
「祓ってくれたとこだけ。お母さん、光に包まれて笑っとった。ありがとうございます」
美由紀は涙の残る顔で、にっこり笑って言った。
「もし、都合の悪いことなら、忘れるわ。そういうのは得意やから」
美由紀の目からは大粒の涙が、またこぼれていた。
今日出かける時、母親は何かを言い淀んでいた。
きっと苦しかったのだろう。
父が倒れてから、日に日にやつれていく姿から臭っていたあの臭い。
いや、あれは、もうずっと続いていたのだろう。
自分が、気がつかないふりをしていただけかもしれない。
由良姫は今までの祓いと違い、奇妙な感覚に包まれていた。
あの、術を放った瞬間に聞こえた音。
心地よい、心の奥まで響いてきた。
すべてが洗われるような、その音を聞いたのは由良姫だけだった。




